
テープカットをする町長よりハサミを使うのが下手な美容師のお話
リモートワーク続きで髪が伸び、鬱陶しくなってきたので美容室に行ってきた。実は初めての人に髪を切ってもらう時間がちょっと苦手なので、もう何年も同じお兄さんに切ってもらっている。
初めて入ったお店での会話は「今日お休みなんですか?」のセリフで始まることが多い。確かにそれはしょうがない。だって初対面だもんね。でも、そこからの「どんなお仕事されてるんですか」的なジャブの入れ合いが相手によっては噛み合わなくて辛いことがある。これは話してみないとわからない。
しかも、長いつきあいならば、「こんな風にして欲しい」と簡単に説明するだけで大体いつも同じ髪型になる訳だが、初めての人に切ってもらうと完成するまでなんだかちょっとした不安が付きまとう。
日本国内でもそうなのだから、海外での散髪となると尚更大変だ。英語修行中の時期は特にである。そんな話をちょっと聞いて頂きたい。
***
あの時は酷い目に会った。
遠い昔、英語圏のある国に住み始めてほぼ一年。日常の用はなんとか英語で足せるようになりかけた頃のことだった。
海外で生活されたことのある皆さんは経験されていると思うが、日常の用を足せるようになったと言っても、込み入った事となると中々思い通りに行かない。床屋などその良い例である。
だいたい、普段日本語で何気なく使っている言葉、例えば「もみあげ」だとか「えりあし」なんて言葉を英語でなんと言うのか自分が知らないことにハタと気が付くのである。「もうちょっとすいて下さい」なんてもう絶対無理である。
最初はもう長さの指定しかできないし、しかも指示の仕方は,
"Shorter, shorter, just a little shorter... Yes, OK, OK... a little shorter... Yes! 高須クリニック!"
のようなレベルである。
しかしそのうちに、何度か床屋に行って
"What do you call this part in English?" (ここ、英語でなんて呼ぶんですか?)
などといいながら頭の色んな場所を指さして聞いているうちに、何となく「ここをこういう風にしてくれ」というような自分の好みを言えるようになってくるのである。
俺もその段階を経て、まあまあ自信のついて来た頃であった。
ある日、遠くの都市に引っ越した仲の良かった友人から「やっと新しい生活に慣れてきた」と言うような連絡があり、それならばと思い、急だったがその週末に会いに行くことにしたのだ。しかし、お金がないので移動はもちろんバスである。遠くと言っても日本でいう「遠く」とはちょっと訳が違う。途中で一泊する必要のあるレベルの「遠く」なのだ。
金曜の夜にバイトを終えた俺はそのままバスに乗り、途中の田舎町で一泊した。そしてまた翌日バスに乗る訳だが、出発までまだ時間がある。
会いに行く友人というのは女の子だったのだが、安宿の部屋で鏡を見ると俺の頭はボサボサである。その子に気に入られたいという訳でもないが、なんとなく「俺もあれからしっかりやってる感」を出したいので、髪を切ってすっきりしてからバスに乗ることにした。
頭の中に浮かんだのは待ち合わせ場所に、トム・クルーズ的なこぎれいな髪型で白い歯を見せて笑顔でニカッと登場する俺である。それはちょっといいな、フフフ。という訳で街にでて床屋を探した。
ショッピング・モールを歩くと一軒の床屋があった。中で金髪ソバカスでやや小太りの若い女の子が暇そうにしているのが見える。これはちょうど良かった、とガラスのドアを押して中に入りカットをお願いした。「全体的にスキッと、後ろは少し短めにお願いします」と、散髪イングリッシュに自信満々の俺はビシッと言ったのだった。
しかし、返って来た返事が
"OK... you want it short, huh?" (短くね?)だけで、特に何というか、例えば分け目はどうするかとか、耳は出すのかとか、そういう話には一切進まずいきなり切り始めたのである。
俺は、急速にヤバい感じがしてあわてて
"I mean no-no-not too short!" (いやいや、あ、あんまり短くではなく)
などと言ったのだが、なんかもう聞いてない感じだった。
そしてそのままおごそかに散髪作業開始となったのだが、切り始めると、何故かとても痛い。耳元では日本の美容師さんのサクサクという音ではなく、ジャキジャキという音が聞こえるのである。
そして、そのジャキジャキ音を聴くことほぼ10分。急に音が止み、そのお姉ちゃんは鏡を持って来たのである。もう終わったと言うのである。
俺の後頭部が見えるように鏡を後ろに翳すと
"Is this short enough?" (これで十分短いかしら?)
と聞いてきた。
鏡の中に写った俺の後頭部の毛は真ん中あたりで、パッツンと切られて、その下は五厘刈りのように灰色になっていた。
”Short enough?” (短いかしら)じゃないのである。
もう、なんというか誰が見ても「ワカメちゃん」なのである。「キダ・タロー失敗版」という感じもする。
俺は、その時点で持てる限りの英語力を駆使して抗議をした。
俺の頭の中では、
「いやいや、お姉さん、こういうのじゃなくて、あのね、普通だんだんと、こう、なんていうのか、そう、グラデーションにするでしょ? グラデーションに! 確かに俺、短めって言ったけど、これはいくらなんでもちょっと極端だっつーの」
と猛烈に抗議しているつもりだった。
しかし、英語力のない俺の口から実際にでていた英語は、
"This is not good! I wanted it, uh, uh...yes, gradation, gradation, gradation, you know? Look at this! This is black and white! Too much! No good!"
というレベルだったと思う。
きっと彼女の耳には、
「これだめ。これ違う。俺欲しいのグラデーション、グラデーション! これ白黒。俺これ嫌い。白人嘘つく。うほうほ。俺嘘つかない」
みたいなグラデーション族酋長風の英語に聞こえたことだろう。
「グラデーション、グラデーション」と念仏のように唱える酋長の顔を首をかしげながら見つめるお姉ちゃんだったが、引き下がる様子のない酋長の頭にそれから何度かめんどくさそうにハサミを入れたのだった。
しかし "How is this?" (これでどうかしら?)と言われて、鏡を見る度にワカメちゃんが短くなっていくだけなのである。
しかも、俺はこの辺りでやっと気が付いたのだが、彼女は、いわゆる床屋さんがやるように左手の指で髪をすくって右手のハサミで切るという動作をしていないようなのである。なんというかそのままぶらさがった髪の毛をジョキジョキ切っている感触なのである。
開会式でテープカットをする町長でさえテープに左手を添えるものだが、このお姉ちゃんの左手は俺の頭が動かないよう上からグッと押さえているだけなのである。
俺の脳裏に急速に色んな思いがよぎった。
(多分、東洋人の黒い直毛は切ったことがなく、いっつも天然パーマの髪を切っているのだろうな。天然パーマの髪はジョキジョキ切っても、ちゃんとまとまるんだろうな)
(これ以上は無理かもしれないな。でもここで止めたら外歩けないよなあ)
(進むも地獄、退くも地獄、お、指が結構太いな。何故最初に気がつかなかったのだろうか。この店に入る前のあの頃に戻りたいな)
などとあきらめフレーズが浮かんでは消えるのだった。
そこから俺はしばらく頑張って見たのだが、いよいよ自分の頭が中国のお茶碗によく書いてある子供のようになったところであきらめたのである。
実際には「もう、いい加減にしろー!」とでも言いたかったのだが、英語で何というのか分からず、代わりに俺の口から出た言葉は
"OK. Short enough." (十分短くなりました)だったのである。
情けないばかりである。
そしてレジのチーンという音を聞きながら、「金、とんのかよ」とつぶやき床屋を出たのである。

俺はうつろな目で、ショッピングモールを一回りしてやっと見つけた帽子屋で買った野球帽を深々とかぶると、バス乗り場に向かったのだった。
***
その日久々に会った友人は、食事の間も帽子を取らない俺を怪訝そうに見つめていたが、彼女の視線が上の方に移り何か言いそうな気配を感じると、俺はそそくさと立ち上がって何かを取りに行ったり、慌てて話題を変えたりしたのだった。
「俺もあれからしっかりやってる感」をアピールするつもりだった俺の目は、その日終始自信無げに泳いでいたのだった。
(了)
気に入ったら 💗 を押してもらえると励みになります。