99%の人が知らないESG問題の本質とは?
最近、日本のメディアでも取り上げられることの多いESGについて。実は私はESGには長く、深く関わってきた。海外に飛び、こちらに詳細に書くことはかなわないが国際機関のいわゆる"エグゼクティブ"ともこの問題について議論してきた。ESGについては日本で扱われるようになった初期の段階から関わっており非常に思い入れがあるし、だからこそ、反省もしている。
関わり始めた当初は「利益至上主義で環境汚染なども顧みなかった国際社会が、やっと見逃されてきた問題を見つめるようになってきた」と純粋に「良かった」と思い、そんな仕事に関わるようになったことを「ラッキー」と思っていた。その時のことを振り返ると、何と無知で浅はかだったのだろうと恥ずかしくなる。確かにラッキーではあった。これまで会う機会のなかった人たちと話す機会に恵まれた。この問題を通じて「世の中の本質とは何だろう」ということに対し奥行きを持って考える機会をもらった。そのこと自体には深く感謝をしている。
しかし、徐々に「ESGは何かがおかしい」と感じるようになった。そのトリガーになる出来事はいくつかあった(いわゆる、レッド・フラグというものだ)。この「出来事」についても機会を見つけて書こうと思う。
長くESGの問題について見つめるなかで感じてきたことがある。それは、ほとんどの人が指摘してこなかったESG問題の本質の一つに、「人々の善意を盾にしていること」があることだ。
大事なことだからもう一度。
「ESGも(他の問題の多くも)人々の善意を盾にしている」
どういうことか、簡単に解説する。
ESGとは、環境問題や社会問題、ガバナンスといった、いわゆる企業の財務上にすぐには挙がってこない「非財務情報(≒数値化できにくい情報)」を大切にしようとする動きである。環境問題には気候変動、生物多様性、大気汚染、プラスチック問題など様々含まれる。社会問題はいわゆる社会のマイノリティとされる人々の企業での登用や女性活躍、人権などが含まれる(実際はもっと広範だ)、ガバナンスは企業統治についてが包含される。サイバーセキュリティが含まれることもある。
このアジェンダ自体は全く問題なく聞こえるだろう。「環境汚染が進んだ方が良い」、「女性はどんなに能力があっても低い地位に甘んじろ」「企業はごく一部の経営者の独占物である」と考える人はほとんどいないだろうから。
人は、「自分はエコに良い行動をする人」であり、「分け隔てなく人を見る人」である、といういわゆる"社会的にポジティブ"な見方をしてもらいたがるものだ。いわゆるレオナルド・ディカプリオなどのハリウッド・スターが当時最先端だったトヨタのハイブリッド車でレッドカーペットに乗り付けたのもその一例だろう。どんなにカッコイイ内燃自動車を買うお金があっても、「エコに気を遣った」ハイブリッド車を乗るという環境に対する意識の高さの誇示の必要性は、環境意識の高いカルフォルニア州で生活していれば自然に培われるものなのだろう。
しかし、問題はここからである。現在の環境問題はまず第一に「気候変動」が来る。その内実は、企業が出す温室効果ガスを削減して2050年までに「ネット・ゼロ」にしなければ人類にとって危機が訪れる、というセオリーを元にしたものだ。この「お題」を元に、企業は自社およびサプライチェーンの排出する温室効果ガスを計測し、削減することが求められる。
特に東証プライム市場上場企業には2050年までに「ネット・ゼロ」にするための温室効果ガス削減計画を作り、IEA(国際エネルギー機関)やIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の公表物を参考にしながらシナリオ分析を行い、情報開示することが求められている。「情報開示」自体も企業にとっては大変なことであろうが、それ以上に問題なのが「気候変動への対処のためにcapex(設備投資)を気候変動に沿ったものにすること」が求められることである。
「地球を守り、人類にとって必要な脱炭素」というお題目の推進。その結果、何が起こっているのか。安価ではない「再生可能」エネルギーを補助金をつけて導入し、安定稼働する石炭火力発電所などをクローズしていくことで系統への負荷はかかり、電力は不安定になり、電気代も高くなり、そのしわ寄せがあらゆる所に出始めている。「気候変動への正義」を盾にしていることが一因になり、生活の様々な面に影響が出ているのだ。それでもESGを掲げる機関は「ESG」の旗を降ろすことができない。「気候変動」が人為的に起こっていることを否定したり、IEAやIPCCで言われているようなことを否定するような言説は御法度となっている。いわゆる、密やかな言論弾圧だ。
なぜこのようなことがまかり通っているのか。私見だが、その理由は、「環境・社会・ガバナンスの行動を斟酌した、善良な行動をする」純粋な意味と、現実にESGが代表している「気候変動」に対するアクションが混同されているからではないかと思う。「気候変動」を重視し、石炭火力発電所を貶め、「再生可能」エネルギーを礼賛する欧州発の思想の背景には思惑があるからだが、その思惑について多くの日本人が思い至らず、知らされていないのだろうと思う。その結果、「地球を守り、人類にとって必要な脱炭素」という美辞麗句に突き動かされ、資金力の乏しい個人や企業ほど苦しむことになる。
私は、書く。私たちを取り巻く密やかな言論弾圧のことも、歪められてしまったESGについても。大多数の人々の善意を踏み台にして一部の利権所有者だけが潤っていく状況を知りながら何も書かないのは、私自身の良心が許さない。
最近、大企業のESG担当役員の方々に対して、ESGが持つ負の側面についてブリーフィングが上がってきていない会社もあることを知り衝撃を受けた。私が把握していること、認識していることを共有すれば、決して全面的な「ESG礼賛」とはならず、もう一度立ち止まって考えようと思ってくれる人も多いのではないか。
"We, the people, need to regain power"という言葉がある。我々一般庶民が力を取り戻す必要があるということだ。regain powerするには、何が必要なのか。権威に裏打ちされたお言葉を聞くだけではなく、それが本当なのか、常に疑う姿勢が必要であり、そのためには様々な角度から状況を知ることが必須となる。
このブログで私が書くことがみなさまの「知識武装」のお役に立てれば、これほど嬉しいことはない。
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