『眩しいDNAだけ』考察
この曲のテーマは実家から巣立ち、一人暮らしを始めたACAねさんの生活の様子、そして一般人あかね(本名かどうかは分かりませんが)からアーティストACAねとして新たな人生を歩み始めた当時の心境を歌った曲だと思います。
ちょっと話を変えます。
ずとまよのライブでは曲の披露もさることながら、凝りに凝った演出が毎回すごいですよね。今回注目してもらいたい点がこちら。2020年11月28、29日に開催された『やきやきヤンキーツアー』のアンコールのラストの曲はお勉強しといてよ、2021年5月15、16日に開催された『CLEANING LABO「温れ落ち度」』のラストはMILABOが演奏されましたよね。
よく見てください、ライブのタイトルがラストの曲に関係しているのがわかりますか?やきやきヤンキーはお勉強しといてよの歌詞(やきやきだ、ヤンキーヤンキーだ)がありますし、ACAねさんが言った「これが私のラボ!」=ME LABO=MILABOになっているんですよね。ということは、ライブのタイトルや演出には少なからずライブで使われている曲が何かしら関係していると私は推測しました。
思い返してもらいたいのがオンラインライブ『NIWA TO NIRA』(2020年8月6日配信)、この冒頭でACAねさんは眩しいDNAだけを歌ったんですが、イントロのリズムに合わせて野菜を切っていました。シュールな演出と言えばそれまでなんですが、自分のアパートで自炊してる様に見えませんか?それを裏付けるように歌詞を見ると「買い物袋から はみ出たネギに」や「茹で上がってない」という言葉が出てきます。MVには鍋料理も出てきますし、料理をしている背景が絡んでいますよね。あと「鍵閉め忘れた」というのもアパートの部屋の鍵を閉め忘れた、ということと重ねてるんだと思います。それでは話を戻して、最初から歌詞を追って考察を進めてみます。
まず「工場の煙で止まりますのボタン
知らない所に降りたった途端」これは実家を離れて見知らぬ土地で生活をし始めた情景を表現していると思います。工場地帯の無機質な雰囲気が満たされない日々を表現しているように見えます。次の「ミルクとコンクリートで出来た猫が」と言うのは、はゔぁの考察をしたんですが、ミルクとコンクリートは父と母、そして猫はお姉さんなのではないか、という自分なりの答えを出しました。まだ見ていない人はこちらからどうぞ。
「私の毒をみて鳴いてくれた」独特な表現がすごく多いので分かりにくいですが、毒は手紙とかメールみたいなものじゃないでしょうか?
毒=手紙、メール説にも理由があって、正しくなれないの歌詞にも毒という単語が出てくるんですよね。そして、そのMVにはニラちゃんに送られた指令書のような手紙も登場します。こういった点から毒は何らかのメッセージを届けるものを表現していると思ったわけです。「毒」から毒を吐くという言葉も連想されます、「ツラい、悲しい」という弱音を吐露することも考えられますよね。ACAねさんから送られた「いろいろ大変だけど、これから頑張ってやっていくからね」というメッセージを見てお姉さん泣いたんだと思ました。父子家庭で育って、しかも二人姉妹でいつも一緒だったお姉さんだから、ACAねさんと別れてしまうことが悲しかったんでしょうね…あえて猫というワードを使うことによって“泣く”を“鳴く”にしてお姉ちゃんの感情をそっと隠してたのかもしれません。余談ですが、ACAねさんは真・しょうがストリングス(通称しょうが、しょがスト、2022年4月5日に新生姜ストリングスから改名されました)という名前の猫を飼っています。
オールナイトニッポンでは「猫よりも犬派」と発言していたのですが、もしかしたら昔から猫には特別な感情を抱いていたのかも知れませんね。
「買い物袋からはみ出たネギに」は食材の買い物をした帰り道を表してるのがわかりますよね。そして「ポイ捨てされた銀色のトレーナー」あたりから感覚が少し変わってきている感じがします。これは多分ですが、アパートに帰ってきて着ていたトレーナーを脱いでそのあたりにポイッと脱ぎ散らかしてる状態を表しているんだと思いました。普通、トレーナーをポイ捨てしませんよね?色だって銀色のトレーナーとかあまり見ませんし、これはグレーのトレーナーのことなんじゃないでしょうか?次に注目してもらいたいのはこの歌詞。「肌に泡を汚すみたい 色が吸えない 味も読めない」どうでしょうか、完全に感覚が普段とは違う状態になっていませんか?泡を立てて肌(手)を洗う、色は目で見て認識する、味は舌で感じるものなのに、五感や感覚的なものが違っていますよね。グレーが銀色に見えたのもこの感覚が変化したせいだと推測しました。勇気を出して一人暮らしを始めたけれど、寂しさや一人だけの孤独によって平常心を保っていられなかったんじゃないでしょうか。それまでも孤独は感じていた、お母さんがいない、学校ではいじめに遭う、人間関係でも悩む、でも家に帰れば家族がいたし、学校では友達もいた。ところが、周囲に誰かがいる孤独と、一人暮らしで完全に孤独になるのは歴然とした差があって、孤独を感じていても頼れる人がいないと不安と寂しさで押しつぶされそうになる。一人暮らしを経験した人だったら多少は分かると思います。だから「スカスカでとろい脳みそを 不安で満たしても腹減るよ」に繋がるんですが、アーティストを目指して日々頑張っているけど思ったような結果が出ない、食べていく為にはバイトもしないといけないし、これから先大丈夫かなぁ、頭の中は不安でいっぱい…でもお腹は空いたし、ご飯作らないと、という状況を歌っているんだと思います。MVのニラちゃんが寂しくて悲しげな表情なのも理解できます。
普段通りのルーティン、バイトが終わったらあのお店で野菜とお肉を買って、毎日毎日同じことの繰り返し。音楽の世界を夢みて家から出てきたけど、現実は夢からどんどん遠ざかってるみたい…。アーティストととして全然仕上がっていかないし(茹で上がってない、という調理の工程に例えている気がします)、キラキラした世界がくすんでくるし、楽しそうな雰囲気も感じられないし、先のことが本当に読めない…。これまで感じたことの無い孤独、他の誰であってもアーティストとして生きていくのはこんなに難しいことはないって感じると思う、そんな生き様だよ。
「孤独が眩しすぎてるほどのDNA 誰も立てないほどの生き映え」はパートナーを失ったお父さんとACAねさんのことを指してるように感じます、遺伝子で繋がっているからです。誰も立っていられないくらいの悲しさを感じたけど、立派に育ててくれたことや、ここまで成長してきた事を表してるんじゃないでしょうか。
アーティストとして生きていくと決意したけど、まだ迷っていて、暗くて光のない不安だらけ道を歩いている。いくら路上で歌っても道行く人には届かないし…。ただ、家に引き返しても(光に例えて、このまま反射しても)何も変わらないんだから、傷ついてもいいから明るい未来(見たことない光)を求めて挑戦するんだ!
街頭という言葉が出てきました。ACAねさんはよく歌詞の真意を隠すために同音異義語等を使う傾向があります。ある考察仲間が「街頭の同音異義語に該当がある、つまり何も該当しない道を表している」と言っていましたが、その通りだと思います。アーティストとして成功するための方程式などないからです。こうすれば売れる、あれをすれば有名になれる、そんな机上論に該当する答えはないから自分で模索しないといけない、何を武器にして人を魅了するのか、必死に考えている当時の様子が伝わってきます。
そして、辿りついたのが実体験を元にした作詞作曲方法なのではないでしょうか。だから「今は傷つくことも願ってる」とあるように、体験を犠牲にして自分は傷ついたとしても、そのオリジナリティで売り込む!という意気込みが感じられました。
自分の内に秘めた感情や経験から得たことを犠牲にして曲を作る、でもそれはプライベートまでを犠牲にする訳じゃないよ。でもあまりにも分かりやすい曲ならどんなこと歌ってるかバレちゃうから、こねくり回した難解な歌詞にしよう。敢えてわかりにくくさせてトラップ(=罠)を仕掛けてるけど、誰にも分かってもらえないのはちょっとツラいな…。(ずっと真夜中でいいのに。という名前の通り)真夜中に考え事したり、曲を作ったり…夜が明けそうなときには逆に自分のことを肯定的に考えれるようになったり…たまには周りの助言にも耳を傾けるけど、出来上がったシナリオ通りに暮らすならただのイエスマンでもできるよ。そのシナリオをビリビリに破いて自分で生き抜いてみせたい。
「時々たまに従うまま シナリオ通りに暮らしてゆくなら 悩み方も何も知り得ずに頷くだけ」とありますが、どんな助言に耳を傾けていたのでしょうか。家族に「家に帰ってきなさい」と言われていたのかも、と私は考えました。自分の思いを押し通して一切聞く耳を持たない、という訳ではなく、「ツラいから本当は家に帰って思ってることを話したい、でもそうなると音楽の道は諦めなくちゃならない」という葛藤があったんじゃないのかな、と思いました。
周りの人には「(アーティストを目指して)そんなことしても無駄だろ」って思われていて、いろいろ思いを語っても罵られる。普段は自分の意見は言わないくせに変なところだけ正直に言ってるけど、その方が私にとっては楽なんだよ。もしも私の本心が鍵を閉め忘れた部屋からいつの間にか居なくなるようになくなってしまったら、それこそ何も出来なくなるんだから笑って前向いて生きていきたい。
毎日決まったルーティンで繰り返し繰り返し一人暮らしを続けるのは怖いけど、でもただ平凡にごく普通に、失うことも得ることもない満たされた人生を送るのは嫌なんだ。
既に決意している私の本心、どんなことがあってもやっていくしかない。だって憧れていた眩しい世界の光から目を逸らすことはできないから。
既製という歌詞から既成概念を連想しました。(これも既製と既成の同音異義語ですね)
既成概念とは既にできあがっているものという意味ですが、後には引けない信念のことを表している気がします。新たなステージを見つけて、音楽を通して明るい未来を築いていきたいACAねさんの決意と希望と葛藤のストーリーだと私は解釈しました。答えは他にもあるかもしれません、しかしACAねさんの強い意志はこの曲に込められていると思います。
余談ですが、DNAの曲調と最近の曲調を比べると比較的明るくなってきているように感じます。(眩しいDNAだけは2019年2月4日にリリースされました)
つまり、ACAねさんの心にも明るい光が差し込んできているんじゃないかな、と感じたわけです。この曲に限りませんが、楽器のサウンドと歌詞はリンクしてるように感じます。
最後にACAねさんの曲紹介のツイートを見ていただきたいと思います。
「少しずつ宿してきた軟弱な覚悟」
「前進のうた」
「やるべき事みたいなのをこなしても前に進んでる感覚がなくて、そもそも何がやりたかったのかわからないふりしてた時に作りました。」
実は考察の核となる情報がMVにも隠されていました。
この花、カモミールみたいなんですが、カモミールの花言葉は「逆境に耐える」「苦難の中の力」なんだそうです。
やはり、なかなか上手くいかなかった下積み時代のことを表している曲のようですね。
でも、その苦労が実を結び、今のずっと真夜中でいいのに。があるんですよね。
それを象徴しているかのようなシーンがこちらです。
顔にヒビが入っています。
これなんですけど、己の殻を破って一皮も二皮も剥けた姿に成長するんだ、っていう強い意思の表れだと思ったんですよ。
暗く長い下積み時代に、自分に負けずに進もうとしていたACAねさんの本心を表現してるみたいじゃないですか?
これからも独りと唯一の存在を大事にして活動を続けてほしいと思います。応援してます!