クリエイティブにじっくり考える
ずいぶん久しぶりの更新だ。
8月からデンマークに来ている。約1年間、来年の6月までの交換留学中だ。
3か月半が経とうとしている今、生活にはだいぶ慣れてきた。ただ、11月に入ってからの日の短さと天気の悪さには閉口させられる。11月19日現在、日の出は7時54分、日の入りは3時54分。お昼すぎぐらいにはもう夕方の気配がしてくる。ビタミンDを摂取して、何とか適応しようと努力している。
そんなこんなで上がったり下がったりの日々を送っているのだけれど、最近は自分の将来について考えていることが多い。修士課程2年の年にこちらに来たので、修了を最低でも1年延ばすことになる。それ自体はどうってことないと思っていた。でも最近、やっぱり思っていた以上に年齢というものに自分が縛られているのだなと感じる。
現在24歳。同年齢の友人たちはもうとっくに就職して、日々仕事を頑張っている。私もただ進学の道を選んだというだけで、頑張っていないわけではない。それでも社会的にはまだ「学生」という身分で、既に働いている友人の話を聞いたりすると何だか後ろめたい気持ちを抱いてしまう。
それは、自分の将来が定まっていないから生まれる感情なのだと思う。まだ学生であったとしても、既に将来のキャリアをしっかり考えられていれば、それほど大きな焦りや不安は感じない気がする。内省的な性格のせいで、いろいろと自分の過去や将来に思いをはせることは多い方だと思うけれど、結局定まらないままここまで来てしまった。留学という選択も、心から行きたいと思って、1年以上時間をかけて準備してたどり着いた道ではある。この選択を後悔はしていないし、得られるものが本当にたくさんあると感じてはいる。けれど、日本を離れてこんなに遠くに来てもなお、私は変わらず自分の将来が見えず悩んでいる。
本当につい数日前まで、来年度で卒業して就職しようと本気で考えていた。海外にいても、オンラインで面接や説明会をやってくれる企業は多くて、時差の問題はあるもののやろうと思えば就活をできる環境にはある。今の自分が持っている「使えそうなスキル」「アピールできそうな経験」をかき集め、「自分がうまくやっていけそうなところ」を見つけて、そこで求められる人物像に沿うように自分をどう表現するかを考えていた。要するに、自分の外側にある型に合わせて自分を変形させて、うまくやろうと小手先だけの努力をしていた。
あれ、私、学部生の頃とやっていることが変わっていない。
この小手先だけの努力は、私にとってすごく精神衛生に悪い影響を及ぼす。学部生の頃にも少し就活はしていて、同じような状況を何度か経験していた。大抵暗い気持ちになって、自己否定に陥ってしまう。自分の純粋な欲求を見失ってしまう。私はまた同じことを繰り返している。
ただ、今回は早く気づくことができた。まだ引き返せる。自分の年齢がちらつくことはあれど、ゆっくりで良いじゃない、と自分に言い聞かせる。そんなに焦って自分を変形させてまで就職の道を選ぶよりも、もっと他の選択肢を探った方が後々のためにきっと良いよ、と言い聞かせる。
こう思えたのは、ある人から、「キャリアを考えていて行き詰ったときは、クリエイティブになることを忘れないで」という言葉をもらったことが大きい。型にはまりに行こうとしていた私の目を覚まさせてくれた。相手は私の状況を全く知らなかったのだけれど、今で会えたことは偶然のようで必然だったのかもしれない。
それから、私がずっと好きで聞いている「本と学びと私の時間。」というポッドキャストを聞いていて、自分の感情とどう向き合うかというお話を聞き直したことも大きい。こちらも偶然なのか必然なのか、今聞くことができて本当に良かった。いつもありがとうございます。こちらに来てからも欠かさず聞いています。
こちらに来てから、ますますポッドキャストが心の支えになっています。ポッドキャストがなかったら私はどうなっていたことか…。
もう同じ愚は犯したくない。自分への戒めとして、書き残しておくことにしました。悩んでばかりの自分が嫌になる。でも、これが私なのだと受け入れるしかない。長い回り道をしているような気がするけれど、悩んでも良い、じっくり考えよう。