『綺羅キラー』考察
ずとまよ初のコラボ曲である綺羅キラー(2021年6月11日に公開された映画「キャラクター」の主題歌「Character」をYaffleさん、Rin音さんと共同制作したり、最近ではボカロPのぬゆりさんのアルバムに収録されている「青く青く光る」でもぬゆりさんと歌っていますが、ずとまよがメインのコラボ曲は綺羅キラーが初めてです)
ACAねさんと共に歌ったのはVTuberの森カリオペさんで、両者とも顔出しせずに活動しているという共通点があります。実はカリオペさんはさいたまスーパーアリーナで開催されたずとまよのライブ「鷹は飢えても踊り忘れず」に行っており、ACAねさんもカリオペさんのところへ遊びに行ったりして、英語と日本語を教えあったりしていたそうです。
そんな仲の良いお二人のコラボ曲ですが、疾走感溢れるバンドサウンドにACAねさんのハイトーンボイスとカリオペさんの超絶ラップが組み合わさり、カッコよくも切ない仕上がりになっていて、何度でも聴きたくなります。
この曲は何を表しているのかなぁ、と考えていたんですが、歌詞の中に「底辺のてっぺんの味」というところがありますよね?これを見た瞬間「あ、これはもしかして…」と思ったのです。そして、タイトルにもある「綺羅」とは美しく煌びやかな衣服のことであり、文字を入れ替えた羅綺も同じ意味なんですよね。この綺羅(キラー)と羅鬼(羅綺)、そして木綿という歌詞も出てきます、これらは布や繊維のことです。さらに、2022年4月7日に公開されたミラーチューンと、この綺羅キラーを足して2で割るとキラーチューンになります。キラーチューンはACAねさんがリスペクトする椎名林檎さんを中心に結成された東京事変の曲。林檎さんの曲ではなく、東京事変の曲というところも個人的に注目していただきたいポイントです。
それから、昆布だし、鰹節、味など料理に関する歌詞や、MVには鍋のパッケージが出てきますよね?徐々にこれまでの曲が絡んだ伏線まで見えてきました。
散らばっていたパズルのピースのような情報が集まって、一枚の絵が出来上がるように一気に考察が完成しました。
まず、ミラーチューンと綺羅キラーの関係性について話していきたいと思います。2022年6月4日にずとまよ4周年記念のYouTube LIVEがありました。その時、ACAねさんは「インディーズでいたいと思いますし、インディーズ魂というか、ニラ路上ニラ路上の精神が自分の中には、特にこの年は根強くある気がしてて、だからなんかそういう曲も作っていきたい」「初心魂がある」「私はずっと底辺にいるので、底辺のてっぺん目指してるんで」と語っていました。
また、ミラーチューンのことにも触れていたんですが、この年は初心に帰って曲を作ると言っていたので、ミラーチューン以外にも初心魂などに関連する曲がリリースされると予想していました。ミラーチューンは路上ライブをしていた当時の心境を綴った曲だと考察しましたが、ミラーチューンの考察と予備知識を読んでない方は是非先にそちらを読んでいただきたいです、それぞれの曲の深みが増すと思います。
次に注目していただきたいポイントは、先述したミラーチューン+綺羅キラー÷2=キラーチューン説です。ACAねさんが大好きな椎名林檎さんの曲ではなく東京事変の曲なんですね。これ、なんでなのかわかった気がしました。聞くところによるとACAねさんは地方出身なんだそうです。ミラーチューンは上京して路上で弾き語りしていた頃の様子を表した曲だと考察しましたが、綺羅キラーはその続きだと思うんです。具体的に言うとずっと真夜中でいいのに。としてデビューする前後です。(なぜデビューする前後なのかは考察を読み進めていくとわかると思います)
この二つの曲にまつわるエピソードは地元を離れて上京してからあったこと、つまり東京で起こった出来事=東京事変ということです。
「だからACAねさんは林檎さんをリスペクトしているのに、東京事変の曲のタイトルをオマージュしたのか!」と思いました。しかも、キラーチューンのMV撮影現場は、ライブ「鷹は飢えても踊り忘れず」の会場、さいたまスーパーアリーナの真横だったんですよね。ここで一つ目の伏線回収です。
伏線はまだありました。MVの0:19あたりに鍋のパッケージが出てきますよね。上の段に見覚えのある鍋が見えます。眩しいDNAだけでニラちゃんが作って食べていた鍋と同じ色合いのものですよね?ACAねさんは食へのこだわりが強く、「餃子と白米は食べない」「温かいご飯の上に刺身は乗せたくない」などオールナイトニッポンで話していました。その食べることのポリシーが曲にも反映されているんだと思っていましたが、綺羅キラーではやたらと食材や味に関するワードが出てくる気がしたんです。そして、私は「あ、これは単に食べ物や料理の話をしているんじゃない、曲作りを食材集めや料理のプロセスに例えてるんだ」と思ったのです。例を挙げると、昆布だしや鰹節は旨み、エッセンス、根幹となる材料だと思うんです。これは何を表しているかと言うと、最高のバックアップだということです。NHKのSONGSで言ってましたが、ACAねさんはTwitterなどのSNSを通して共に音楽をやっていく仲間を誘っていったそうです。
バンドメンバー、スタッフ陣、サポートメンバーなどなどこれからの活動に必要な人材を集めていったり、会社から与えてもらったり…それを鍋の材料を揃えていくプロセスになぞらえていると思いました。これが歌詞の昆布だしや鰹節に関係してると思うんです。曲作りを鍋作りに例えるなんて、ACAねさんは感性の塊ですね。
ということは、綺羅キラーがタイアップされた、SpotifyのCMに登場したうにぐりくん鍋も完全に狙ってやっているはずです。なんという策士…!
DNAは創作活動を続けるもなかなか上手くいかない日が多く、逆境の中でもがき苦しんでいた様子を表した曲だと考察しました。まだ読んでいない方はこちらからどうぞ。
一人暮らしをしていて、買い物袋からはみ出たネギと歌詞にあるように自炊をするために食材を買って帰ったような描写がありますが、あれも実はダブルミーニングで、新しい曲を作るのにはどんな要素を加えたらいいんだろう…このテイストを足したらまた違う雰囲気になるかな…という風に曲作りをしていたことも表していたんではないでしょうか。
こう考えると曲と曲との繋がり、緻密に張られた伏線が浮かび上がってきます。まるで壮大な小説を読んでいるような気分です。
前置きが長くなりましたが、綺羅キラーはACAねさんの苦心を表した曲だと思います!
それでは考察を進めていきましょう。
大衆受けする曲は作れないし、作るつもりもない。守備範囲は狭いけど、これまでたくさん聴いてきた音楽が私の糧になってるから、他のアーティストとは違ったエッジを効かしていきたい。あ、これいいかも、って思っててもダメ出しされたりするのもプロの世界だったら仕方ないよね。あっちの意見もこっちの意見も聞くのも大事だし、まるで一反木綿みたいにゆらゆら揺れてるよ。上手くいかなくてトラブることもあるけど、歌を歌ってる時みたいに深く呼吸して落ち着いていこう。いろんな矛盾を感じるときもあるし、葛藤もあるよ、でもこれが私の原動力だから、無くなったら張合いがないよね。
この曲はずっと真夜中でいいのに。としてデビューする前後のストーリーだと思いました。事務所の人にスカウトされて、いろんな仕事をこなさないといけなくなったり、売り出すための下準備をしている頃の様子を表しているような感じがしたんです。デビューする前やデビュー当初のACAねさんは他のアーティストのカバーを歌ってTwitterなどに投稿していました。今もこれらの曲が残っています、参考にいくつか載せておきます。
ボカロ曲をACAねさんがカバーしていますが、どれも少女的で、2.5次元感があり、独特かつ世界観が広がる響きですよね。まだオリジナルの曲があまり無かった(高校生の頃から作曲していたので、原曲となるものはあったはずですが、完成形ではなかったので、無いに等しい状態だったんでしょう)当時、売れるためにいろんなカバーを歌っていたんだろうと思います。
ずとまよの曲って難解な歌詞が特徴です。全く大衆に迎合する気がないのがわかりますし、そう簡単には真意を悟らせないACAねさんの意思表示でもあると思います。しかし、みんなに聴いてもらいたいと言うより、刺さる人にはどっぷり浸かってずっと聴いていてもらいたい、という曲ばかり作っていませんか?「勘は鋭」というのは「刺さる曲」という意味でもあると思います。
次に注目していただきたいポイントは「いったん木綿みたいに」です。綺羅キラーの綺羅とは煌びやかな衣服のことです。音楽業界というキラキラした夢の世界に足を踏み入れたACAねさん、しかし理想と現実のギャップに悩み、自分自身を見失いそうになったこともあるのではないでしょうか。綺羅のような美しい衣服を纏う世界であり、矛盾や葛藤も生むキラー(Killer)でもある世界…。そして、長いものに巻かれ、あちらの意見もこちらの意見も聞かないといけない、それを妖怪の一反木綿と「いったん木綿」を掛けていると思いました。もう一つ解釈できることは、地方出身の垢抜けない当時のACAねさんは綺羅の世界にはまだ染まらない、純朴な少女の例えだというダブルミーニングだと思いました。
想像を超える仕事量や内容に過呼吸気味になることもあったのかもしれませんね。でも、歌を歌うときと同じように、ブレスをしっかり取って前進しようとしていた姿が目に浮かびます。
今回はカリオペさんの英語のラップがありますが、ACAねさん的和訳もあるので、そちらを参考にさせていただきます。
公開した動画にコメント来てるけど、締め切らなきゃどんどん増えて反応できなくなる…。あぁ、大変すぎて頭の中めちゃくちゃだー。無数のアーティストがいるネットの中で見つけてくれたのかな。やりたいと思ってることとらやらなきゃならないこと、やめたいこと、いろいろあるよね。自分の思い通りにしたいけど、そうも言ってられない。プロの世界は厳しいし、時にはショックを受けることもあるよ、これが夢見ていた生活なのかな。まだ正雇用じゃないからこの先どうなるか分からないけど、とりあえず食べていくだけなら他のバイトをしてもいいんじゃない?って別の自分が囁いてくるよ。
プロの世界、厳しいものですよね。成果を出さないと認めてもらえない、どれだけ才能があっても世間の評価が無ければ売れない。そして、理想と現実の違いにも衝撃を受けていた様子が感じられます。
「この人嫌い」っていうような批判的なコメントもあるけど、そんなの序の口。有名になればアンチも必ず現れるのは避けて通れない。そう思うと気が楽になったよ。今回はどれくらい再生回数伸びたかなー、せーので見たら顔が歪むような結果で残念だった…。煙たいコメントや辛口のコメントもあるけど、これも勉強の一つだって割り切っていこう。ちょっとくらい聴いたくらいじゃ良さなんてわからないよ、食わず嫌いで終わらずにもっと聴いてほしいのに…まだまだ諦めるわけないじゃん!っていう負けず嫌いなところもある。コンプレックスもあるし、圧力を感じることもあるし、まだまだ未熟だけど作詞作曲能力もあるよ、それに仲間になってくれる最高のミュージシャンやスタッフも増えてきた。でも、メンバーが揃ってるだけじゃ意味無いんだよね、それぞれの音楽性もあるから私がしたいことと合わない人もいる。あんなテイストの音楽や和の雰囲気の音楽も作ってみたいな。もっと甘えて曲を作ってもらってもいいんだけど、私はシンガーソングライターだから、私が曲を書かなきゃダメだ。その曲を元にしてみんながアレンジするんだし。
どんな世界でも有名になる過程でファンもつきますし、そうでない人も現れます。ネットの世界で動画を投稿したらいろんなコメントが送られますよね、褒めてくれるものも批判的なものも。アーティストなら応援のコメントを力にして頑張れるんじゃないでしょうか。でも駆け出しのアーティストにはなかなかファンもつきにくいですよね。
「汁なら」の汁とは調理の過程で生まれたもの、つまりデモ曲みたいなものだと思います。それを飲み干さずに舐める程度でしか聴いてもらえないのは悔しい、という気持ちの表れだと思いました。
「しょっぱいな鰹節」ですが、いろんな要素を足したり引いたりして味を仕上げていったり、仲間同士を繋げていったりしている様子みたいですね。でも、思ったようには上手くいかないこともあったんでしょうね。
コンプレックスについてもう一つ解釈できることがあります。他のアーティストの話になるんですがyamaさんとiriさんという方をご存知でしょうか?この御二方に共通することはコンプレックスを武器にしているということです。yamaさんは見た目にコンプレックスがあるらしく、そのためテレビなどに出演する場合はマスクを装着しています。iriさんは女性では珍しい低音ボイスの持ち主で、その事が幼い時から嫌だったそうです。しかし、yamaさんはその顔出ししないということが逆に謎のベールに包まれたシンガーという魅力を作り出し、iriさんは低音ボイスが大人の雰囲気を醸し出し、ファンの心をガッチリ掴んで離さないのです。ACAねさんも何かしらのコンプレックスはあったのでしょう、辛いことや悲しいことを人より多く経験してきたのかも知れませんし。でも、その経験を曲にするという最大の武器を手に入れたわけです。ここが他のアーティストとは違う強みなんですね。誰にも真似出来ない凄さと言えます。
良い評価があまりなくて一喜一憂してるけど、逆に私の心に火をつける。すごく売れてるアーティストの曲や映像を観ると落ち込んじゃうけど、それが自分を成長させる栄養になる。投稿した動画の伸びがイマイチだけど、ネット中心の活動でてっぺんとれるように頑張ろう。
落ち込む、ということに関するACAねさんの発言を紹介します。
「落ち込んじゃって病む」…この後に出てくるヤミー(闇)とリンクしてそうですよね。
「底辺のてっぺん」ですが、オールナイトニッポンでACAねさんは「ずっと真夜中でいいのに。のACAねです。ネット中心に半地下みたいな活動をしています」という挨拶をしていました。顔出しもしない、テレビにも積極的に出ない、その存在すら本当なのか分からない、都市伝説になるんじゃないか、などと言われていた時期もありました。底辺とは私たちの目には見えないところで頑張っている、ということを指しているんだと思います。しかし、今やネット発アーティストでは群を抜いての知名度を誇り、日本を代表するアーティストにまでなりましたよね。夢に向かって努力する力、素晴らしいの一言です。
曲を書くのも、マイクを持つのも辛い。路上ライブしてたときは道行く人に見向きもされなかったけど、ネットで活動していたら辛辣な反応が返ってくるから、別の辛さがある。なんかやる気無くしちゃったな…。気持ち切り替えるためにコーヒー飲もう。いろんなアーティストを見てると一つのジャンルにこだわることはもう古い考えなのかも。ん?私の曲が好きって言ってくれる人がいるみたい!ありがとうぅ、、。とは言ってもまだまだ新しいジャンルを開拓するにはまだ力が足りないな。辛いと投げやりになるところ、まだ子どもみたいだよね。7個目のアカウントで苦い感情は吐き出して、誰かに刺さる曲を書かないと。ぐずぐずしたり、感傷的になったり、マイナス思考に支配されてると前に進めなくなる。まだファンがいないのに、こっちにおいで!って言っても来ないよね。全ての曲がヒットする訳じゃないし。夢を追いかけていたころが恋しいな。優しさを人に求めるんじゃなくて、ファンができたら自然と肯定的なコメントも増えるはずだよね。早く何とかしなきゃって焦る気持ちを解放しよう。無名に戻ってもコツコツやるよ。音楽シーンを眺めていろいろ勉強したらいいし。人は夢見るものだから、どんな夢見てもいいよね。でも、しょっぱい夢はもう終わりにするときが来たかな。私のことを好きって言ってくれた人たちにありがとうって伝えたいよ。
この部分、かなり切羽詰まった状態を表現している感じがします。ギリギリの限界まで悩んでいたのかもしれませんね。
この擬音語、歌詞にしたのは理由があると思います。「ぶらーーん」と宙吊りになっていたことを表しているんじゃないでしょうか。上手くいかない、でも諦めきれない、そんな気持ちがACAねさんを宙ぶらりんにしていたんだろうと思うんです。
駆け出した時の荒削りの楽曲、まだここにある。レベルアップしてるようで、そうじゃない声。どんな意見も受け入れるよ。でも、分かりやすい歌を配信したいけど、それはそれで飽きられやすいかもしれないし、その気持ちだけ心に仕舞っておくね。こんな風に気持ちが病むこともあるけど、最終的にはエネルギーに変えて前進するから、これからもやっていくよ、ありがとう。
過去の自分の楽曲を見返していたんでしょうね。「期限切れ」=古い、「らいか」=パクリ(らいかというのはカメラのメーカーのLeicaのことだと思いました、カメラのようにワンカットを写すことが、拝借すること、パクリを表しているように見えます)、「ろんりねす」=ショボイ(一人でやっているから、音にも曲にも厚みが無かったのかもしれませんね)、そんな痛烈なコメントを受け入れ、何を改善すれば、どこを直せば刺さる曲になるのか試行錯誤していたんだろうと思います。病んでも立ち止まらない勇気、見習いたいものです。
美しい世界は時に鬼のように厳しい現実を突きつける。(中略)でも、いつでも研修生みたいに、他のアーティストから学ぶべきところは学んで成長しないとね、まだまだ私の価値なんて宇宙のなかで小惑星程度だし。人におんぶにだっこされて世渡り上手に生きていく必要もないんだし。私の曲が共感を生んだら上手くいくはずだし、音が噛み合えばエモいサウンドの曲もできるって信じてる。
研修生というワードを使ってくるあたり、ACAねさんらしいですよね。ACAねさんは他のアーティスト、特に洋楽をよく聴く傾向にあるようです。Instagramのストーリーにもオススメの曲をアップすることがあるんですが、ほとんどが洋楽です。私が衝撃を受けた、チック・コリア氏へのオマージュも、彼の音楽を普段から聴いていた証拠でしょう。チック・コリア氏へのオマージュに関する考察はこちらです、是非ご覧下さい。
どこまでも貪欲に音楽を学び、吸収し、昇華させるACAねさんは真の努力家ですよね。
さて、歌詞とMVの所々にこれまでリリースしてきた曲を連想させる言葉やキャラクターが散りばめられていることにも気づかれましたか?
無名時代から書き続けていた曲たち、それがやっと日の目を見る時が来た、そんなことも表しているようです。
最後に、ミラーチューンと綺羅キラーが初披露された、あるいは初披露されるであろうライブについて言及したいと思います。ミラーチューンはさいたまスーパーアリーナの「鷹は飢えても踊り忘れず」で、綺羅キラーは国立代々木競技場第一体育館で開催される「ROAD GAME『テクノプア』~叢雲のつるぎ~」で初披露されると予想します。これが何を意味しているのか…
さいたまスーパーアリーナはACAねさんが路上ライブをしていたときに漠然と夢見ていたライブ会場です。そのことを知っている人は多いと思います。そして代々木体育館ですが、実はこのすぐ近くでよく路上ライブをしていたみたいなんですよね。
このツイートに注目です。ここ、代々木公園なんですよ。関東圏内でもちょこちょこ遠征して路上ライブしていたという噂もあります。ということは、野望を叶えた次は、初心に帰り路上ライブをしていた当時に思いを馳せる、そんな意味がライブ会場にも込められているんじゃないでしょうか。感動ですね。
最後の最後まで粘り強く戦い続けた結果が、今の姿になったんだと私は確信しています。
これからもその夢を追い続ける気持ちを糧に、世界を驚かせてほしいものです。
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