朱く、赤く、紅く、そして

「準決勝戦のテーマを発表します。テーマは合戦」
 観覧システムに接続された観客から「おおっ」と心のどよめきが上がった。
「なんとかなるな」
 仮想空間の漆黒の闇の中に浮んだ、みさき先輩が頷くのが見えた。本当なら闇の中の動作は見えないはずだが、見えたかのように認識されてしまうのが表象VRの特徴。三組のペアで戦うルール。僕は残る対戦相手を見た。
 先鋭科技高校科学部を始めとする六組一二人。三年と二年の女子ペアの美麗女子学院と僕達を除けば、どこも二年生の同性二人。まぁ普通そう。五回戦(テーマは薔薇)を勝ち抜いた優勝経験のある強豪校ばかり。正直、僕達、県立質実高校が残れるとは思ってもみなかった。
 勝因はみさき先輩の優れた(抜け目ない)戦略眼と、先輩による三ヶ月の血も涙もない猛特訓(鬼か!)のおかげだったとは言える。僕は何度もやめたいと思った。
 何もない暗い競技用の仮想空間に、僕達も含め六組のペアがVRで等間隔で空中に浮いている。準決勝で半数になる。制限時間は十五分。その間に想像力の限りを尽くし専門家による審査判定を受ける仕組み。
 こうして高校生次世代仮想現実競技大会、通称、表象VR甲子園の準決勝が始まった。
 合図と同時に、各ペアが目の前に現れた入力空間に、空中から“像”を作り出し投げ込んでいく。高校ごとに違い像は図鑑や絵巻だったりする。すると、競技空間中央に、剣を構えた銀色の鎖帷子の軍団が出現、隣で騎乗した武士が炎の中を駆け回る。もはや美しいまでの見事な立体像。別のペアが本や漫画を繰り出した。銅鑼が鳴り青や赤の絢爛な古代中国の兵士が陣形を組む。
「よし、いけ」先輩が僕の肩を叩いた(痛いよ)。
 僕は必死で漢字を呼び出す。槍穂、剣戟、嘶き、咆哮、火焔、黒煙、叫喚、絶命・・・
 目の前に、荒々しい古代の辺境王率いる群れが出現した。
「いいぞ」先輩が微笑んでくれた。

 別の拡張空間での審査会議が終了し、競技空間全体に通知の蒼い光が明滅、空中に派手なテキストが浮かんだ。
「決勝戦進出は先鋭科技高校科学部、美麗女子学院科学部、県立質実高校科学文芸部!」
 えっ、勝った?
「やったぞ」みさき先輩は、喜びのあまり両手を挙げ空中を高速回転している。VRのアバターは本人の忠実再現だけど動きは制約されない。
 作り出した像は、想像の種別を示す拡張子アイコンで、実際には選手が想像した概念やイメージ、想念が詰まっている。これがシステムに接続された五〇名の審査員に伝わり、いかに鮮烈な表象を喚起するかを競う。想起された審査員の心象は総合されて競技空間に描写(出現)する。敗れた高校は、武器メイスの画や弩の使用法をうまく想起させられなかった。
 これこそ表象VRの醍醐味。
「いい、表象VRは現実を正確に再構成するものじゃない。既存データは一切禁止。選手が頭だけで作る喚起力がすべて。正確さよりもソーゾーリョク、わかる?想像と創造。よく憶えておいて」みさき先輩に何度言われたことか。

 喜ぶ時間はない。三〇分の休憩を挟んで次は決勝戦。
「悔いのないよう頑張れよ」
 互いに握手を交わす。離れた距離にいたのが握手の瞬間には全員が目の前に。敗れた選手(の再現アバターが)空間から消滅。今頃、没入ルームで脳インターフェイスを外そうとしているところだろう。
「あの高校の男子はかわいかったな」と、みさき先輩。
「でも彼女がいますよ。裏観戦スレで特定されてました」
「裏スレなんて見るな」
「すみません。見る気はなかったんですが、自分達の噂を聞いてちょっとエゴサしてしまって」
「私達のこと? なんて?」
「ちょっと言えません」
「言えないようなことなの」
 みさき先輩の問い詰める視線に僕はどぎまぎした。
「それより競技に集中しないと」
 先輩が首を傾げながら、姿勢を正して定位置につく。
 美麗は女子二人ペア、僕達は男女ペア。どちらにも似た噂がある。面白がっての無責任な噂。あちらは三年と二年の先輩後輩、こちらは三年女子と一年男子。それもまだ三ヶ月だけの先輩後輩。
 大会は秋。常識ある三年生は受験に備え引退する。だから普通は出場選手は二年生。ペアに三年生がいるのは、有望な二年生と絆の深さ故に敢えて残ったか(美麗女子)、異常な執念を燃やす変人がいる(うちだよ、とほほ)のどちらかだった。で、一年生はもっと珍しい。

「決勝戦!テーマは赤」
 観客たちのどよめき。前よりも数倍大きい。色テーマはこの一戦という時に出る、いわゆる神テーマ。
「赤か・・・」とみさき先輩。色が出るとの先輩の読みは当たった。
 色は表象VRの神髄とも言える。色ほど難しいものはない。色彩とは要は可視光線の波長領域だけど、色は個人によってイメージが違う。
「従来VRだったら色はただのカラーコード。数値で正確に再現できる。でも心に描かれる色はコード指定されたものとは違う。人が心に思い浮かべる色はみな同じじゃない。空色って言うけど、空は季節や気候や時刻で違うのに全く同じ色だと思う?」
「確かに」
「色認識は概念で同一化されているだけ。色名称を学習することで」これも先輩に叩き込まれたこと。
「虹が七色じゃない民族もいる。絵を描かせるとその民族の概念どおりに虹の色を描く。日本人なら七色。でも思い出して。均等に七色が並んだ虹、本当に見たことがある?」
「そう言えば」
「でも、概念で画一化される前、人は自由で豊かな色を想像できたと思う。本当の言葉には豊穣な色を表現する力があったはず。その言葉を取り戻すの」
「どうやってですか」
「漢字を使う。それが、今大会全体を通しての私の作戦。漢字にはとても豊かな喚起力がある」
 ずっと過去の競技を研究してきたみさき先輩(なんせ三年生だから)は必勝法?を考案した。当初、表象VR競技は、いかに博識になり厳密な情報を記憶し投入するかが主流だった。昨年、ある高校が詩の言葉を投射する作戦を採用し快進撃した。先輩はそれをヒントに、漢字を活用する作戦を思い付いた。漢字に秘められた想起力を利用する。それは色についても威力がありそうだった。
 ここにうちのペアの秘密があった(ここ、じゃあーんと鳴らしたいところ)。そもそも科学文芸部というおかしな名前。科学部のみさき先輩が、この大会向けに漢字に強い(と思い込んだ)文芸部と強引に合体させたのである(悪魔合体だよ)。どうやって生徒会を説得(脅迫?)したか考えるとちょっと怖い。逃げきれずペアになったのが立場の弱い一年の僕。そりゃ、裏スレで変な噂も立つか。
 先輩の練習は過酷だった。表象に沿った漢字を即座に出す訓練をさせられた。
 人の夢、「儚い」
 秋の心、「愁」
 夕暮れの教室で練習していると、先生に「お前ら、なにやってんだ」と呆れられたこともあった。
 この大会に懸ける先輩の情熱は怖いぐらいだった。ある時、どうしてそこまで?と訊くと「私には私の青春がある」と答えた顔はマジものだった。

 いかにして、表象として最も赤い色を描くか、単純だがこれほど過酷な競技はない。
 先鋭科技高校が、入力空間に科学図鑑と解説書を投入した。突然、眼も眩むばかりの光輝が弾けた。なんと赤色巨星が出現した。誰も直接観たことはなく、どれほど赤いかも定かでないが、イメージはとにかく圧倒する赤さだった。表象VRでなければありえない。
「落ち着いていこう」
 先輩の声に僕は漢字を想起した。

 朱

 茜

 紅

 赤

 色彩と心に映る色は違うもの。心の色には記憶や想いが塗り重ねられている。競技空間に現れた色の塊がどんどん深い真紅になっていく。
「ぶっ倒せ!」先輩が競技に似つかわしくない言葉を叫ぶ。
 僕は切り札を出した。

 赫

 燃えさかえ輝く炎の色。RED-RED。僕の思う最高の赤へ。

 これまで動きのなかった美麗ペアが本を投じるのが見えた。書物の内容が投企されたのだ。書籍データのダウンロードは禁止なので、二人で本の内容を頭の中で再構成したのか。それでは制限時間いっぱいを使うことになるが、そこに賭けたということか。
 暗黒の空間に紅蓮の文字が出現した。
 燃えるような赤い「A」
 観客からどよめきと言うより、むしろ悲鳴のような声が上がった。
「やられた」みさき先輩が拳を握りしめた。「緋文字だ」
 その赤さは禍々しいほどだった。
 僕はすがるように先輩を見たが、弱々しく首を振っている。
 実際にAの文字は轟々と燃えているかのよう。
 もう駄目なのか。先輩の最後の挑戦なのに。
 ふと、僕は裏スレの噂を思い出した。もちろん、あんな事実はない(ないんだけど)。
「みさき先輩!」僕はあらん限りの大声で叫んだ。観客はもちろん、ネットワークを介してクラスメート、教員や保護者にも届くだろうな。あっ、うちの親だって聞いている。かまうか。声を振り絞った。
「最初、僕はこの部活そんなに好きじゃありませんでした。でも必死に取り組む先輩の姿をずっと見てきて、わかりました」
 僕は入力空間に音声入力(叫んだ)した。
「先輩の部活動への情熱!」
「そして僕の先輩への気持ち!」

 あとのことはあまり憶えていない。
 紙吹雪の舞う巨大テキストが頭上を回転し、そこに「優勝 県立質実高校」とあったこと、みさき先輩に頭をごつんとされたかすかな記憶。
 後日、審査委員会による表彰式と講評があって、みさき先輩と二人で表彰台に上がった。裏どころか表SNSもどんな話が流れているか怖くて見れない。
 ただ、その審査講評である真相がわかった。僕の言葉が最も赤い色を生んで優勝したと思い込んでいたけど、実は続きがあって、なんと先輩が自分の顔を入力空間に突っ込んだらしい(ええっ!なんて無茶な)。それが最後のダメ押しになったとか。
 僕は見ていないけど、先輩はいったいどれだけ「赫い」顔をしていたんだ? 
 いや今は先輩とは呼んでないんだけど。

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