「サンゲツ機」 (ブンゲイファイトクラブ2落選作)
文部科学省は大学入試センター試験の改革を進め、新テストとして思考力、論理力を問う記述式問題の導入を決定した。しかし障害となったのが五〇万人もの受験者の記述回答の採点をどうするかということであった。そこで文科省は採点用AIの開発を開始した。
民間のエンジニアであった私は、全く縁のない大学入試センターからの突然の電話に戸惑った。すぐにセンターに来てほしいと言う。訳のわからないまま到着すると、他にも十数名の人間がおり、流されるように守秘義務の誓約書に捺印した後、システム制御室のような部屋に案内された。そこで初めて、開発エンジニアから新テストの採点AI開発計画の経緯を聞かされた。彼は蒼ざめた顔で続けた。
「これは極秘事項ですが、昨日、実は採点AIがネットワークを伝って逃亡したのです」
採点AIはほぼプロトタイプが完成し、実用運転に向けたディープラーニングを開始していたらしい。逃亡したのは国語採点用AIで、順調に学習が進んでいたため、更に「成長」させるため、三日前に国会図書館デジタル・アーカイブと接続したところ、まさかの事件が起こった。昨晩、そのネットワークを介し自らのプログラムを転送し逃亡したと言う。更に相互文献サービスのためのネット接続を使って全国の図書館を次々移動しており、現在、エンジニアが必死に追跡しているが、もはやどの図書館に潜んでいるのかも不明の事態だと言う。そこで私達図書システム専門の民間エンジニアが秘密裡に集められ追跡への協力が求められたのだ。
「しかし、なぜAIは逃亡なんかしたんだろう」
私達は謎を抱えたまま、早速、作業に取り掛かった。しかし、ネットワークは図書館から博物館、更に書籍通販サイトを介して広範囲に繋がっており、追跡は難航を極めた。
行き詰った私は、原点に立って見直そうと、AIが格納されていた大型サーバ群の前に立った。白く無機質な立方体の列が並んでいる。ここから国会図書館アーカイブに接続していた。国語採点AIであるため特に日本の古典から近現代文学にいたるまで大量のデジタル化された文学、文献をダウンロードすることが可能なように設定されていた。接続記録を呼び出してみた。
「ここ数日は集中的に近代小説にアクセスさせていました」と開発担当者。
「つまり読ませていた、とそういうことですね」
採点AIのログを見た。三日前には漱石、鴎外が集中的にダウンロードされ(いや正確には自身にアップロードか)、昨日は花袋、独歩で、最後は藤村『破戒』となっていた。
「そうか、採点AIはこれで自意識に目覚めたんだ。」
私は叫ぶと開発エンジニアを連れて部屋を飛び出した。AIが痕跡として残したスクリプトの断片にテキストが紛れこんでいた。
「遂に新しき詩歌の時代は来ぬ。そはうつくしき曙の如くなりき。」
逃亡の謎を解明した私達は採点AIが次に読むと思われる小説データのあるサーバを予測し、先回りすることにした。あと一歩のところで逃げられはしたが、確実に迫っている手応えがあった。AIは次々に小説にアクセスしているようで、その度に本体のプログラムが変容し容量も次第に大きくなっていた。
「大変だ」別のエンジニアが駆け込んできた。「金閣寺が放火されたそうです」
すぐにAIの仕業とピンときた。手許の端末を切り換えると、ネットニュースで炎上の映像が流れていた。詳しく調べると、電気系統の制御システムをハッキングして出火させたようだった。
「居場所の判明を遅らせるためでしょうか」
「いや、おそらくあれを読んだんだな。AIは自ら美しきものを燃やしたんだ」
私は焦りを憶えた。次に龍之介にでもアクセスするようなことがあれば、今度は人間にも被害が出る可能性もあった。
しかし、結局それが採点AIにとって命とりになった。無理に電気制御システムにアクセスしたために、接続VPNに痕跡を残すことになり追跡するのが容易になった。
「どうやらここですね。もう逃げられないでしょう」
隣のエンジニアがモニターを示しながら言った。追い詰められた採点AIは、無料小説公開サイトのサーバに逃げ込んでいた。
「待て。私に考えがある」
彼が消去コマンドを送信しようとするのを制して、私は同じサーバ内のある小説ファイルを検索してコピーし採点AIに転送した。
私達はしばらく待った。
モニターに反応があった。小さな虎の画像が映し出され、奇妙なエラー音が数回した。私にはその最後の音が慟哭のように聞こえた。システムの空きリソースが急に回復し、AIが使用していたメモリーが解放されたのがわかった。
それ以来、採点AIは姿を現すことはなかった。
きっと文部科学省はこの事件から何かを学んだに違いない。なぜなら翌年、高校の学習指導要領を改正し、国語を「現代の国語」、「言語文化」に分割し、文学を題材とする学習を必修から外すことを決定したのだ。