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#15 もう一駅だけ進んでくれ

江東区森下に住み始めて、二年目の春を迎えた。就職を機に実家を離れ、一人暮らしを始めるにあたって僕が選んだのは、都会の喧騒と適度な静けさが絶妙に混じり合うこの街だった。清澄白河は洒落すぎているし、門前仲町は人が多すぎる。その中間に位置する森下は、飲食店も多く、住むにはちょうどいいバランスが取れていた。

会社は汐留。大江戸線で直通だから、朝の通勤はとても楽だ。社会人生活は忙しいが、それなりに充実している。定時で上がれる日は同期と飲みに行くことも多いし、深夜に帰宅しても温かいご飯を出してくれる定食屋が開いている。体が冷えた日はサウナ付きの銭湯で一息つくこともできる。そんな日々にささやかな満足感を覚えながら、僕はこの街で暮らしている。

ただひとつ――終電が清澄白河止まりだということを除けば。


「清澄白河止まりか……」
今日もまた、そのアナウンスを聞きながら電車を降りる。深夜のホームはひっそりと静まり返り、時折冷たい風が吹き抜ける。疲れた体を引きずるように改札を出ると、森下までの10分ほどの道のりが思いのほか長く感じられる。

「あと一駅なんだから、連れて行ってくれればいいのに……」
そんな思いを抱きつつ歩く夜道には、人影もまばらだ。遊歩道を通り抜けると、川面に街灯の明かりが静かに揺れている。風の冷たさに肩をすくめながらも、この静けさに心が少し落ち着く瞬間があるのは事実だった。

何度もこの道を歩くうちに、最初に感じていた苛立ちは次第に薄れ、今では夜道に漂う静けさを受け入れるようになった。それでも、疲れた体で歩く一駅分が面倒だと感じる気持ちは消えない。


ある日、千葉県稲毛に住む友人と飲んだ際、この愚痴をこぼしてみた。すると、友人は苦笑しながら言った。
「こっちは総武線快速の終電が津田沼止まりなんだよ。稲毛まで行く電車はないし、歩いたら1時間以上かかる。そっちなんて10分だろ? 贅沢言うなよ」

確かに、10分歩けば帰れる僕と、津田沼から稲毛まで1時間も歩かなければならない友人を比べれば、僕の方がずっとマシだ。友人の話を聞いたそのときは、自分が恵まれていることに気づき、少し反省した。

だが、次の日の夜、また清澄白河で降りる羽目になったとき、やっぱり僕は思った。
「そうは言っても、毎晩これじゃやっぱり嫌だな……」


そんな夜が続くうち、家の更新時期が近づいてきた。僕はふと考えた。
「いっそ、清澄白河寄りに引っ越そうか」

清澄白河寄りなら、終電が止まってもすぐ家に帰れる。多少家賃は上がるかもしれないが、その分ストレスは減るだろう。そう思い立つと、すぐに物件探しを始めた。家賃相場を調べ、気になる物件を見つけて内見の予約を入れると、少し気持ちが軽くなった。

「これで少しは楽になるかもしれない」
そう思うと、今まで嫌だと思っていた帰り道にも、ほんの少し希望が差し込むような気がした。


ところが、内見を待つ間も清澄白河止まりの終電は続く。その夜、また10分ほどの道を歩きながらふと考えた。
「引っ越したところで、結局また別の不便さを感じるんじゃないか?」

どこに住んでも完璧な場所などない。多少の不便は必ずついてくる。それでも人は少しでも良くしようと環境を変え、新しい生活に期待を抱く。僕もまた、そんな期待を抱いて引っ越しを考えているのだろう。

それならば、今の生活をもう少し楽しむ工夫をしてみてもいいかもしれない。そう思うと、いつもの夜道に対する気持ちも少し変わった気がした。


今日もまた、森下への帰り道を歩く。一駅分の距離は短いけれど、その道のりには川沿いに揺れる水面の光や、静かな夜風、そして家に着いたときのほっとする安心感がある。そんなささやかな風景や感覚が、僕の日常を彩り、小さな満足感を与えてくれているのだろう。

明日もまた、同じ道を歩くのかもしれない。それでも、静かな夜道と温かな光に迎えられるこの街での日々は、もう少し続きそうだ。疲れた体を夜風に預けながら、僕は今日も一駅分の物語を歩き終えた。

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