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#14 40分の贅沢

 東京駅の総武線快速ホームは、週末にしては意外に空いていた。人混みを避けるように端のほうを歩いていると、自然と目に入ったのは一際目立つ二階建てのグリーン車だ。

 奥さんの実家がある千葉までは、40分ほどの電車旅だ。月に一度の恒例行事で、いつもは奥さんと一緒に行くのだが、今日は一足先に彼女が実家に戻っているため、主人公は一人だった。
 普段なら迷うことなく普通車両に乗る。750円の追加料金は決して安くない。高崎に住む友人に会いに行く時も、新幹線は使わずに高崎線で節約するほどのケチンボだ。けれど、今日はなぜか気分が違った。
「たまには、贅沢してみてもいいか……」
 そんな思いが頭をよぎる。いつもは気にならなかったグリーン車に、今日は妙に惹かれた。非日常を少しだけ味わってみたくなったのだ。

 Suicaを使い、グリーン料金をチャージする。気づけば足は自然とグリーン車の扉をくぐっていた。二階席に上がると、広々とした空間と柔らかなシートが目の前に広がる。適度な間隔で配置された座席に、ぽつりぽつりと乗客が座っている。
 ふかふかのシートに腰を下ろすと、思わずため息が漏れた。「これは快適だな……」と思う。窓の外には東京の街並みが流れ始めた。

 車内を見渡すと、いつもの車両とは違う雰囲気が漂っていた。ノートパソコンを広げて真剣な顔つきで作業をしているスーツ姿の男性。ビールを片手に談笑している観光客らしい老人たち。手帳に何かを書き込みながら集中している若い女性。小さな子どもを連れた家族が、お弁当を広げて楽しそうに食事をしている姿も見える。
 それぞれの小さな旅の時間を思い思いに楽しんでいる。普段の車両とは違う空気感が、非日常を一層際立たせていた。
 ふと、窓の外に目をやる。いつもならスマホをいじっている時間だが、今日はそんな気分にはなれなかった。SNSを眺めて過ごすのはもったいないとすら思えた。

 考え事をしていると、自然と奥さんの顔が浮かぶ。「今度、一緒にグリーン車に乗ったらどうだろう?」そんな考えが頭をよぎるが、すぐに現実的な問題が浮かぶ。
「二人分だと1,500円……少し高いよな」
 奥さんは、きっと言うだろう。「そんな贅沢しなくても普通車両でいいじゃない」と。それを思うと、自然と笑みがこぼれた。けれども、いつか特別な日には一緒に乗るのも悪くないかもしれない。彼女も、普段とは違う景色を楽しんでくれるだろうか。

 そんなことを考えているうちに、電車は千葉駅に近づいていた。「もう40分経っちゃったのか……」と驚いた。いつもなら長く感じるこの時間も、今日は一瞬で過ぎ去ったように思えた。非日常を味わったせいで、時間の流れが早く感じられたのだろう。

 千葉駅のホームに降り立つと、冷たい風が頬をかすめた。階段を上りながら、頭の中で次の課題を考える。
「お土産、どうしようか……」
 いつもは決まって和菓子かパンを買っていくが、今日は違うものを選んでみようかと思った。せっかくグリーン車で特別な気分を味わったのだ。お土産だって、いつもとは違うものを選んでみたい。

 改札を抜け、駅前の商店街へと足を進める。ふと振り返ると、ホームの向こうにまだグリーン車が見えた。いつもの電車移動が、今日は少し特別な旅になった気がする。
「次は、奥さんと一緒に乗ろうかな……」
 心の中でそうつぶやくと、なんとなく足取りが軽くなった。少しの贅沢で、見える景色がこんなにも変わるとは思わなかった。

 帰りの電車もまた、グリーン車にしようか。それとも、次はいつもの車両に戻るだろうか――そんな些細なことを考えながら、主人公は商店街を歩き始めた。

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