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さらば美しき狂犬たち

今日、近所を歩いていたら、妙な光景に遭遇した。ある一軒家の玄関のドアが開き、上品そうなオバサマが首輪をつけたデカい犬を外に出そうとしているのだが、犬の方はその見てくれに似合わない様子でモジモジして後ずさりしてなかなか出ようとはしないのだ。もう人間くらい大きな犬なのだが、オバサマが、「あら、リクちゃん、どうしたの?今日はオデカケやめる?」などと言うと、「クォォン」などといいながらゴツイ体をくねらせてオバサマを見つめたりしているのである。なんだか犬の世界にも過保護化現象がすすんでいるんだなと思ったのである。

しかし良く考えると、その家の外には犬小屋のようなものはなかったので、あんなに大きなリクちゃんだが、24時間家の中で飼われているのだろう。

私は東京に住んでいるのだが、よく考えるとうちの近くにはもう犬小屋に繋がれた犬は全くいなくなっていた。いや、うちの近くだけでなく良く考えるともうしばらく犬小屋と言うヤツを見ていない。たぶん皆、ちっちゃいヤツからデカいゴツイやつまで全部室内座敷犬化して、家の中でソファに座ってテレビで動物王国など見ているのだろう。いや、それはそれで何の文句もないのだが犬の地位も上がったもんだなあと思うのである。

私が子供の頃は「犬」というのはそんなお行儀の良い奴らではなく「吠える」と「噛みつく」という二つのアクションでしか意思表示してこない恐ろしい存在だった。

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最近は先ほどのリクちゃんのようなおっとりした犬や、細身の素敵な犬も多いようだが、私の住んでいたような港町の犬といえば、皆なんというか純和風の角刈りか五厘刈りのような気の荒いやつばかりだったのである。ごつい鋲を打ったパンクロッカーかSM女王みたいな首輪をしたいかにもヤバイという感じのヤツもいた。

とにかく何かあると吠える。そして噛み付く。波も荒けりゃ気も荒いという演歌があった気がするが、港町では犬までそうなのである。最近は犬に噛まれたという話をとんと聞かなくなったが、「目が合えば噛む」というのがその頃の犬のイメージである。漫画に出てくれば必ず人を追いかけていたし、最後は噛まれた人が飛び上がっているようなオチが多かった。

スピッツやコリーのような犬がいることはもちろん知っていたが、私にとっては絵本やテレビの中に住んでいる別種の生き物だった。もちろんパトラッシュなんてもはや神話の犬である。え、パトラッシュは品種じゃない? そう、そんなこともわからない時代である。(なんでも時代のせいにする)

とにかく私の周りに長髪の犬など皆無だった。どこを見渡しても刑に服しているような短髪強面一色なのである。ブルドッグも結構いたような気もするが、もしかしたらソースの瓶上で見てイメージだけ記憶に残っているのかもしれない。

とにかく家の中で飼われている犬などほとんどおらず、角刈り犬はみな庭や軒先におかれた切妻屋根の木造小屋に鎖で繋がれて生活していた。そして、皆周りを睨んでは舌を出してハアハア言っていた。そんな時代だったのだ。

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ある年のお正月、中学生の私は友達に誘われて郵便配達のアルバイトをした。確か12月の末から郵便局に行って仕分けの作業をやった記憶がある。

自分が配達する予定の地域の仕分け用の棚に向かって立ち、年賀状を片っ端から該当する番地のマスに入れて行くのだが、それも楽しい作業だった。何時間かして慣れてくると少し離れたところからカジノのディーラーのように葉書を投げ入れることもできるようになった。そんなスキルを身につけながらお金がもらえるのだからありがたい。その後の人生でそのスキルは一度も使ったことはないような気がするが。

当然同じ町の配達なので、知っている人の年賀状もたくさん混ざっている。私は仕分けの最中に、気になる女の子が私宛に年賀状を書いてくれているのを見つけて、もう持って帰っちゃおうかと思ったのを覚えている。しかし、そこはバイトと言えども公務員、そんなことは私の公共魂が許さないのである。でも何度も棚から出して読んじゃったのは事実なのである。そんな時代だったのだ。

初めて見る郵便局の内部は新鮮だった。局員のおじさんやお兄さんが一斉に配達のために朝出かけて行く。そしてしばらくすると戻ってきて雨具を脱いで着替えると、そこで午前の仕事は終わりということなのだろう、昼までは将棋をしたり、休憩室の畳の上に寝転んで新聞読んだりしていたのである。例のでかい金色のヤカンからお茶なんか湯のみについでのんびり飲んだりしている人もいる。その頃はタバコを吸ってる人も多かった。中学生が横にいてもお構いなしである。皆仲が良さそうで、そこここから笑い声がしており、私は中学生心にも「なんかいいな男の世界」と思ったのである。

そして午後になると重そうな雨具を着てバイクで皆また出発するのである。そして新米の私達が仕分けをしていると皆帰ってきてヘルメットを脱ぎながら郵便局に入ってくる。ま、見ようによってはスターウォーズの反乱軍のパイロットの帰還シーンのようでもある。乗り物はかなり違うが。

そんなこんなで郵便局にも慣れてきた大晦日、配達手順の説明会のようなものがあり、自転車とカバンが割り当てられた。大きくガッシリした赤いチャリンコと、本皮でどかっとした、言ってみればスターウォーズのジャバ・ザ・ハットみたいなカバンである。あのガマガエルの親玉のようなやつ、ご存知だろうか。例えがスターウォーズばっかりで申し訳ないがお許し願いたい。

そしてそれぞれが、そのもの凄くでかい黒いガマグチ見たいなマイバッグに、自分が仕分けした年賀状を配達順に詰め込んでいくのである。あとは元日に配るだけという訳である。

そして私は家に帰り、レコード大賞、紅白歌合戦、行く年くる年という黄金コースを経てソバを食って寝たのだろうと思う。

元日は運よく晴れていた。早朝に郵便局に集合して新年の挨拶をすると、皆マイバッグを自転車に乗せて出発した。配達している時はもう何も考えることなく、そのジャバ・ザ・ハットを開けると次の年賀状が一番手前にあるという状態である。

初めての郵便配達だったが、自分の住む町なので特に問題もなく配達作業は順調だった。但し最近のマンションのような集合住宅はほとんどなくほぼすべてが一軒屋である。しかも現在のように郵便受けが道沿いにある家が少なく、門を入って玄関まで行くとポストがあるというタイプが多かったので一々自転車から降りて走らなければならず結構くたびれる作業だった。

しかも、1月とはいえ自転車を漕いでいるのでかなり暑くなる。カバンの中の年賀状が半分くらいになって隙間ができてきてせっかく順に並べた葉書が混ざってしまいそうだった。私は丁度よかったので着ていたシャツを一枚脱いでカバンに突っ込んだりした。こんなどうでもいいことは何故か覚えているのである。

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そしてそろそろ一回目の配達の終盤に差し掛かってきた。私は次の家の前に自転車を止めてカバンから年賀状の束を取り出した。その家も門扉のところにはポストがなく、奥の玄関に目を向けるとそのドアの横にポストがあるようだった。

私は門扉を開けようとしたのだが、明朝体で書かれた妙に迫力のある「犬」というシールが目に入った。「犬?」私はもう一度門扉から玄関ドアまで目を走らせたが犬小屋らしきものはなかった。少し嫌な予感がしたが私は玄関ドアに向かった。

その時である。庭の茂みの奥からまるでパンサーような勢いで黒い影があらわれたのである。私はあわててそちらを見た。真っ黒い角刈りの動物が私に飛び掛かってくるのが見えた。イメージとしてはあのプーマのマークのような感じである。

私は近づく黒い影を見た瞬間、なぜか「まずは年賀状を届けなければ」と思いポストに向かって走ってしまったのである。この、にわか公務員魂がいけなかった。その黒い犬は私の素早い動きに刺激されたのか、ご主人様の家に近づけてなるものかと、私の太ももに飛びつくと思い切りかじりついたのである。

私は激痛に絶えながらなんとか郵便受けに年賀状の束を放り込み、空いた手でその角刈り頭に思い切りパンチを食らわした。するとそのショックでかヤツは私の太ももをさらにギュッと噛み締めたのだった。

いわば自分の脚に刺さった釘を自分で金槌で叩いたようなものである。私は呻いた。ああ堪らない。私は手袋をした手でなんとかその犬の鼻のあたりをつかむと何度も思いっきり持ち上げた。するとその犬はやっと私の脚から顔を離したが、その後も私を睨んで激しく吼え続けていた。

その声を聞いたのであろう、飼い主のおばさんがでてきた。しかし、「あらあら、うちのワンちゃんワンパクなのよ、ごめんね~」などという非常にお軽い感じなのである。犬だけにワンパクか、うーん、おばちゃん上手い!じゃないのである。この行為はどう考えてもワンパクというレベルは越えているだろう。強盗をやんちゃと呼んでいるようなものである。いつの世も飼い主というのは甘いものである。

しかし私も中学生公務員のはしくれである。そこはぐっと気持ちを抑えて、おばちゃんの悪気のないハの字になった眉毛を見ながら、「いえ、ダイジョブっす」などと答えてそのまま残りの配達を終えて局に帰ったのである。

ズボンは破れていないと思ったが、脱いでみたら血だらけである。実は歯が貫通していたのだろう。先に帰還してリラックスしていた反乱軍のおじさんに報告すると、「がはは、やられたか」で終わりである。ほんとそういう時代だったのである。

私は外にでて凍るような冷水で脚を洗ってタオルで拭くと、歯型に沿ってバンドエイドを張って次の配達のための仕分けの仕事に戻ったのだった。

私は仕分け棚に向かって年賀状を投げ込みながら、「大人になってもしも犬を飼うならば絶対長髪の心優しいディズニー的なヤツがいいな」などと考えていた。

***

すっかり「郵政省バイト思い出話」みたいになってしまったが、今日のリクちゃんとオバサマの様子を見てふとそんな頃のことを思い出したのである。その頃の気持ちとは裏腹に、いざいなくなってしまうとあの角刈り軍団がなんだか懐かしい。人間と言うのは不思議なものですね、と美空ひばりのようなことを感じる夏の夜なのである。



(了)

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