モブサイコ考察 テルさんが発した"空っぽ"とは?
こんばんは。
まず結論から。空っぽとは、説明書を用意しても抽象的な表現や逃げる隙間の多い概念のことです。
例えば、統一協会は空っぽです。神と言われても指を指してコレと指定することができません。
宗教もそう。"形がない"、"100居れば1,000パターン解釈が異なる"という性格の概念や文化はとても危険です。
信号機は、まだ3つの色で判別できるためにセーフですが、交差点の手前に停止線だけ引いてあって"晴れだと思ったらGO"というメッセージ板が置いてあったら、大勢が困ってしまいます。
晴れの解釈はそれぞれ異なるからです。
空っぽの他の例えは "上京"です。
生き物が生活するために凡そ必要なのは、衣食住です。これらは全て絵に書いたり指で差したりして確認できるため、空っぽではないです。
これらは少ない金銭で多く手に入るほど、合理的です。そして、産地を隠してしまえば、目の前にある材料がどこで採れたのか分からない味音痴が世の中の大半。
生きるために必要であることが積極的に手に入らない。むしろ金銭的通念に当てはめると、関東圏ないし東京都で手に入るサービスは極めて割高です。
そして、ブランド品の並ぶ店。1つ¥150,000するバックを買う合理性は完全にNothing.
災害用テントとソーラーパネル付きのバッテリーを買っても¥150,000でお釣りがくる。これが合理的。
建築資材も野菜も輸送費が嵩む地域です。土地は世界で有数に狭くて高額。不動産業界が生み出したフレーズなのでしょう。何もない土地に価値の薄い構造物を建てて、広告だけでどれだけ需要が膨らむのか試したかったようです。
価値が薄いというのは、土地の自由度が低いということを含意します。価格あたりの買える面積を含めます。
¥30,000,000で、宮城県や大阪府の駅から徒歩10分のところに一軒家を買えば庭がつきます。こどもとキャッチボールをするのもよし、バーベキューもできる、流行りのフィンランドサウナの小屋を自身で建ててみるのも楽しそうだ。
野外であれば、芝生を植えてもテントを張っても自由。マンションで同じことをどこまでできるでしょうか。
賢い方はお金の掛からない地域と暮らしを知っています。
そして、この記事をどんな方に私が書いているのか。それは似た発想や思想を持つ方たちと、洗脳されないための策やポイントを共有するため。
cleverな頭を持つアナタはこの星の資産だ。簡単に搾取される側に入られては困る。
本題でも触れた"空っぽ"
その反対のこと、つまり中身がぎっしり詰まっていることを知りたいなら、車輪の仕組みと歴史、簿記論、数字の0やITについて調べるといい。
あなたは恐らく1,000Hあっても、それについて調べ終えることができない。それだけ中身が詰まっているということだ。