Feeling and money

あなたが社長だとする。労働者が、お金だけだと物足りないので他に何かありませんか?と聞いてきた。

どう対応しますか?

あなたが消費者で、スーパーに行って "お金しか出せないんですか?" と言われたら。

これは?

"お金はいらないので、、"

それは誰しもが経験したこと。
¥2,000もする商品がダイソーで売っていたこと。しまった!と思ってDCMやAEONに行かなくなる。

有料でしか受けられないサービスが無料で受けられたりする。アプリやサブスクサービス。条件がなくて無料で使えることがある。


Yという商品を¥50,000で買えたら、¥500でも買える事実。これがSNSをツールに急速に消費者に共有されたことで、金銭に対する不信感が広がり続けている。

かと言って、それ以外の何が大切か分かっていない方も多い。

それは電気、食べ物、衣類、住処、化石燃料だ。

これらが自給自足できる世の中であるほど、金銭の価値が薄くなる。電気や化石燃料は金銭を使って、手に入った。

サウジアラビアが栄えるのは、金銭で押し通せる無理があって、石油が金になるから。
ワールドカップの開催や宇宙ステーションの開発も可能だ。前者は、カタールが実現した。


$1で買えるサービスが増えすぎた時代に、9割の貧困層が$100を借金してサービスを買うことは多いだろうか。

$1のレタスを100倍出して買う方はいますか?いいえ、いません。

極端ですね。


明るい気持ちはお金の状態とは無関係。
あなたが街を歩いていたら、目の前を通った男性のポケットからスマホが落ちた。
追いかけて手渡したら感謝された。嬉しさを感じた。

これはお金で買った感覚ではない。


LondonのLiverpool Street Stationのまわりを50周くらいしたら、似たような状況に遭遇できるかもしれない。
しかし、往復航空券と滞在費含めて1回$1,000も掛かるのに、それをLondonで試みるだろうか。

スマホを拾って渡した経験。


食品業界が本気になりすぎた影響で、外食チェーンの売り上げが落ちるとしたら、それは合理的な消費者が増えたということ。

世界的な合理化が強く進んでいることの根拠は、そういった反比例する2つ以上のデータを連続的に眺め続けることで結論づけることができる。

皮肉にもコロナ禍で気づいたのは、そのサービスや言動は、必ずしも現地で受ける必要がないこと。

広告代理店がテレビやSNSを駆使して、沖縄の綺麗な海を見に行くツアーを、興味を持つように洗脳を試みても、綺麗な海はどこにでもあって、$299のツアーを申し込んだりはしない。和歌山の白浜でなく、宮古島でもない。福岡や福井の海の需要が増えている。

"きれいな海を見て心が癒された" という体験に"沖縄県"という要素は、十分条件でさえあっても、必要条件ではない。


商品として売り上げるため、または差別化の手法として販売する側が値札を付ける文化が現行の多くの仕組みだが、新時代ではそれは商品が安く見積もられてしまう原因になる。

金で作った商品なんでしょ?ならもっと安くしてよ。
という本音は、それぞれが持て余した金銭でモノづくりが容易になったことで発生している。

メルカリは落ちぶれた会社だが、目の付け所がいいのは、価格を消費者につけさせる仕組み。

価格を消費者が決めるという新しい文化の先駆者になる組織だ。株価がついてこないのは、全体的なサービスの印象の悪さだ。
何が売りたいのかよく分からない。仮想通貨?単発バイト関連の何か?


それはさておき。

新時代では、工夫したり改善して何かを乗り越えたという体現や感覚が貴重とされる。

温暖化で沈むツバルのような島。新しく発明された燃費が30%向上した飛行機のニュース。