寿司は天下の回りもの
ちょっと知的な題名を付けてみたが(どこが)皆さん新年如何お過ごしだろうか。お正月に寿司を食べた方も多いのではないかと思う。
ふと考えてみると物心ついた頃から既に寿司は回転していた。回転寿司。日本発祥のエンタテーメント型和食店である。普通の寿司屋も楽しいが、店の中を寿司が縦横無尽に動き回る姿を見るのも楽しい。皿を取ったり重ねたり、食べる以外の作業があると言う所も楽しい。
昔、展望台のレストランなんかで、景色を楽しむためなのか床がゆっくり動いて食事中の客が回るシステムの物があったような気がするが、さすがに回転寿司で人側が回転するものはまだないようである。
この回転寿司、英語では色々な呼び方がある。まずは Conveyor belt sushi(コンベア・ベルト・スシ)。これはシステムの仕組みからつけた名前で少し味気ない。なんとなくセメントかなんかが流れてきそうな響きでもある。
そして次に、Sushi-go-round(スシ・ゴー・ラウンド)。ご推察通り、メリー・ゴー・ラウンドの発想から付けられた呼び名であるがこれはちょっと夢がある。子供から大人にまでウケそうな感じがする。エンタテーメント性も感じられる。
その他には、Carousel sushi(カルーセル・スシ)なんて呼び方もある。なんか新宿二丁目のママの名前のようだが、空港の入国ゲート前で荷物が出てくるところでグルグル回っているあれをカルーセルと呼ぶので何となく感じはわかる。この呼び方は前の二者に比べてあまり人気がない気がする。
そんな人々に愛される回転寿司。しかし、ここのところ不祥事やスキャンダル続きで元気がないようだ。そこで、久しく客としては足が遠のいていたが年末久しぶりに入って見たのである。
***
その日入った回転寿司屋も大型チェーンのひとつだった。窓から中をのぞくとまるで居酒屋のように広い店内だったが、テーブルもカウンターも客で一杯のようだった。しかし店に入ると入り口には誰もおらず、デカい液晶ディスプレイのATMみたいな機械があるだけだった。人が出て来る気配はなかった。
(なるほど、ここからもう無人なのか ... )
そのスクリーンを見ると「テーブル席が希望なのか、カウンター席でよいのか、何人なのか」などを入力するシステムになっているようである。俺は「カウンター席」と「一人」という文字にタッチした。すると機械からスルスルと、銀行や郵便局のような番号が書かれた紙がでてきた。しかるべき時が来るとこの番号で呼ばれるようである。俺は誰もいない入り口で、シャクレ顔の動物のフィギアが出てくるガチャガチャの機械などを眺めながらその時を待った。
するとすぐに番号が呼ばれ、俺は入口のレジでカウンター席の番号が書かれた札のようなものを渡された。アルバイトらしきお姉ちゃんは「当店に来られたことはありますか?」と俺に聞いた。俺が初めてであることを告げると、お姉ちゃんはおもむろに「このお店では... 」と説明を始めた。
(お、何か複雑なルールがあるのか?!)
俺は身構えた。しかしお姉ちゃんの説明は、「この店では回っている寿司を自分でとって食べるシステムになっている」というような、辞書で「回転寿司」とひくと、そこに書いてあるような内容だった。
外国人の客が多くなったのでこんなことをいちいち説明するようになったのだろうか。その説明が終わるとお姉ちゃんは、あとはカウンターに行けば判るようになっているのでその番号のカウンターに行ってくれ、と言うのである。そんなに遠くでもないんだから、席まで連れてってくれればいいのに実につれない。
店を見渡すと従業員はほとんど見当たらない。俺の記憶の中の回転寿司の店では、お盆を持ったお姉さんなどが背後で忙しそうに働いていたように思う。
しかし店の中はほぼ客だけである。カウンターの向こうにいるのも客ばかりで、寿司職人の方々の姿は一切ない。寿司は壁に小さく開いた窓からベルト・コンベアに乗って出てきては、静かに店の中を循環しているのである。寿司製造現場はどこにあるのだろうか。壁の向こうで、客が見たら夢が壊れるような方式で寿司ロボットが作っているのかもしれない。
とにかく徹底的に自動化・省力化されているのである。下手するとこの店、あのお姉ちゃんが一人でオペレーションしてるんじゃないかと思うくらい人が見当たらない。このところの外食制限への対策でもあろうと思うが、回転寿司界にも DX の波は押し寄せてきていたのであった。
もはや寿司を食べる過程で人とのコミュニケーションは皆無となり、ベルトコンベアにより際限なく回ってくる寿司を勝手に取って食べるか、何か食べたいものがあればタッチパネルで注文するだけ。そして注文した寿司は、一段上の階層にある優先個別配達コンベアみたいなものに載せられ自分めがけて勢いよく滑るように運ばれてくると目の前でピタリと止まるのだ。なんだか気味が悪い。
そして食べおわった皿は目の前にあるスリットのような隙間に入れろと言う。皿を放り込むと「カッコーン」とエアホッケーの機械のような音がし、入れた皿は自動的にデジタル的にカウントされて行く。
まるで電子機器工場の生産ラインのようである。俺は黙って繰り返し同じ動作で寿司を食べているうちに、自分が「皿を取り、寿司を食べ、空になったスリットに皿を入れるという工程」を担当する工場作業員になったような気がしてきた。
***
この無人寿司工場方式も、ここ数年の感染症騒ぎの時期には、人と接触するリスクを避けられるというメリットがあったのだろうが、まあなんとも味気ないものである。俺は自分の食作業のノルマを終えると、後は特にやることもないのでそそくさと店を出た。
アメリカでは完全無人コンビニなども普及してきているが、日本でも自分で商品のバーコードをスキャンしてお金を払うセルフレジの店が増えた。テクノロジーがもたらす当然の合理化といえるが人間はどんどん対面コミュニケーションが苦手になって行きそうな気がする。
オーストラリアに住んでいた時にはレジのおばちゃんだけでなくレジの列に並ぶ知らないおばあちゃんなども話しかけてくるので最初は面食らったが、慣れれば楽しく、良い慣習だなあと思った。知らない人と話すと言う行為を通じて文化的なことを学ぶことも多かったし何より異国の生活で疲れた寂しい心が癒された。
昨今の東京の様な大都市では特に人々がことさら無言を保って生活しているように思う。ちょっとでも声を発するのが損だとでも言わんばかりに、電車のドア付近では無言でグイグイと体を押すことが「降りる」という意思表示のスタンダードになっているように感じることもある。SNSの普及もあり、人々はこうしてどんどん言葉を発することを忘れ、生活はどんどん読み書きによるやり取りが中心になって行くのかもしれない。
しかし結局そんな世を憂いたようなことを言いながら俺も、その感想を人に話す訳でもなくこうしてここに書いているのである。
(了)
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