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明言しておきたいのは、私たちは「なかよくあるべきだという同調圧力」が苦手だということで、僕たち夫婦はニコニコ社交的であることにすぐ疲れてしまいがちだ。 「なかよし」「アットホーム」というのは良いものと見做されがちだが、かなりコミュニケーションコストが高いものだと考えている。なぜなら、そうした仲間意識は集団内の暗黙知とでもいうような、明文化されていないルールを「察するコスト」をメンバーに強いるからだ。 一見うまくいっているような組織でも、なぜだか新規メンバーが定着しないという
信頼している友人がこの「ハウス」の話を聞いて 「家」の持つ機能的な面(House)に比重があることはよくわかったのだけど、「我が家」や「故郷」なんて意味も内包する、懐かしむもの、ホッとできるものとしてのHomeについてどう考えているの? と返してくれた。 これについて考えてみたところ「ほかならぬ自分以外には認められないかもしれない『よさ=アカミミ的なもの』が守られている」いう安心感こそが、僕にとってのHomeの感覚なのではないかと思い至ったのだけど、これについては前回書