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タラレバ娘ならぬヤラネバ娘とナラネバ娘

ご存知の方もいると思いますが、
むかし『東京タラレバ娘』という漫画が巷で流行り、その勢いでドラマ化までされて話題に(確か吉高由里子さん主演)なりました。

「きれいになっタラ、イイ男が現れる」
「好きになれレバ、結婚できる」

そんな様々なタラレバを言いながら、“アラサー彼氏なし未婚”の現実に奮闘する女子たちが主人公のお話です。
…なつかしいー

わたしが最近陥っていたのはこのタラレバ娘。
ならぬ、
ナラネバ娘、そして、ヤラネバ娘

…例えば、

「自然分娩で出産するのだから、日々の生活を無理しないように気をつけて、お産への良いイメージだけが出来るように情報を入れ過ぎないようにして…心身ともに健康体の妊婦にナラネバ。」

「出産まで時間もない、TODOLISTを作ってやることの優先順位をつけて、ヤラネバ。」

「Instagramにもnoteにも投稿しないとならないのに時間がない、、すぐさまヤラネバ。」

「携帯やTVに夢中になっている時間を少なくして、会話や団欒が中心の家族にゆくゆくナラネバ。」

etc…

このネバネバネバネバした娘たちを暗躍させていたことに気づかなかった私。
このネバネバ娘たちを放置していたら、
この先ずっと、自分に対する厳しいお裁きを、自分に強いていたことでしょう。
つ、つらい…

ではこのナラネバ娘とヤラネバ娘が生まれた背景には何が隠されているのか?
それは、

ありのままの感情を明らかにしようとしない

もしくは、

また感じたくない感情が出てきてしまい、見てみぬフリをする


…例えば、

“心身ともに健康体の妊婦にナラネバ” 娘
になってしまった背景には、
「出産の痛みが怖い」
という感情、本音が隠れています。

この感情を明らかにしてしまうことが怖い

怖いと認めると、現実に起こってしまうのではないかと不安になる

なのでこのありのままの感情を明らかにしない

心身ともにコントロールして健康体でいれば、出産の痛みも少ないはずだ

という、誤ったポジティブシンキングに突入。
からの、ナラネバ娘登場!
この仕組みが背景にあったのです。

出産の痛みを恐れている、という感情に寄り添った時、初めて、出産後の子育てへの不安も同時にあったことに気づきました。
それは芋蔓式に、
パートナーと協力して子育て出来るのだろうか、
経済的な問題は育児に影響しないだろうか、
など、その他の恐れや不安がズルズルと引っ張り出されてきたのです。

このようにありのままの感情を明らかにしたとき、
気づいて気づいて!と泣き叫んでいたわたしの感情の声、インナーチャイルドの声が、
ようやく受け止めてもらえたとばかりに騒ぐのをやめ、
ナラネバ娘が肩肘張って頑張ることもなくなりました。
痛みへの恐れを受け入れ、認めた途端、
なかったことにする必要がなくなったからです。

“TODOLISTを作ってやることの優先順位をつけて、ヤラネバ” 娘
の背景には、
「出産や育児が未知なものだからこそ確実に準備しなければ。まだ起こるかわからない未知への恐れ」
という感情、本音が隠れていました。

“投稿しないとならないのに時間がない、、すぐさまヤラネバ” 娘
には、「自己表現を怠って周りから認知されなくなったら孤独になってしまう」
という感情。

“携帯やTVに夢中になっている時間を少なくして、会話や団欒が中心の家族にゆくゆくナラネバ” 娘
には、「パートナーとの関係や子どもの人間性が壊れていったらどうしよう。まだ起こるかわからない未知への恐れ」
という感情。

恐れが大きければ大きいほど、
娘たちを存在させ、自分の首を自分で締めていく。
そもそもは、それらの感情をなかったことにして見て見ぬふりをしていたということが
大きな要因となっていたのです。

ありのままの感情を明らかにし続けていくこと

簡単なようでいて、出来ているようでいて、
無意識のうちに隠し続けようとする恐れや不安の感情。
明らかにし続けるということは、自我を見張り続けていくということであり、ハートを開き続けていくことに他なりません。
ハートを開いて全てを明らかにした結果待っているのは、
わたし自身への赦し、解放です。

この大きな気づきをもたらしてくれた一連の出来事、真我の学びを共に伴走してくれる師の存在、本からの学び etc...
今は心から、感謝の気持ちでいっぱいの自分が在ります。

こんなヤラネバ娘やナラネバ娘、皆さんの中にはいないでしょうか?
彼女たちと遭遇したら、
真摯に向き合って、まずは声をかけてみることから始めることを、おすすめ致します。

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