ヒトビトよ現場感を抱け
どんな場所にいようが、どんな事をしていようが、どんな立場であろうが、ヒトは常にそれぞれの現場に生きている。より良いモノ、ヒト、コト、全ては現場に身を置くことで生まれるヒトそれぞれの現場感から生まれる。
学校、仕事場、習い事先、出かけ先、いま自分が行っている作業、いま自分がこの瞬間に目を向けている光景など、挙げたらきりがなく無限だ。
現場でしか体験することのできない感情、そこから生まれる思考や発想、現場に身を置き考え続けることで現場感が育まれ、より良い結果へと導くことができるんだと思う。
そもそも現場とは、『物事が実際に起こったその場面や場所。実際に作業が行われている場所。』などと説明できるが、私がここまで“現場”という言葉の意味を掘り下げるきっかけとなった体感がある。
それはそれぞれの現場に情熱をもって携わる方々を通じて、その現場から見えてくる昔ながらの伝統や考え方、それらを殺さずむしろ活かしながらも、急速に変化していく世の中の課題やニーズにマッチするモノやコトを生み出し続ける“現場感”がそこにはあったからだ。
その体験と現場感の大切さを読者のみなさまにお伝えしたい。
野上さんに視る“現場感”
現在、株式会社Backpackers' Japan(以下BJと記載)のサポートセンターで店舗である現場と役員のサポート役を担う。野上さんのインタビューから、改めて“現場感”の重要性を伝えたい。
BJをトップダウン型の組織から自律分散型組織へ変革を果たした野上さん実践の一つとして、”Exchange"(社内留職制度)がある。例えばある市役所業務においては2~3年で配属された部署に従属後、また別の部署へ転属する制度が設けられているところがある。様々な部署の現場を経験し、また次の部署での現場を経験することでオールラウンダーな能力を身に着ける目的だとは思うがBJの場合は期間が違う。
1~2週間の期間のみで学ぶというスピーディーなシステムだ。
現代に求められる変化のスピードや、働く現場を変えることでひとつの現場では得ることのできない能力や考え方を育むことができるだろう。
これは働く人々の主体性を大事にする現場目線だからこその制度である。
ただ主体性のみを担ぐわけではなく、組織でありヒトが関わる以上、様々な考え方があるが故に、受動的なヒトもいるわけである。それを否定はせず、それも含めてリアルな現場として各々に任せている組織の在り方は、現場を経験し、自身の考える成長の機会や在り方を現場で学んできたからこそできることだと思う。
ただ勘違いしないでいただきたい、私は決して現場至上主義ではない。
現場で働くヒトと同様それを統率・運営する立場、つまり役員ももちろんあってこその組織であり、立場が違えば違うほど視えている景色も違ってくるわけで双方の意見の乖離が大きくなるのも必然だ。
つまり何が言いたいのかというと、
現場と運営をつなぐ現場経験豊富な橋渡し役が重要であるということ。
皆様はどうでしょう。
イメージしていただきたい。
現場経験のあるリーダーと現場経験のないリーダーの意見・言葉、どちらに耳を傾けたくなりますか?
BJでは新たな試みに対する意思決定者を明確にしている。これは社員だろうがバイトだろうが試みに対する責任と役割が意思決定者にゆだねられるということ。つまりそれは、そこにある“現場感”こそがより良い結果を生み出していくという根っこを感じた。
私も組織の中に生きる人であり、トップダウン型を否定するつもりは全くない、ただそれに囚われるのではなく、現代やその組織にフィットする在り方であるべきなのだ。
ヒトの流れも世の中も変わり動き続けるのであれば、その瞬間瞬間の現場に身を投じ、正解を追い求め続けることこそが最適解なのではないだろうか。
私の「視た」現場感
伝統産業に視る現場視点
いきなり辛辣ですが、私は伝統産業に対してはそんなに興味がありませんでした。より便利に、より効率的に、より機能性高く、となりがちな現代の生活に溢れる欲求に例外なく私も侵されているからだ。ただ、京都伝統産業ミュージアムで垣間視たのは伝統と現代の共存だった。
例えば西陣織。昔の絵師が残した、1工房あたり約2万冊存在する西陣織の下絵は、一見「こんな絵を描いてたんだぁ」と感じるだけの存在だった。
ただそれを素晴らしいと感じ、「もっと知ってもらいたい!広めたい!」という思いから、ただ処分するのではなく歴史ある下絵をピクセル化し、現代アートとして成立させている。現代アートに変換することで、そこには今を生きる方々の関心を引き出すことと、伝統ある作品たちへの製作者の情熱が感じられる。情熱は1枚の額縁に収まらず、なんと建物の空間全体を使って体現されているほどだ。
作品への愛という点ではもう一つ面白い発見がある。
展示作品を眺めていると、所々に「触らないでくださいマーク」が貼られている。作品であり商品なので当然と思うだろうが、色が赤ではなく灰色だったのだ。なぜ赤ではなく灰色なのだろうか・・・
館内を丁寧に案内してくださった山﨑さん。ふと服装の色に目がいき、上下服から靴までが無彩色で統一されていることに気が付いた。
なるほど、これは展示している華やかな作品たちの栄えを損なわない心遣いなのではないだろうか。
些細なところまで伝統工芸品に対する愛が感じることができたのは、
これも“現場感”の強い方々がいるからこその光景なんだ。
“見る”から“視る”へ
今回の訪問を通していかにいまを生きる人々の関心を、ニーズを、心を掴むのか。
ただ現場を“見る”のではなくアングルを変えて“視る”ことで現場に見え隠れする物事の意味や本質、あるいはそこに見出された伝統と現代の共存を感じることができる。更には将来に描く理想の“現場”への熱意すら感じる。
伝統と現代のコラボ
漆塗の可能性
漆塗り自体と関係はないが、量り売りスーパー「斗々屋」で得たサーキュラー視点に通ずる取り組みを堤淺吉漆店の現場でも垣間見た。
あらゆる伝統工業品の仕上げとして使用される『漆』、その漆の調合、精製、出荷までを手がける創業明治42年の老舗にお邪魔させていただきました。『漆』という言葉を聞いてみなさまは何をイメージするだろうか。私のイメージは前述の通り、昔ながらの作品の仕上げとして使用する樹液、だ。
確かに日々作成される数々の伝統工芸品にかかせない漆の需要は高いが、
1本の木に樹液が採取できるようになるまで15年の年月がかかり、且つものの4か月でその木の樹液は枯渇してしまう。そんな手間と時間をかけた後に残る木は廃棄されつづけてきたという。
そのような背景もあり漆の木そのものの使用ではないが、「木材の利用」に関しては意識的に取り組みをされていることも伺った。
例えばサーフボードは地元の杉を使い、ストローはチップ材などに使われる丸太の根元を製材、使用しているという。
廃棄されてきた木を、生活の中で使用するモノへと転換し、更には自身らの作り出す漆を活用しヒトビトのニーズに応える作品を作り出したのだ。
これらはいま環境問題への関心が高まる中、従来は廃棄されゆくモノに対して環境に配慮しつつ何かヒトビトに必要とされるモノに変換できないか、世の役に立てるモノを作れないかというサーキュラー視点から生まれたモノである。
このことこそ、伝統的な漆を活用し現代に求められるモノを作り出した新旧のコラボレーションだ。
日々現場に従事し現場に精魂込めて向き合ってきたからこそ生まれた可能性が体現されている。
自分たちの生活を振り返ってみると、今までそうすることが当たり前として思考停止で捨ててきた物事が、実は少し視点や考え方を変え、深めることで新たなニーズに繋がり社会を豊かにすることのできる新しい発見を生み出すことを漆を通じて目の当たりにした。
決して今までの歴史を捨てろと言っているわけではない。
むしろ大事にするべきだ。
ただ、急速に変化していく世の中に飲まれないよう、常にリアルのニーズを意識し、それぞれ自身のいる様々な現場をもう一度“視”直してみると今まで考えつくことのなかった可能性を掴むことができるのかもしれない。
そして現場に身を投じ、改めてそれぞれにある現場感の重要たるやを実感してほしい。
チームメンバー紹介
チーム:With Song
クリエイター:大山さんからコメント
今回の街歩きを通してみた伊藤さんの変容は「少年化」という言葉が1番会っている気がする。というのも、初日のレクチャーにて私が「視点を変える工夫」をお話させていただき、街歩き中にも気になるところがあればなぜそれが気になるのかを考えると良いとお伝えをしたところ、一人チームの列から離れて道端のあらゆるものを注意深く見つめる伊藤さんの姿があった。ご自身の目線の延長線上に新しい発見を見出そうとされていたのではないだろうか。それはおそらく伊藤さんが今回共に過ごす中で反復するように語られていた「現場を大切にしたい」という思いと近しい。
「現場」の意味をインターネットで調べてみるとコトバンクには、「建築、工事、製造、制作などの作業をしている場所。また、物事を実際に行なう場所。」という意味の他に「まのあたり。めのまえ。実地。」と書かれている。とすると伊藤さんは京都での街歩きのなかで、常にその時その時目に写る現場を確認し続けていた。
既出のみやこめっせで見て気づきを得た「触れてはいけないサイン」の色、道端にある石、街中の看板の少なさ、あじき路地の街並み。何気なく歩いている時も、チームメンバーの梶谷さんとともに「京都の町は碁盤の目でありつつも、真っ直ぐ一直線ではなく少し曲がっていたり、完全ではないのがよい。」というお話をされていたりと、目を輝かせながら京都の街中のさまざまな現場をご自身の目線を通して見ていらっしゃったのが印象的である。
そしておそらく普段は躊躇するであろう新しいチャレンジを自ら楽しんでいるようにも感じた。マクロな目線よりマイクロな目線へ。小さく微細な動作や気づきの積み重ねこそが掛け替えのないものであり、それが続いていくことが最終的な大きな実りへと変貌を遂げていく。
現在は営業職でいらっしゃるが、現場を知っている、現場と同じ目線で、同じ言語で語れることができる伊藤さんは、これから先も多くの人に愛され、必要とされる人材になっていかれるのではと思う。