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ACAねさんの発言『ライブとは確認の場』考察

少し前の話なんですが、私はずっと真夜中でいいのに。の名前の由来や、その経緯がどうなったのか調べていました。知る人ぞ知る事実なのですが、ずっと真夜中でいいのに。というのはACAねさんがデビューする前から歌っていた「黒く塗りつぶす僕らを」という曲の歌詞の一部なんですよね。(暗く黒くの原曲だという噂もあります)

それとは全く関係ないところからまたね幻のイメージが一気に湧いてきたんですが、とりあえず「幻=お母さんの面影、残像」と仮定して、一旦横に置いておいて下さい。

実はあるずとまろさんから重要な情報を提供してもらいました。その情報とは、結構前のYouTubeライブでACAねさんが話していた各曲の制作秘話なんです。この中でACAねさんはまたね幻について「今は今で会うための歌で。大切をなくして気づかざるを得ない気持ちを整理出来た気になっていられた気がした、作ってる時。これからたくさん歌いたい。」と話していたそうです。しかし、「たくさん歌いたい」という割にはライブで歌われる回数はすごく少なくて、曲自体が幻になりつつあったんですよね。(鷹は飢えても踊り忘れずでは本当に久しぶりに歌われました)
ACAねさんの意向が変わったのかどうかわかりませんが、なぜ「これからたくさん歌いたい」と言っていたのか…謎のまま今に至っています。そんな考え事をしていた時に、またね幻を歌ったときのライブレポが見つかりました。是非読んでいただきたいと思います。

経験してきたこととかを思い浮かべながら歌っている…しかも歌詞の「歌うたびに逢えるの」という部分…お母さんの姿が幻になっている感じがしませんか?

「気づいた時には幻なんだよ
それでもずっとここにいるんだよ
信じているよ 信じさせてよ
歌うたびに逢えるの」

というフレーズを歌う姿とその声からは、言葉遊び的な歌詞が多いずとまよの曲であるが、その歌詞にはACAね自身の経験してきたことや見てきた景色があって、それを頭の中で思い浮かべながら歌っているんじゃないかというくらいに感情がこもっていた。

しかもこれには続きがあって、「また会いましょう。会いに行きます。会いにきてね。」っていうメッセージがあるんですよね。

そしてACAねは

「また会いましょう。会いに行きます。会いにきてね。最後に一緒に歌いましょう」

この記事をよく引用させていただきますが、VOGUE6月号のインタビューにこんな事が書いてありました。

そう、ずっと真夜中でいいのに。は匿名性の高いバンドだが、その表現を直接体験できる貴重な場としてライブがある。「ライブとは確認の場。毎公演テーマを決めて曲や演出を考えます。基本的にはローテクとハイテク、アナログとデジタルの融合が好きで、そこを意識している」

この「ライブとは確認の場」という発言、要チェックです。そしてACAねさんのこのツイートにも注目です。

可愛い顔文字入りの「バリヤー!」の一言です。ACAねさんのお気に入りの言葉みたいで、グッズのパッケージにも描かれていたりします。

ライブで振るしゃもじのパッケージに描かれた絵と「バリヤー!」

こちらのライブレポにもバリアについて書かれているので読んでみてください。

ずとまよの音楽は、いつも独りの風景を歌う。独りであることの寂しさや哀しさだけでなく、その先にある可能性や希望も歌う。そこにあるのは「誰かと繋がりたい」と「わかり合いたい」というような安直な願望ではなく、いかに独りである自分を愛せるか、そしてその先で独り同士のまま他者と向き合えるかという試行錯誤の跡だ。

(中略)

ACAねは「バリア」という言葉を使って自身の人との向き合い方について話していた。その言葉を借りるなら、彼女にとってライブは「バリア」を解除するための場ではない。むしろステージ上とフロア、お互いの「バリア」の存在を認め合うための場なのだと思う。そのためには、その内側の世界観は完璧に構築されていなければいけないし、表現はどこまでも正直でなければならない。

ACAねさんの「バリヤ-!」ってただのおもしろ発言かと思っていたんですが、そうではなさそうなんですよね。独りでいることを歌うずとまよ、そして、その独りのバリアを解除するのではなく認め合うこと。ライブは確認の場であり、それぞれのバリアを認め合う所。ライブは会場でファンと一体となって作り上げるものですが、どれだけファンが熱狂しててもステージの上は聖域と同じで踏み込むことが出来ません。正にバリアを張っている状態ですよね。

これはファンとの確認だけではなくて、本当は歌を歌って大切な人(私はお父さんやお母さんやそれぞれの曲のエピソードを持つ人たちだと勝手に思っています)の姿を確認するってことでもあるんじゃないでしょうか、歌=レクイエム(鎮魂歌)みたいな感じで。「会いに行きます。」とかファンサービスみたいですけど、ファンに会いに行くなんてあまり言いませんよね。歌を通して音楽が好きだったお母さんを想ったり、お父さんにありがとうって伝えたりしてる可能性もあるんじゃないでしょうか。

それから、これまでの人生において経験してきたことの確認でもある気がします、ACAねさんが作る曲は実体験によるものですからね。過去の自分が通ってきた道を確認するため、過去の自分と対峙するために「会いに行きます。」と言っていたのかもしれません。ここまでスターへの階段を駆け上がってこれた、その確認の場がACAねさんのライブなんじゃないかな!と思いました。そう考えるとACAねさんの言葉って深みが凄すぎますよね…何気ない一言にもこんなに意味が込められてたのかもしれないと思うと、鳥肌が立ちます。稀有の天才かもしれません、ACAねさんに出会えて本当に良かった、そう思います。

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