『勘冴えて悔しいわ』考察
勘冴えて悔しいわの考察です。考察というよりACAねさんがもう答えを出してくれているので、もっと掘り下げて考えてみようと思います。
これはACAねさんが経験したいじめが題材になっているんですよね。このことはファーストライブのMCや初期のYouTube Liveでも語っていたそうです。ファーストライブのレポとYouTube Liveのレポのリンクを貼って置きますので、是非読んでみてください。
それでは歌詞を追っていきましょう。
どんなことがあったのかよくわかってきますよ。
ヒソヒソ話をされている様子を表しているみたいですね。ACAねさんが自分の悪口を言われているのに気づいて「誰のこと話してるの?」と聞いても同級生たちは「君のことじゃないよ」と言い返してきた感じがします。もう1つ考えられるのは、友達に「元気ないけど何か気に触ることでも言った?」とかって言われたこと「ううん、君のことじゃないよ」と対応した様子みたいです。でもバレたって誤魔化すから私のことは相手にしないでよ、ということですかね。ちなみにファーストフルアルバムのタイトル「潜潜話」はこういったヒソヒソ話されたこととか、あまり大きな声では言えないけどここだけの話だよ、というACAねさんの気持ちを表したものなんだと思いました。
これは私の推測なんですが、このいじめは小学生から中学生にかけての時代にあったことなんだと思います。理由は3つ。1つ目はこの歌詞の「背の順あいうえお 並びたくもないよ」です。背の順やあいうえお順に並ぶことって小中学校までなんじゃないかなと思ったんです。この背の順、あいうえお順に並んだ時にいじめてくる相手が近くにいたような描写です。1番お目出度い一人=いじめの中心人物をいっそのこと竹刀で叩いて仕返ししたい!っていう気持ちの表れでしょうか。
これは潜潜ツアーのライブレポなんですが、こんな一節があるんです。
やっぱり中学時代までにあったことみたいですね。これが2つ目の理由です。3つ目の理由はもう少し後で説明します。
誰か他の人といないといじめられるから常に誰かの視線に助けを求めていた感じがします。たまたまいじめの現場を友達が目撃して、そのミラクルな視線を逸らさないで助けて!というSOSのメッセージの様ですね。
「あたしを嫌う鳥」ってなんでしょうか?私はTwitterのロゴになっているTwitterバードのことだと思います。学校内だけではなく、SNSでもACAねさんを攻撃してくる誰かがいたのかもしれません。今も問題になってるSNSを使ったいじめですね。それらのツイートが気になるんですけど、あまりに鬱陶しいから通知音がならないように通知オフにしたというのが「笑い声を消そうよ」ということだと思いました。
ここで注目してもらいたいポイントがあります。「端ないほど集中力が」ですが、こんなことにエネルギーを使うほどくだらない集中力がついたという意味と、もう1つの意味を言葉遊びとサウンドに紛れ込ませていると思うんです。これは私の空耳なんですが「端ないほど」が「ハッシュタグないほど」に聴こえたんですよ。過敏になりすぎて、ハッシュタグがついてない攻撃的なツイートを自分に対するものとして、集中して見てしまうようになった、という風に感じました。「着いた吐いたツイッター呟く 7個目の方で」は家に着いた、ため息を吐いた、愚痴をツイートした、誰にも見られないように愚痴用の7個目のアカウントで、ということだと思います。
先程のレポから引用しますが、ATPを受け渡し、なんとか体調を整えて学校にいく、淡々とした日を送っていた、という風に解釈できますね。
でも、あまりに勘が冴えて悔しい=あのツイートは誰がしたものなのか、あの子かな、この子かな、などと勘ぐる癖がついて学校生活が楽しめない。そんなことも気にせずに過ごせたら楽なのにな。無邪気に笑いたいけど、笑顔さえも取り繕ってしまうよ。笑って通せんぼする意地悪な子達だけど、今思えばそれにも感謝したい。今はとにかく家に帰って大人しく寝よう。
「いや、これ誰が見てもおかしいよね?」っていう理不尽な事でも「うん」と頷いてしまう程の圧力をかけられていたのでしょうか。しかも、それを顔に出すことすら許されない状況、かなり厳しい環境です。
誰も見ていない所で泣くだけ泣いて、気持ちをリセットさせよう。見て見ぬふりをするんだったら、もうほっといてよ。テストの答案を間違ったことに対して、しつこくいじってくるなんて笑えないよ。学校で楽しみなのは給食の献立表を見るくらいかな。
ここで中学生までにあった事だと推測する3つ目の理由です。給食があるのって基本的に小学校か中学校までですよね。家で家族が作ってくれる「献立を眺める」様子は想像しにくいですし、外食とも考えにくいです。しかも、「来週」という先の献立を見るのは、1ヶ月の献立表が掲示されている学校と考えるのが1番自然だと思いました。
いじめっ子から受けたこの仕打ち、いじめることでしか満足できない君のイライラを受け入れるよ。この思いを飲み込んで絶対に忘れないから。涙を流したことも、不正解だって叩かれたことも、いつか他の人を救えることになるんだったら。
勘が冴える日はモヤモヤをどうにかしたくて叫んでしまう。誰もいないところで、でもいつかはいじめっ子に面と向かってこの気持ちをぶつけたいよ!
これもACAね節が炸裂してますよね。何も知らずに聴くと「イェイイェイしたい!」という明るい曲なのかと思いきや、歌詞は「遺影遺詠 死体」ですから。表向きは明るく振舞っていたのかもしれませんが、本当は心は虚ろで居なくなりたいという気持ちだったように感じます。歌詞を見るのと見ないのとで全く印象が変わるギミックが仕込まれているのも、ACAねさんの感性の豊かさを象徴していますよね。
最後に「感謝の言葉しか出てこないよ」ですが、ACAねさんについての個人的見解を述べます。この曲はACAねさん曰く「簡単にいうと、イジめられたりしたんですけど、結果的に良い経験できたなっていう歌」なんですが、結果的に良い経験ってなんだろう?って考えました。曲を作るための感性が磨かれたのが良かったのかな?とも思いましたが、辛い立場に置かれている弱者や、苦しんでいる人の心が分かるようになったから、それが良い経験になったんじゃないかな、と思いました。私と仲の良いずとまろさんが『「いじめられた経験あるけど優しくてかっこいいキャラ」はジャンプ漫画でいうと、ナルトやブラッククローバーのアスタでしょうか。自分を肯定する過程で、他の人も肯定する大事さに気付けて良かった、ということなのかなと思います』と言っていました。ACAねさんって基本的に批判的なツイートしないんですよね。それから俗に言う陽キャでも陰キャでも受け入れてくれる包容力がある気がします。元気なときも、病んでるときも、ACAねさんの曲が聴きたくなるのはそのせいなのかもしれません。
曲の中でTwitterのことにも触れていますが、Twitterにはかなりのトラウマがあったんじゃないでしょうか…
でも、今はACAねさんって今はTwitterを自分の情報発信のツールに使っていますよね。そう考えるとACAねさんって相当芯の強い人なんだと思います。この強さを手に入れたことも良い経験なのかもしれませんね。
それから強く優しいACAねさんを育て、世に送り出してくれたACAねさんの家族、周りの人達に感謝したいです。ACAねさんが挫折していたらACAねさんの音楽には出会えてなかったからです。本当にありがとうございます。ACAねさん、応援してますよ!