馬鹿正直な心療内科医が、何を起こしたかという話 ②
引っ張るほどの話でもないので、サクサク更新。
心療内科の研修は、外来については初診の陪席、実際の診療については入院患者を担当することから始まる。そして、毎週サマリーを仕上げ、数人の小カンファレンスで治療方針を検討する。
そして、一番の肝は患者さんから許可を得て、
面接を録画するビデオカンファレンスだ。初学者の頃は、このビデオをみながら面接の逐語記録を起こす。一方で教授が直々に時間をとり、他の研修医も交えた場でビデオをみつつ指導してくださる。
これを、「めっちゃ贅沢……!!」と思うか、「どんな羞恥プレイ……」と思うかは人による。
ともかく、「馬鹿正直」あもうは愚直にビデオを撮った。ちゃんと用意するほど指導の機会は増える。だから、患者さんに許可をとってはせっせと面接を記録した。
あるとき、1人の入院患者、Zさんを受けもった。年齢性別、病状は伏せるが、「両親も親類もおらず、身寄りなし」との本人の弁だった。
Zさんの主訴は掴みにくく、診察、検査をするもいずれも有意な所見がなかった。このことに、Zさんは不満げだった。私が検査結果が異常がないと告げるたび、あからさまにガッカリされた。確かに異常がなければ症状にアプローチも難しい。ただ筋力低下は認められたので、外来で気長にリハビリをと私は青写真を描いていた。
しかし、そう簡単にはいかなかった。ある日の面接は拗れに拗れ、その記録を私はカンファで提示した。
「Zさん。検査結果の説明を含めた、面接記録です」
面接記録は、私がZさんに結果説明をするところからはじまった。
「……ということで、現在の結果を踏まえると外来で筋力をつけるためにリハビリをされるのが良いと思います」
「先生、本当にこれ以上検査はないの?」
「えぇ、ここで異常がみられた場合は追加検査が必要でしたが」
「それはどういう検査なの?」
私は、ざっくりと追加検査の説明をした。それはある程度侵襲性が高く、今のZさんには医学的に明らかに過剰な検査だった。
「それ、やってよ」
「え」
「異常があるかもしれないじゃない」
「Zさん、そういう理由で出来る検査ではないです」
そこからは検査をする/しないの一点を巡った議論が始まり、最終的にZさんはこう言った。
「先生、それは私のためを思って言ってるんだね」
「そうですね、今のZさんの症状を考えると、医学的に必要ありません」
私がそう言い切って、面接は終了した。
そのビデオを観た教授は、少し微笑んで仰った。
「あもう先生、気づいた? 『裏面交流』だね」
『裏面交流』とは、交流分析の用語だ。私たちは表面的なメッセージ(建前)と同時に、裏の意味(本音)をやりとりすることがある。これを裏面交流という。
「侵襲性の高い検査は必要ない」という私に対し、何らかの理由でZさんは抗っている。更に意図してか知らずか、「先生、それは私のためを思って言ってるんだね」と確認するかのように尋ねている。つまり、Zさんには伝えたい「本音」があることを意味していた。
更に教授は私とZさんの自我状態をホワイトボードに記し、ストロークについても整理された。
「先生はCPからZさんのCに対して、『検査は必要ない』というストロークを送っている。対してZさんはCから『私のためを思って言っているんだね』と先生のPに確認している。けれど、本来問いたいことはそれではない。何か先生に伝えたいことがあると思うよ」
その図を真剣に書き留めながら、「これを踏まえて、次はしっかりと話を聞こう」と相変わらず私は馬鹿正直に考えていた。
Zさんの本音を、思い知らされるとも知らずに。
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