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青春の人体実験【第1話】ツタに覆われた国分寺の病院 【#創作大賞2024】
あらすじ
海外生活の資金を稼ぐために「治験アルバイト」に参加した主人公の男を待っていたのは、エリート街道を突っ走る早稲田のラガーマンから、引きこもり青年、社会不適合おじさん、裏街道を突っ走る心優しきヤクザ崩れなど多種多様な男達だった。同じ釜の飯を食う治験生活でのちょっとした心のふれあい。しかし裏街道を生きる「寡黙兄さん」は二度目の入院の日に現れなかった。何があったのか。
人生のほんの短い期間の出会いと別れ。男はそこでどんな人間に出会いどんな影響を受けるのか。ある秋の日に国分寺に集まった男達が共に過ごした時間を描いた青春の一コマである。
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【第1話】ツタに覆われた国分寺の病院
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俗に言う治験アルバイト。正式には治験モニターや治験ボランティアと呼ばれているので、厳密にいえば、もらうお金はバイト代ではなく謝礼金と言うことになる。
その謝礼金、治験の内容やリスクにもよるが、大概の場合かなり気前の良い金額が設定されていた。数週間入院してクスリを飲んでるだけで実に50万円なんてものもあった。治験に参加する場合には何カ月か間隔を空ける必要があるのだが、それでも治験を主な収入源として生活して、半ば職業のようにしている人もいた。
この話はそんな治験を舞台とした物語である。
治験、またの名を臨床実験。ご存じかもしれないが、厚生労働省のウェブサイトを読むとこんな風に書いてある。
化学合成や、植物、土壌中の菌、海洋生物などから発見された物質の中から、試験管の中での実験や動物実験により、病気に効果があり、人に使用しても安全と予測されるものが「くすりの候補」として選ばれます。
この「くすりの候補」の開発の最終段階では、健康な人や患者さんの協力によって、人での効果と安全性を調べることが必要です。
こうして得られた成績を国が審査して、病気の治療に必要で、かつ安全に使っていけると承認されたものが「くすり」となります。
人における試験を一般に「臨床試験」といいますが、「くすりの候補」を用いて国の承認を得るための成績を集める臨床試験は、特に「治験」と呼ばれています。
うーん、表現が堅い! しかしさすがお役所、表現が簡潔で判りやすいとも言えるが、なんとなく優しいオブラートに包んで実態が曖昧にされている感もある。
そんな治験。その頃、仲間内では「人体実験バイト」と呼ばれていた。多くの場合は口コミで、知り合いからそっと声を掛けられ、製薬会社の説明会にそっと参加し、当日人知れずそっと会場に行くというような、実際には全体的にそっとテイストあふれる少し裏街道的な匂いのするバイトだった。
(最近はどうなっているのだろうか…)
この話を書くにあたって調べてみると、今は「治験ネット」というような堂々としたウェブサイトがあり、そこにはずらっと現在参加者を募集中の治験がならんでいるのだった。いわば求人サイトである。そして堂々と治験アルバイトという言葉も使われていた。
(そうか、もうちゃんとしたアルバイト扱いなのか。まあそりゃそうだよな)
顔と胸もしくは顔と背中にニキビがある方大募集なんていう、一日中体に何か塗りまくられそうな募集から、詳細はお申込み頂いてからでないと説明できませんと書いてあるなんだか少し怖いヤツまで色々ある。
その怖さ加減で報酬が変わるようだが、総じてかなりの高額報酬がずらっと並んでいる。この辺は昔と変わらない。
賛否両論あるとは思うが、今もこの報酬目当てに色んな事情を持った男達が集まっていることを想像するとなんだか懐かしい。俺もあの頃その一人だったのだ。
***
二十代前半の俺は東京で暮らしていたが、人に比べて何ら誇れるものもなく、このまま大学を出て就職したとしても何者にもなれない気がして悶々とした日々を送っていた。
そこで卒業を前にしたある時、何かを変えるきっかけを得ようと海外に行くことを決意したのだった。甘いと言えば甘い感じもするが、そう決めた日からそれなりに真面目に準備をして、やっとある審査を通り海外に行けることになったのだった。
しばらくは海外で生活を送ることになる訳だが、それまで旅行でも海外に出たことがなく、どの程度お金がかかるのか皆目見当がつかなかった。もしかしたら、そのままずっと住み着いちゃうようなこともあるかもしれない。もちろん、行先の国でも働くつもりではいたが、出発前にとにかくできるだけ稼いでおきたい。そこで、手あたり次第たくさんのバイトを掛け持ちして日夜働いたのだった。
しかし、出発が数カ月先に迫ってきたものの、通帳の数字にはまだ不安があった。
そこで俺は、最後のダメ押しで、高収入と噂の治験バイトの門を叩いたのである。
その頃の俺は、若かったという事もあり自分の健康には変な自信があり、ちょっとやそっとの事では大変な事にはならないだろうと根拠もなく思っていた。ましてや大きな製薬会社が開発した薬ならそれほど危ないこともないだろうと、軽い気持ちで応募したのだった。
説明会で渡されたリストを見ると異常に報酬が高いものもあった。内容の怖さ加減と報酬レートが比例しているようだった。しかしいくら怖いもの知らずと言えども俺も人の子、あまりにシリアスな実験は怖い。
俺はリストの中から、「ビフィズス菌製剤の薬効調査」と書かれてあるのを見つけ、さすがにこれなら大丈夫だろうと思い、それを選んだ。この辺のクスリならば最悪何かが起こっても便秘か下痢で少しの間苦しむくらいだろうと思ったのだった。
その治験は、合計で二回、病院に泊まり込むようなスケジュールだった。、最初に約1週間程入院、そしてその後しばらくしてもう一度二日ほど入院するだけで、ウン十万のまとまった金が手に入るという美味しいバイトだった。これは助かる。ありがとうビフィズス菌。
そして、説明会からしばらくすると治験の日がやってきたのだった。どこの製薬会社の主催だったかは忘れてしまったが会場は良く覚えている。国分寺の病院だった。
***
もうそろそろ冬になろうと言う金曜日の夕方、一週間分の着替えを詰めたバッグを担いで、事前の説明会でもらった地図を頼りに国分寺駅から歩くと、曇り空の下に古めかしいくすんだ色の建物が見えてきた。
どうやらあの病院のようだ。建物に近づくとその壁はビッシリとツタで覆われているのだが、良く見ると壁のそこここに黒いひびが入っており年季を感じさせた。
その病院の門にある鉄のフェンスは少しだけ開いていた。ここから入れと言うことらしい。一言で言うとなんか怖い。しかしここまで来たらしょうがない。
その重い鉄のフェンスを押すと大きな軋む音が辺りに鳴り響き、敷地内にいた何羽ものカラスが飛び立った。何かの映画でこんなシーンを見た事があるような気がした。敷地内に入ると、建物の一階の窓の曇りガラス全てに鉄格子のようなものがはめられているのが見えた。中の様子は全くわからない。
俺は「ビフィズス菌」などというカワイイ響きに騙されて、とんでもないところに来てしまったのではないかと感じていた。
***
しかし、既に関東一の守銭奴と化していた俺は、当然そんなことではあきらめることはなかった。見た目よりもずっと重い病院の玄関の扉を押し、勇気を出して中に入ったのだった。
(シーン)
建物の中は静まりかえっていた。この雰囲気からすると黒い眼帯をした頭ボサボサの白髪の博士のような人が出てくるのではないだろうか。俺は緊張しつつ受付のボタンを押した。
しかし、しばらくして出てきたのは、予想に反して白衣を着たこぎれいなお兄さんだった。
仕事のできそうなテキパキしたちょっと茶髪のお兄さんと、その助手っぽい愛想の良い眼鏡のお兄さんの二人が笑顔で俺を迎えてくれた。ちょうど「東京03」の飯塚(以下、飯塚氏)と角田(以下、角ちゃん)という感じの好青年コンビだった。
俺はその二人を見てホッとした。
(ああ、よかった、そりゃそうだよな)
飯塚氏は見た感じ俺と同じ20代風、製薬会社から派遣されているのだろうか。それともこの病院の人なのか。
「お疲れ様です。これから一週間の長丁場ですが気楽に過ごして下さい。わからないことがあったら何でも聞いて下さいね」
笑顔でハキハキと実に頼もしい。
その横で手を前に組んで立っている角ちゃんも同じくらいの年だろう。ずっとニコニコしながら、基本姿勢はずっと揉み手である。愛想と言うものに白衣を着せて黒縁眼鏡をかけるとこういう人になるのだろうという感じの人だった。
(まあ、普通の病院じゃんか、よかった、よかった…)
しかし角ちゃんの行動は何をするにもちょっと雑で「医療の人」という感じがしなかった。アルバイトか何かなのだろうか。話し方もなんだか軽い。
「じゃあ、ね~つ、はかりましょうね~!」
角ちゃんは待合室の入り口で満面の笑みを浮かべて俺に近づくと、体温計とカルテを差し出した。
「は~かりながら、これかいてくださいね~!」
俺が書き終わったカルテを渡すと、角ちゃんは「じゃ、こちらも良く読んで問題なければサインをお願いしますね~!」と軽い調子で別の書類を俺に渡してきた。そこには「誓約書」と書かれていた。
読んでみると、角ちゃんの軽い口調とは裏腹に、そこには「これからの臨床試験の内容には全て同意済みであり、全て自己責任で実施することであり、どんな後遺症が出ても一切文句は言わないし損害賠償請求などもしない」というようなことが書かれているのだった。そういう書類があるのだろうとは思っていたが、いざこうして文字で見るといやなものである。
根拠はないが、なんとなく綺麗な字でサインした方が縁起が良さそうなので、俺は、変な副作用や事故が起こらないように祈りながら、一画一画ちゃんと丁寧に楷書でサインして角ちゃんに渡したのだった。
つづく
本作は7月下旬締め切りの「note 創作大賞 2024」への応募作品です。エッセイ色が強いですが、#エッセイ部門 の文字制限に収まらないので、#お仕事小説部門 に応募しております。何かをして報酬を得るという意味では一応仕事と言う事になるのだろうと思いまして。今のところ全5話の予定です(締切に間に合うのだろうか)。
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【第1話】ツタに覆われた国分寺の病院
【第2話】タロットおじさんと寡黙兄さん
【第3話】脱走ラガーマン
【第4話】不法侵入メリーゴーランド
【最終話】退院、入院、そしてさよなら