あの頃、特別になりたかった私たちへー「ベオグラードメトロの子供たち」感想
これにビビッときたら、成人済のかたはこのnoteの記事を閉じて今すぐ買いに行ってください。
公式サイト▽
PV▽
https://www.youtube.com/watch?v=grKtvbBgouE
さておき、今年の夏にやっとプレイできたベオグラードメトロの子供たちの感想文です。夏にプレイしたいよな!って気持ちから去年の秋に買ってからあったためてお盆で一気にクリア。「ノベルゲー、たまに選択肢があるけどそこによってルートが変わることはない」って感じですね。選択肢によって差分が増えるよ!例えば女装パターン!嬉しい3種類!
ここから先はネタバレ全開にしていくので未読の方はプレイしてからの方がいいかもしれません。
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夏。夏と聞かれたら、何を思い浮かべるでしょうか。
強烈な日差し、茹だるようなアスファルト、水の冷たさ、生い茂る雑草、水着、ひまわり、花火、アイスクリーム…たくさんあると思います。
何よりもそのたくさんの夏を堪能できる自由時間「夏休み」は子供にとって学校のカリキュラムから外れた自由で、自在で、でも親を意識する縛られたモラトリアムです。
このゲーム、年齢制限の為プレイヤーの大半は学生時代を過ごし終わったか、または残り時間が見えてきてしまった人であろうと思います。もう終わった、もしくは終わりかけの時代が対象なのもすごく良いですよね。
「ベオグラードメトロの子供たち」、ひと夏の冒険の末に「何者か」になりたくて憧れた少年が「特別な何者」から「特別になり得ない、何者でもない自分」を手に入れ直してしまうに至るまでのお話だったんだな〜とプレイ直後思いました。改めて言語化するとエグいな。
主人公であるシズキは作中の世界の中では「特別でもない少年」です。
" 同い年のサッカー選手、同い年の歌手、同い年の何者か。俺らとは大違いってわけ。何者でもない奴は透明人間と同じだ。俺らは誰からも顧みられないと思ったよ…"
冒頭でも引用したけれど、このモノローグでシヅキの鬱屈ぷりが伝わる。誰かに顧みられたかったってわけ。社会認識と自我の高まりがあるが故の「上手くいかなさ」を表現して大変好きです。
また、こうした自暴自棄パートの自暴自棄さ、鬱屈が晴れる事なく見せつけられ、手の届かないそばの幸福に脳が焼かれるのを阻止するために胸の中が燻っててるのがあって最高ですね!手に入れたいけど素直に言えない。それは自分が不幸で手が届かないと惨めさを認めてしまうことになるから。
……はあ、この言い回し好きですね……。
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序盤に出てくる、超能力者(サイキッカー)デジャンとのチームプレイなどを見て「能力はないけれど、ないからこそ頭を回転させてのし上がっていく姿を追いかける」展開かな?と思ってました。実際、そういう側面は序盤から終盤にかけての能力者とのバトル・スタイルに現れています。
このスタイルをくりかえしてきたので、私はシズキと同様に思い始めるのです。彼(シズキ)はもしかしたら、出来るのかもしれないと。特別な力を持てば、特別な誰かがいれば、もっともっと、特別な誰かになれるのではないかと。
そして度々「シズキ」には「無能力者で、今のお前のままでは何も変えられない」ことを叩きつけられます。デジャンのくだりが1番しんどかったですね〜。シズキの姿では、彼のことを変えられなかったのに、妹(女装)姿で接したらら、デジャンが持っていた頑なさをどこかにおいてしまった。近くにいたはずの自分以外が彼を変えてしまった。
いやーここまでする??ってくらいなんですが、必要だからするんですよね。シズキの、今のままでは何も変えられないぞ、というね。
そして終盤、彼は念願の「超能力」を身につけられる薬を手に入れます。引き換えと言わんばかりに、彼は彼の友人たちとの別れを繰り返します。さらに手に入れた特別な力を持っても、どうにもならないということを目の当たりに、そして身をもって体感します。主にマリヤの手によって。
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ゲームの雰囲気的に完全なるハッピーエンド!ではないと思っていたけど、それでも何もない少年が何かを手に入れる話とは思ってましたけど、最終的に手に持って残っていたのが「破滅」ないしは、「何もないことを認める」物語だとはちょっと想像の着地点が違って驚きましたね……!個人的にはこの着地はめちゃ好みでした。
LINE1〜4の中で、個人的に1番好きだったのはインモラル的なルート2でした。あーーーーー共犯者……はへ……ま〜〜ネデルカの嬉しそうなこと!そうだよね!優しいシズキが自分のところに「来て」くれたんだもんね!そりゃそうよ!!!デロデロに甘やかして肯定したいよね!だってシズキは彼女を無視しなかったひとだから。慰め合いせ、最高に似合いそうだしシズキは…出来るんか…あの特殊プレイの数々の後に…と思うけど、できなくても体温に触れて甘やかされたい、そんな幼い願望むき出しの触れ合いだけの関係かもしれない。すみませんオタクの血が騒ぎました。
デジャンのルートは、逆にシズキの9話までの出来事を踏まえて浴びせるのめちゃくちゃ眩しすぎて辛かったですね…すごくいい話なんですけど……真っ当すぎて、もうお前の横に立てないよって感じがして…。あとこのデジャンルートは某「さらざんまい」を彷彿しました。
真っ当な償いをして出て来れた、現実を生き直しているデジャンが眩しくて仕方がなかった…。だってシズキは「贖罪」を手に入れることを一度は拒否して、「現実」と向き合いきれずこのルートに彷徨いでたのだから。
※1.4は個人的にはわかんなかったけど、超能力者というもの不可解なんだな!ヨシ!で結論出しました。このルート、どこか恩田陸のSFまたは幻想小説パート味を感じて懐かしくなりした。
あとここのパートのこのくだりがめ〜っちゃ好き。ってのをスクショ取ったのにどっかやってしまった…。
で、問題のLINE5。
大円団は泡沫の夢。全てが嘘の、虚構の、けれど優しい幸せで満ちたハッピーエンド。
…これを「ハッピーエンド」と呼んでいいのか、最初はとても迷いました。
でもね、だからこそ美しいと思ったんだなって、自分で3秒後くらいに気づいたんです。こうでありたかった、光り輝く未来を手にしたらこうだったかもしれないよね、という優しい祈りに満ちていたんですよ。現実で的で嫌味ったらしい、ひりつくような虚構のフィクションエンタメ作品が、最後に見せるとびきりの虚構の嘘(あい)で祈りを持って「物語」を閉じる。
……どこか地の足ついた現実的なルート2本、能力についての、本当か嘘かわからない、幻想的なルート2本の計4本挟んだことで、このLINE5の泡沫の美しい夢ルートがめちゃくちゃ際立つんですよ。
これは夢だ、と実感させられる極め付けはマリヤですね。あのスチルはダメだろ……と拍手しちゃいました。趣味がいい。徹底的すぎる。
虚構であるけれど、手に入らないけれど。
それでも、と作者ーエンタメの中から、現実に生きるプレイヤーに送る"祈り"を感じてたまらなかったです。
こうしてあの夏休みから始まった「ベオグラードメトロ」に纏わる、ひとつのモラトリアムが終わりました。子供っぽい、くすぐったいような、光り輝く美しい夢を私たちプレイヤーに残して。
……は〜……。はー…!!
この余韻。本当に素晴らしかったです…!!!
私たちの大半は「特別な誰か」にはならない。なれないまま、生きていくしかない。しでかした事は変えることも出来ない。受け入れるしかない。それでも優しい夢を見ることは、モラトリアムーひと夏の冒険が終わっても許される。
エンタメにしかできない、許されない芸当だよこれ。は~~~~………。
これ、モラトリアムから離れた人間ほど効く気がするけれど、答え合わせは10年後にでもしようかな。
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以下、単発的な感想。思い出したら追加していくかも。
・テキストがすっごい好み!!!
べおちる、とにかく言葉選びから見えるキャラクターの信念や歪みが見えてきて大変ぞくぞくする。言葉の凄みを感じっぱなしでした。
例えばちょっとした情景描写。
"地上の芝生には公園と親子連れ。 地下のメトロには浮浪者とギャング"
こうした、細かい描写の数々がくどすぎず、
しかしさらりと流すには心に響きまくって、
ずっと「たまんね~~~~~~~っ」て悶えておりました。
言葉の良さを堪能させまくってくれました。
・世界と言葉、エンタメの関わりについて度々言及しててその視点や姿勢がすごく好きだったな。皮肉効きまくり。
プロパガンダ的にこのシズキの作品を使う、という事もありそれをうっすら意識してせせ笑うような視点の冷静さがいい。
・あとこれはメタ的な視点なんですが、個人的にはめちゃくちゃ今やるべきゲームだなぁと。
なぜなら今ほど価値観のアップデートが叫ばれ、進化ないしはぶつかり合いがこんなにも激しい時代があっただろうか、ついていけるかこのスピードに、の勢いで「正しい」とされる世界と「正しくない」世界からかち合ってきた時のギャップー差別も描かれる。そんな事までやる!?やるんだよ。