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外へ 【掌編小説】

時間だけが経過していくのを肌の表面は感じていても、体の中では感じることができずにいた。
「じゃあ少なくとも家の中にはいてね。」
友里はそう言って仕事へ出かけた。部屋で安静にしているようカウンセラーの先生に言われた通り、家の中での生活を余儀なくされていたが、落ち着かず何度も家を飛び出そうとしては友里に止められていた。
友里が出て少しの間が空いてから、私は彼女の言葉をあっさり裏切り、外へ出た。
薄紫のプリムラがアパートの前の花壇に小さく佇んでいるのをチラと見た。

ひとりなんとなく商店街に出て、アーケードとアーケードのあいだの横断歩道を渡ろうとしたとき、偶然にも彼女のお母さんが交差点の向かい側で、赤信号で自分と同時にちょうど足を止めたタイミングだった。このお母さんは普段物静かな人で、気付いても大胆に驚く様子もなく、こちらへ小さく手を振った。初め会った時は無愛想な人なのかと思ったが、自分の中での恋人の母親像が世話焼きで、なんとなくガヤガヤしたイメージであったというだけで、実際何度か会って話しているうちに恋人の母親とはこんな感じなのかと気づいた。それでもシャイなのであるのは自分がそうであるからか何となく感じ取っていた。
「こんなとこで会うなんてね。」
「お買い物ですか?」
「ううん、ちょっとそこの内科にね。」
お母さんは目を合わせず、どこか意識が遠くにあるような感じを受ける。
「お体、どこか悪いんですか?」
「前からね、持病でずっとかかってるの。週に1回お薬もらいにね。」
「あなたはお買い物?」
「いえ、ちょっと息抜きに。」
「そう、息抜き大切ね。」
少しの間があった。次に口を開いたのはお母さんの方だった。
「友里をよろしくね。」
お母さんは小さく微笑んで体勢を前に戻し、横断歩道の残り半分を渡り始めた。自分はなぜかすぐに動き出せず、青が点滅しているのに気付いてやっと小走りで横断歩道を渡り切った。お母さんの何気ない一言はおそらく何の意図もないのだろうけれど、自分にはものすごく恐ろしい言葉に聞こえた。そしてなぜか無性に友里が今どうしているのか気になり始め、と言ってもいつもの職場で事務の仕事を淡々と真面目にこなしている以外なかったが、それでもまた立ち止まって、迷惑は承知で友里に電話をかけた。
「どうしたの?」
口下手な自分であっても、説明しようと努力すれば説明できた状況であったが、なぜか口をつぐんでしまう。
「なんなの。」
彼女は苛立ってはいないが、もちろん楽しげでもない。仕事中であるから当然のことである。
「さっき、お母さんに会った。」
「そうなの。どこで?ていうか家から出たの?」
「ごめん。商店街で。お母さん内科の帰りだったよ。持病があったなんて知らなかった。」
「肺が少し悪いの。言ってなかったね。まだ外にいるの?」
「ううん、もう家。…じゃあ。」
「要件は?何かあったの?」
「ううん、また話す。」

平日の昼間の商店街は閑散として、小鳥の声さえはっきりと聞こえてくる。用もなく、商店街沿いにあるスーパーへ入ると、店内には自分と同年代の人間は一人もおらず、レジや品出しをしている従業員さえも年配の人たちばかり。店に入ってすぐの漬物コーナーを何気なく眺めた後、店内を当てもなくぶらぶらした。途端に、巨大な鉛玉のようなものが胸に転がってくるのを感じ、積み重なったカゴの山に、握っていたカゴを無造作に重ねて、スーパーを飛び出した。

アーケードの中を早足で突き進み、気が付けば、自分のアパート近くの公園まで来ていた。公園を入ってすぐの長いベンチには主婦たちが腰掛けて談笑している。そのそばの滑り台では子供達が無邪気に駆け降りている。自分にはどうでもいい風景であるのに、いちいち目に留まって、えも言われない気持ちになる。公園の枯葉を掃いている薄いグレーのニット帽を被ったおじいさん、ブランコのあたりにたむろっている鳩たち。何でもない風景がただならぬものに見えるのは自分が精神に異常をきたしているせいなのか。


友里は19:00ぴったりに玄関の扉を開けた。ベッドの上で寝転びながら、何も考えずつい見入ってしまっていたYoutubeの何でもない動画から、玄関の扉を開く音が聞こえて慌てて画面の左端上の時刻に目を移した。手を洗った友里がリビングへ行った後、自分がいないことを知って、寝室にやって来る一連の音だけにただ耳を澄ませた。
自分は部屋の扉に向かって背を向けていたが、扉を開けてから少しの間があったから、友里は立ち止まって言葉を発する前に少しの間こちらを眺めていたのだろう。
「ここにいたんだ。風邪引くよ。」
友里はそう言って中へ入ることなく、音が立たないよう扉が閉まりきるまで神経を使っているのがわかった。


翌朝も、約束を破って家を出た。何も感じない、そこにある空気に肌で触れながらただ黙々と歩き続けた。


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