伝統工芸と先端企業に共通する利他の精神
伝統工芸と先端企業に共通する利他の精神
「いつの時代も人は人」
怒られるとムカッとなるし、褒められたらキュンとなる。
「ヒト」の根底に根付く思いや感情は不変だと思う。技術進歩の差はあれど、人間の根本は今も昔も変わらない。
今回京都にある堤淺吉漆店(つつみあさきちうるしてん)と京セラギャラリーで、伝統工芸と先端技術に触れる機会を経て、そんな気付きを得た。
「伝統」と「先端」、「漆」と「電子分品」、一見すると相反する存在のようにも映るが、今回の取材を通じ、実はそれら製品には共通する精神があることに気付く。
自分を犠牲にしても他人や社会に貢献していくための考え「利他の精神」である。利他の精神を背景としたビジネスは世のため人のための心を持つので、社会からの共感も得やすく、息の長い活躍に繋がる。
堤淺吉漆店は1909年の創業来110年以上、漆樹液を仕入れ精製、調合、調色を一貫して自社で行っており、国内漆の約7割を占める企業となっている。根底には美しい伝統美を守るために自分たちが漆を作らなければ職人達の仕事ができないとの思いや、植樹から採取まで15年はかかるとされる漆木への深い感謝の念がある。
またお客様一人一人のニーズに合う、オーダーメードでの商品を提供していたり、スポーツと漆のコラボレーションを試みたりと、あらゆる拘りが利他の精神となり、長きにわたる企業活動に繋がっている。
京セラは1959年に創業された日本を代表する電子部品・電気機器メーカーである。創業者である稲盛和夫氏が、利他の精神を基としたフィロソフィーを軸に成長してきており、人間として正しい生き方、あるべき姿を世に示すことが社員に浸透している。現在では約80%の世界シェアを有するスマートフォン部品を製造するなど、同社が無くなると世界経済が止まってしまうほど世の中に必要とされる企業となっている。
今回の旅を踏まえ、私は利他の精神を強く意識するようになり、自分の言動が他人の喜びに繋がることが最大のモチベーションであることも知った。自分が良いと思っていることで社会が良くなっていく、世界が便利になっていく、そして社会や顧客に対して、誠実であり続けることが安心感や信頼感にも繋がっていく。そのためにコミュニケーションの在り方も重要で、密にコミュニケーションを取り続けることで社会や世の中に本当に必要とされる物が初めて分かっていく。
そして今回の旅路の途中で・・
ふと心の中に・・・
「梶子ちゃん」が・・・・
降臨!!
利他の心を持つ心優しき女性の精神である。
これまで私は何事にも「闘う集団、闘う人間」であり続ける精神が支柱となってきたが、あらゆる利他の心に触れたことで、ふと変容が訪れたのだろう。
今回は小さなお子様を連れたクリエイターの方と共に旅先を回る機会でもあった。豪火をガンガンに燃えたぎらせたような炎天下のもと、ハラハラしながらも、何かあれば「いの一番」にサポートできるよう、常に心掛けていた過程がもしかすると「梶子ちゃん」を生むための素地として既に醸成されていたのかもしれない。
利他の心を持つと、例えばエレベーターから降りる際に、これまではドアが開くとそのまま出ていっていたが、今は「開ボタン」を押し続けて、全員が出てから出るようになった。またSNS上でも色々な方々のコメントやコンテンツに対してあまり反応していなかったが、「いいねボタン」などでリアクションするようにもなった。
その結果多くの「ありがとう」をもらい、モチベーションとなっている。今回の旅を通じ人生100年時代において、残り約60年の人生を歩むための、存在意義や使命を見出せたように思う。
これまで自分の中で漠然としていたものが明確化されたという意味で、今回のAMP!は大変有意義なものであった。
過去の自分が今の自分へ繋がる:
野上千由美さんへのインタビュー
今回、Backpackers' Japan (バックパッカーズジャパン)に勤務する野上千由美さんへのインタビューを経てその思いが深まった。同社は「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」を事業ミッションに掲げ、東京と京都で計4軒の宿泊施設を運営している。カフェやバー機能を持つオープンなラウンジを併設し、訪れる人たちの境界線が自然と溶けるような空間を提供しており、大変活気のある施設となっている。
その中で彼女は現在社内のサポートセンターとして、役員含めた約100名のメンバーの「潤滑油」として日々奮闘している。一人一人の個性を尊重し、「任せながら支える」スタンスでメンバーに主体的に動いてもらう一方フォローも定期的に行い、程よい距離感を醸成している。また役員の目指す方向性を共有した上で、メンバーそれぞれがどうするべきかを考えてもらい、実行に移してもらうことで、個々の成長にも繋げ、同社の発展に大きく貢献している。
このようにギュンギュン潤滑油として働く彼女にも、原点とも言えるエピソードがある。幼い頃からミステリーハンターやアナウンサーの仕事に関心があった彼女は、高校時代に強豪放送部の門を叩き、その後部長を任されることになる。当時は放送部の大会以外にも、地域の祭りや学校行事に駆り出されることが多く、その際の司会進行や、映像・ラジオ制作を担当することになり、先生や部員、地域住民を巻き込み物事を進めることへのワクワクとした楽しさや面白さをこの時既に原体験として持っていたのである。
このエピソードを聞いて私は、過去の成功体験がその後の人生の決め手の1つになっているのだとヒリヒリ痛感した。高校卒業後も様々なことを経験をしてきたのだと思うが、スーッと成功体験に導かれるようにして、今の潤滑油としての活躍があるように思えてならない。私自身も目標を定めてクリアしていく達成感をスポーツや仕事を通じ、積み上げてきた経験から、そのような仕事に導かれてきたように思う。過去の自分の行いの延長線が今の自分を作っている。
今回のインタビューを通じて、私が思いを深めた瞬間でもあった。
お賽銭から見る寺院のグローバル化
日本人の美徳の1つである「謙虚な心」、その価値観の一部がグローバル化の流れによって変わろうとしている。京都の東本願寺へ訪問する機会を得た。当寺院は浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷から吉水の北に移し、廟堂を建て宗祖の影像を安置したことに起源する。
敷地面積は約4250坪と広大であり、本堂の大屋根は葛飾北斎の「富嶽三十六景」にも描かれている。実際に見学してみると、周囲には荘厳な雰囲気が漂っており、建物にグワーッと飲み込まれそうになるくらいの迫力を感じた。
そんな中、1つの違和感が私の目にヒョコっと飛び込んできた・・
・・・・・電子マネー化
・・された・・・
お賽銭・・????
本来お賽銭は拝観客に対し、お気持ちをいただけるようであれば・・少しでも良いので・・賽銭箱に入れていただけると嬉しいです・・的な価値観を持っていたが、当寺院は海外観光客を中心に小銭やお財布を持たない人達に対して、取りこぼしがないようにガッツリと準備されていたのだ。
お寺なのに・・煩悩の塊だ・・・と感じたものの、よく考えてみると海外の人達からすると当然のことかもしれない。
それは・・
といった考えからである。
実際に海外の観光地では、エジプトのピラミッドで約4000円、カンボジアのアンコールワットで約5000円、世界遺産でもあるヨルダンのペトラに至っては約8000円も拝観料が取られているそうだ。このようなグローバル化の流れに東本願寺のお賽銭も追随しているのであれば、何ら違和感はない。
むしろ未だに払わなくとも拝観しようと思えば拝観できるのだから、まだまだ謙虚な姿勢が垣間見えるとも言える。足元の円安やコロナが明けつつある中、お賽銭的に海外観光客を受け入れる準備は万端である。
歴史的な建造物としての動向もさることながら、お賽銭から見た東本願寺のあり方についても、関心を持ちながら探っていきたいと思う。
チームメンバー紹介
チームWith Song
クリエイター大山さんからコメント
梶谷さんの最初の印象は、「わ、体育会系だ。」であった。背が高く、筋肉質な体、日に焼けた褐色の肌で、白い歯をみせて笑う。ジブリの脇役に出てきそうな、人々に好かれる竹を割ったようなお兄さん。
フィールドリサーチでの梶谷さんのことを思い返すと、実際そんな場面はなかったが、なぜか「がははは」という声が脳裏に響き渡る。
そんな印象の梶谷さんであったが、街歩きの訪問先として京セラの創業者である稲盛和夫氏の哲学を垣間見ることができる京セラ本社・稲盛ライブラリーを選んだ。その時の梶谷さんには確固たる意思が感じられた。
この意思はどこから来たのかと考えてみると、ご自身の証券会社の営業として結果を出すことを目的に新規開拓に邁進した前職から、現在の管理本部での業務が繋がっているのだろうと推測する。営業職から管理職へとキャリアが変化した変遷が、京セラ創設者の稲盛氏が技術者から日本を代表する経営者へと変貌を遂げたという点と重なったのだろう。稲盛氏が大切にされていた精神である利他の心に触れた後の梶谷さん。
しかしながら今回一緒に時間を過ごす中で感じたことは、梶谷さんはすでに利他の心を持ち合わせており、今回の訪問を経てそれが補強されただけなのではということだ。街歩きの中で垣間見た梶谷さんの言動がそれを語っている。
例えば街歩き中に立ち寄ったお菓子屋さんで、梶谷さんは見落としそうなくらいの速度でお店の人気商品であるチーズケーキを家族へのお土産として購入されていた。また、私が道端に倒れていた植木鉢を見つけて元に戻そうとしていた時にはさっと手を差し伸べてくださった。
「力だけはあるんで任せてください!」と言いながら二カッと笑う梶谷さんは、利他の塊であった。