
私のパニック障害事情
目に見えない問題に着目する時代になってきた。
パニック障害
こやつの名前を知っている人も増えてきたように感じる。
今日は、これからパニック障害と付き合っていく人のためにゆるゆる記録をしていこうかなと思う。
基本情報
・中学時代に発症し、現在進行形。
・パニック障害特有の「また発作が出たらどうしよう…」という不安はなし。
※他に抱えている障害の方が厄介に感じていたため、パニック障害の方はあーもう仕方ないなー付き合っていくしかないからなーと諦めモード
・「発作出るかもしれんから辞めとこ…」と何かを諦めたり避けることはありましたが、その取捨選択は「寝坊するかもしれないから約束お昼にしよ…」みたいなものでパニック障害以外でもよくある事だと思っている為、パニック障害に対して感情的なものは抱いておらず。
・標準装備だと思っているため、パニック障害に対して感情的なものは特になし。
・そんな典型的な「また発作が出たらどうしよう」の不安がなくても、発作が出る時は出ます。別件で心に負荷がかかった時など。
・苦しくて疲れるけれど、そのうち慣れる。なんなら慣れたら本格的な発作を起こす前の段階でやり過ごせるスキルを習得できます。
悲観せずに自身を分析してみて下さい。
分析の材料になる情報や参考になることがあったらご活用ください!
中学生
電車通学
・朝は満員電車
・ 乗車時間10〜20分程
発作頻度と具合
・覚えていない
・発作を抑えるスキルが低かった
主な発作場面
・家に居る時
発症。
と言っても、当時はこの自分に起こっている症状がパニック障害だとは知らなかった。
抱えている生きづらさに対して工夫しようという意識が既にあったことと、過呼吸の対処法を知っていたので倒れても困ることはなかった。
(小学生の頃からHSPで生きづらかった上に、当時はいじめもあって抑うつ状態だった事から何かしら問題を抱えることが日常茶飯事 というモードでした。)
「またなんか起こってるな〜」程度に認識し、特別な「異常事態」と捉えずにいた。
発作が起こるのは家にいる時間帯や 1人の帰り道などが多く、人に迷惑をかけたり部活の進行や学業に支障の出る形では起きなかったので早急に何とかしようとも思わなかった。毎日疲れていたので、これ以上疲れることを考えたくなかったのもある。
死ぬほど苦しくても死ねないことは知っていたので一旦放置。
ただ、しんどいし困ることには困るので「この現象はどういう条件で発生するんだろう?」と分析はした。
・心のザワザワが頂点に達する時
・憤りで興奮した(キレた)時
つまり感情MAXに脳が支配された時が発動条件となると理解したため
なるべく心を落ち着かせる工夫をして過ごしていた。
毎日必死に生きた。
ネットの交友関係が命綱だった。
部活も嫌なものはさっさと辞めて
好きなものをたくさん兼部して息抜きしまくった。
いじめは少しずつ落ち着いたり
別のいじめが起こったり
それもまた落ち着いたり
病気で入院したり
他はあまり記憶にない。
高校時代
電車通学
・朝は満員電車
・乗車時間60分程
・痴漢に遭わない日が珍しくラッキーなくらいのクソな乗車環境
発作頻度と具合
・めっちゃ多い
※発作を抑えるのも発作が出てしまうのも
・しんどくて常に疲れていた
(金曜日に寝て日曜日に起きる)
主な発作場面
・朝の通学時
・お出かけ中、街中
新しい環境に移行し、好きなことを勉強できる喜びと 対人関係のストレスから一気に解放され精神的にゆとりが出来た。
しかし、頻発する痴漢に悩まされとうとう通学が困難となり、重い腰を上げて発作の症状について詳しく考える気になる。
パニック障害という言葉を思い出し、もしかして私のこれもパニックなのでは??と思い至る。
過呼吸の発作はもちろんのこと、自分で気をつけていた対処法とパニック障害の対処法に共通点が多かったため、そう自己診断する。
病院には行かず自分の生み出した対処ので乗り切って過ごす。
発作前は心がザワザワするため、それを察知したらすぐに電車から降りたり 人混みから抜ける。
小道、トイレに入ったり、座れる場所を確保してやり過ごす。
温かい飲み物を抱えたり飲んだりしながら
深呼吸して 眠れそうだったら一眠りする。
過呼吸直前の「涙、呼吸の乱れ、震え」段階であれば寝てしまえはま確実にバレずにやり過ごせる。
過呼吸に発展してしまうと 呼吸がうるさいし 動けなくなってしまうので スピード勝負。
一眠りして起きた頃には大体落ち着いているので、各駅停車に切り替えたり 通り道をしたりして ゆるゆる通学していた。
担任には話していたので、ザワザワを感じた段階でメールをしたら 遅刻しても親に連絡はしないでくれていたし、たまにミスっても察してくれたのでどの道連絡が行くことは無かった。(今思うとめちゃくちゃ有難い)(でも今思うと緩すぎて危険)
発作を落ち着かせている間、道行く人に心配されて声をかけられると 呼吸が乱れて発作が出てしまうので、話しかけられぬよう 「一人の時間を楽しんでいる人」「居眠りしている人」の演出をするのがポイント。
(発作が出てしまうと喋れないので救急車を呼ばれて親や学校に連絡されたりととにかく後処理がめんどくさい!!!)
マスクをして呼吸を隠して(今思うとペーパーバック法にもなっていた?)空を眺めている人の振りをしたり
携帯を手に持って スマホをいじっている人の振りをしたり
iPodを手に持って 音楽を楽しんでいる人の振りをしたり
鞄を抱き抱えて枕にしてがっつり寝る体勢になったり
もろもろ小細工をしていた。
トイレだと静かで呼吸音が目立つ上に 長時間入っていると迷惑がかかったり怪しまれることがあるため
電車通学中の場合はなるべく駅構内のベンチで鞄を膝に抱えて枕にして一眠りするのがお決まりだった。
人の入れ替えが激しいから 誰も気にしないでくれる。
駅に着いて学校に向かって歩き出していて 座れる場所を過ぎてしまった時は、壁をつたいながら歩いた。
この時も人に心配され声をかけられないようスマホを見て立ち止まる人の振りをしながら休み休み歩く。
保健室に寄ってから教室に向かう事が多かったため、クラスメイトからはめちゃくちゃ遅刻魔だと思われていた。
移動教室のフェリーに乗っている時に発作が出てしまいバレた。
しかし、仲良い友達は普段からエレベーターに並んでいても人がいなくなるまで待っていたり、人混みを避けて生活している事を知っていたのですんなり納得してくれた。
また、専門高校特有の「変わった人が多い」メリットのおかげかクラスメイト全体との距離感のおかげか特に特別扱いされることもなくただ認知されて終わった。
パニック障害の特徴としても、個人的なHSPの性格からしても、人に気を遣われるのがめちゃくちゃしんどいためこれはかなり助かった。
ひたすら通学がしんどかっただけで、専門高校で好きな勉強ができたこと、ネットを通じて好きな活動にのめり込めたことは精神衛生上かなり良く、中学生事態と比較すると格段に生きやすく感じていた。
基本的に休日の外出は出来なかった。
金曜日に起きて日曜日に起きるような疲労具合。
出かけようとしても、玄関で心臓バクバク。
家出る準備して、玄関で一眠りしてから、家を出る。という謎のルーティンが多かったため遅刻しかしていなかった。
作品作りとインターネット最高。
教科ごとの出席日数を数えて気をつけながら
なんとか無事に卒業!
大学生
電車通学
・乗車時間1時間40分程
発作頻度と具合
・高校時代より落ち着いた
・しかし期間での波が大きい
主な発作場面
・人が多い講義の時
・メンタル不安的な時
単位に関してかなり厳しい大学で出席日数が不安だったのと、演技の仕事を始めて舞台の待機時が不安だったため心療内科の利用を始める。
ちなみに高校時代は親にバレると面倒だったのと(親に連絡行くかもしれないって思ってた😇)自己流対処法で何とかやって来れたため別にいいやと思って行っていなかった。
けれど「教育に強い女優」を目指していたためしっかり勉強したくて単位を落とす訳にはいかなかったのと、仕事を始めるならそんな自己流じゃ無責任だと思い2度目の重い腰を上げる。
結果、普段の対処法で問題はなく
頓服として 薬を処方された。
心がザワザワする滝に飲むと落ち着く…が、
かーーーなーーーりーーーー眠くなるので授業に集中できず…
授業をしっかり受けたい自分としては悪薬となったため、できるだけ飲まずに過ごした。
いつも通り人混みを避けて心のゆとりを意識して 咄嗟の避難場所を探しながら生活し、
人混みに混ざらざるを得ない時はイヤホンをしたり音楽を聴いたりと外界の音をシャットアウトして自分の世界に集中した。
仕事場には3〜5時間くらい早く着くよう家を出て、ゆっくりゆっくり寄り道したり心を休めながら向かった。
電車は基本 睡眠・音楽を聴く・読書 で過ごした。
好きな仕事と好きな勉強ができていたため
ちょこちょこ倒れる事は多かったけれど
恋人や仲の良い人には事前に説明済みだったため
協力してもらいながら学業・仕事に支障は出さずなんとかなった!
大学院生
電車通学
・乗車時間25分程
・満員電車少なめ
車通勤
・乗せてって貰える
発作頻度
・時期によって波がある
主な発作場面
・バラバラ
予測不能過ぎた
大学院は大学より近く、満員電車もましになった。
研究に集中するためがっつり俳優業をお休みし、入れ替わりでゆるゆるとモデル業を開始。
大学時代からの塾講師を続けつつの大学院生。
が、パニック障害よりも自律神経失調症が酷く、ぶっちゃけパニック障害どころじゃなくなった。
朝起きて学校に行けるかどうかが勝負だった。
昼過ぎになると動けるので塾講師は何とかなったものの、朝早い講義や休日の予定は犠牲となった。
ドタキャン続きで友好関係が悪くなったため、プライベートは一切断ち切りひたすら研究と仕事に打ち込んだ。
好きなことを研究出来ていたためストレスは減っていった。
1年で単位をほぼ取り切る事が出来たため、2年も上限ギリギリまで好きな授業を選択しまくってメンタルを安定させた。
授業の合間に仕事に出たりと忙しかったものの、歩いている間に考えを整理したり 身体を動かしてストレス発散にできたので良かった。(職場まで徒歩40分)
お休みしていた俳優のトレーニングを再開し、新たに学校講師の話を受けたので始めることにした。
どちらも研究の一環となり、より研究と仕事に打ち込めた。
安定が続くよう、相変わらず心療内科では頓服用に薬を処方してもらっていた。
心因性の咽喉頭異常感症で喉がめちゃくちゃ痛くて飲み食いできない、声が出せない期間が何度か起こるも
とりあえずパニック障害では人に迷惑かけずに何とかなった!
修了後
電車勤務
・勤務地による、いずれも30分以内
車通勤
・乗せてって貰える
発作頻度
・かなりたま〜に
主な発作場面
・久しぶりに満員電車に乗った時
休んでいた俳優業を再開。
塾講師、学校講師の仕事を続け、モデル業を増やす。
時間の希望を出して条件に合うところとしか契約しないため、かなり生きやすくなった。
自分主体で時間を調節できるって最高!凄い!生きやすい!
また、学生の頃より金銭的に余裕が出てきたためギリギリまで家で過ごしタクシーを利用したり、特急ロマンスカーの利用頻度を上げて 心のザワザワを未然に防ぐことができた。
仕事と仕事の合間の時間にカフェでゆっくり過ごしたり一人カラオケ、マッサージなど心身を癒す時間を作るようにしていた。
しかし、段々と過労で鬱になりパニック障害どころではなくなった。
忙し過ぎてカフェやカラオケ、マッサージはもちろんの事、心療内科にも行けなかった。
本当に毎日時間がなくて毎日必死に生きた。
現在
電車勤務
・勤務地による、いずれも30分以内
発作頻度
・かな〜りたまに
主な発作場面
・久しぶりに満員電車に乗った時
パワハラモラハラスパルタなトレーニングを辞める。
新しい仕事の話がきたため、鬱もあり講師の仕事をがっつり辞める。
その仕事が某ウイルス騒動で失くなる。
自粛と失業コンボで家にいる時間が多くなる。
「何もしない」を体験。
鬱が回復。
パニック障害も落ち着く。
自粛引きこもりが快適過ぎて電車移動耐性が弱まってしまったのだろうか。
日常生活が戻り始めた今、また心がザワザワしやすくなってきてしまった。
予定のない日にひたすら心を落ち着かせたり、特急ロマンスカーの利用頻度を上げて 余裕を持った外出移動を心掛けている。
何も予定のない日を1ヶ月に3日は作ろうと心を入れ替えている。
そんな今。
総合
今こうして振り返ってみると
スケジュールを組織に合わせ無ければならない立場にいる学生時代が1番しんどかった。
自分で時間や場所を交渉できる立場になった途端、かなり生きやすい。
あとは頭では分かっているし当たり前なのだけれど、やはり精神の充足を得る時間を死守することが一番の薬。
もしもそういった環境が用意できないのであれば
5時間など大規模に早めの到着時間を目指し、一人の時間を味わったりお散歩しながら移動する。
車・徒歩 の利用をメインとして共用乗車物の乗車時間短縮を図る。
こちらを目指してみて欲しい。
私はASDの特性で、
ペース配分が出来ない(最初から全力を出し過ぎて力尽きる)
時間ピッタリじゃないと気持ち悪い(17:00集合なら17:00ちょうどに集合場所に着きたい。10分前に着いてるとかが気持ち悪い。)
だったので、それらも悪く作用してた気がする。
あと好きな人(アイドル)を作ると頑張れた。
学校近くのコンビニ店員さんのファンになってからは、毎朝その人の姿を一目見ようと壁を這ってでも行くぞと通学頑張れた。
同じ理由で勉強が好きだったから通学頑張れたんだろうなと思う。
好きな勉強をすること
学校に好きな人(アイドルや先生、友達)を作ることは大事だ
そして個人的にはミンティアのハードをめちゃくちゃ食べていました。
これは私がメンソール系と相性が良かったからかもしれません。
また、電車はドア横を確保して、ドアの隙間から外の空気を吸っていました。異常を感じたらすぐに降りられるのも利点です。
けれどその場所は痴漢に遭いやすいらしいのである意味プラマイマイナスです。
でもどこにいたって席に座ってたって道を歩いてたってどこにでも痴漢はいるよ!!
ここまで来ると場所はあんまり関係ないだろもう!!だったら少しでもましなところを選ぶよわたしゃ!!って思ってる
あとHSP特性が原因でもありますが、救急車のサイレン、飛行機の音、避難訓練が苦手で、その度に発作出そうになるのは変わらなさそう。
昔から怖くて苦手で耳を塞いでいました。
本当の震災では臆せず動けるので、音自体が苦痛というより避難訓練特有のわちゃわちゃした雰囲気の方が苦手なのかも。
授業中不真面目な生徒のお喋りが耳につくみたいな…本来真面目になって欲しい場面でふざけてる人がいると不愉快さで心がいっぱいになって悲しくなる。
大学時代はその憤りからの発作も多かったです。これも恐らくASD特性。
音が苦手なのは大きい音自体が苦痛なのもあるけれど、テレビや資料館で目にした戦時中の映像がフラッシュバックして動悸がやばいことになるからっていう謎PTSDも理由。
また思い出したら追記します。
いいなと思ったら応援しよう!
