「どちらが先に口火を切ったのか、もうわからない。」vol.3
ゲスト:飴屋法水、川口貴大
2017/5/13 @三鷹scool
「口火シリーズ・大谷による各回の記録とレヴューvol.3」
三鷹にあたらしいイベント・スペースを作るから、出来たらそこで何かやって欲しい、という話をダンス批評家の桜井圭介さんから伺ったのは去年(2017年)の頭のことだったと思います。いや、もっと前かな? 佐々木敦さんのHEADZと共同で場所を作るということで、楽しみにしていたそのスペース「scool」がオープンしたのが、2017年の4月のこと。そうか、まだ一年も経っていないんですね。その間にこの場所でおこなわれたイベントの数々についてはscoolのサイトで確認してみて欲しいのですが、われわれ「吉田アミ、と、大谷能生」も、このあたらしい真っ白い三鷹の会場で「口火」シリーズをおこなう企画をたてました。(「口火」というシリーズ名もここから正式に採用されました)。
劇作家・美術家・パフォーマーである飴屋法水さんとわたしたちは、以前も浅草橋パラボリカ・ビスでのライブで朗読をめぐるパフォーマンスをおこなったことがあり、また、吉田は彼の作品自体にも参加しています。飴屋さんが『ブルーシート』で岸田戯曲賞を受賞する以前の話で、飴屋さんにあらためて「戯曲のテキストを朗読するんでゲストとして参加して欲しい」とお願いしたところ、快くOKをいただき、第三回目のテーマが「戯曲」に決まりました。
戯曲(あるいは上演台本)という書き言葉は、読み物としてはかなり特殊な部類に入ると思います。役者による上演を前提にした、読まれるというよりは「演じられる」ことを目的にした書き言葉を、そうではないかたちでステージに乗せる……ということが、「口火」シリーズとしてのこの回の試みだったのですが、もうひとつこの回にはテーマとして、「311」がありました。『ブルーシート』を取り上げるのだから当然、ということはあるのですが、scoolがある三鷹は吉田アミが2011年の被災時に暮らしていた街であり、当時の状況をここであらためて、自分のパフォーマンスを通してステージで確認・共有する、という作業が、彼女がこの時の演奏でおこなおうとしたことだったと思います。
当日のパンフがいま手元にあり、そのなかに吉田の前口上、というか、パフォーマンス後に読まれることを前提にした文章がありますので、抜粋します。
〈「311のあの日にあなたはどこで、何をしていましたか?」色んな人にその日、どう過ごしていたのか訊いたところ、あまり覚えていない、その日をどう過ごしていたのか何も覚えていない、覚えているのはテレビに映る津波の映像と目まぐるしく流れるTwitterのタイムラインを交互に見続けたこと、揺れた瞬間に押さえた本棚の重さ、家族や親しい人を心配する気持ち、会社は当然休みになるだろうか、とか、14時46分18.1秒後にはつぎの未来が訪れて、それぞれめいめいに思ったはずの東京のことを、テーマにしたいのだと思ったのだ。
それですこし、話は変わるのだが、三日前に髪を切ったんだよね。それでいつも髪を切ってもらっている美容師さんにもその日、どうしていたか訊いてみたんだよね。やっぱり彼女もあまりなにも覚えていないって言っていて、このお店にいて、そのときも髪を切っていた。揺れがきたときにまず、お客さんの安全をって思って、最初にした行動は、持っていた鋏を、すぐさまシザーケースに、けれども慎重に、落とさないように第一に、入れたことを覚えていて、そのあと、走ってお店の扉を開けて、押さえていて、誘導して、みんなで、店の外、道路にいて、外の電信柱とか見て、あーとか言っていたことを覚えている。それで、揺れがおさまったからっていって、髪を染めていたり、切っている最中のお客さんをそのまま、帰すわけにも行かないから、また、お店に戻って、で、お店の子に、お客様にはいつもは出さない、スタッフ用の麦茶を出させたんだって。落ち着くようにって。それに、ウォーターサーバーが倒れちゃってて、うちの子が片づけている最中で、使えなくなっちゃって。余震で紙コップの中の麦茶が揺れて、そのことが気になったりしながら、こんなことをしてしまうのは、いつもとは違うテンションなんだな、と思った。だから、原発のニュースを知ったのはお店が終わって帰りの電車の中で携帯で見たニュースだったそうだ。それで、と彼女は続けて、次の日は別にお休みにしても良かったのに、翌日もお店は開けた。お客さんはぐっと減ったけれど、不思議とゼロにはならなかったと、いう話を髪を切られながら訊いていたのだった。
「いつものことをいつも以上にいつもどおりにと、普通にしなくては」と、懸命に立て直した事を訊いて、戻れる普通が、日常が壊れてしまって、異常な状態が続いて、いつ終わるのかもわからないまま続くかもしれない不安にいた人はいま、どうしているだろう。どうやって、日常に、生活に、通常に、普通に、戻っていったのだろう。もしくは、新しい出来事の日々に忘れてしまったのだろうか。それとも、未だに帰れないまま、「あの日」に彷徨い、立ち尽くしているんじゃないのか。わたしは、過去と同じ状態を再現して、忘れてしまった何かを、必死で思い出そうとしているんじゃないか。一体何を思い出したいのだろう。上書きされてしまった記憶の中に何を求めているのだろうか。一二三と続き、四で崩れる積み木みたいに。〉
長くなりましたが、後半部分をほぼ丸々引き写しました。このテーマに関して、飴屋さんとしっかり話をした記憶はないのですが、テキストを決める際の打ち合わせにおいて、飴屋さんが提案してくれたテキストが、小田尚稔氏の戯曲『是でいいのだ』と、『アンネの日記』でした。『是でいいのだ』は、震災の日に新宿から中央線に沿って三鷹(近辺)まで歩いてゆく人物が登場します。『アンネの日記』は、さまざまな破壊的出来事に巻き込まれながら、あるひとつの場所に止まり続ける少女の手記です。わたしたちはそれらのテキストに加え、吉田アミのオリジナル『三つの月と耳たち(仮)』および、畠山直哉氏と大竹昭子氏の対談をまとめた『出来事と写真』から文章を選択し、それぞれ読む箇所を打ち合わせ、ステージ上でそれを折り重ねました。『ブルーシート』と『是でいいのだ』の同時プレイ、という例のない状態がそこに生まれた訳ですが、移動すること、止まること、といった運動と、過去から離れること、逆に過去へと近づくこと、といった状態を、いくつものシーンを重ねながら演奏できたのではないかと思っています。
このステージに、美術家の川口貴大氏に美術・照明・音の担当として参加して貰いたい、というアイディアは吉田アミからのものだったと思います。テキストの時間とはまた別に、いまここに確かに流れている不可逆な時間の層を相手に、川口くんはトランクに詰め込んだオブジェをステージ上に配置し、音を鳴らし、光らせ、またそれを回収して去っていきました。
このライブの模様を言葉でレヴューするのは本当に難しい。でも、編集された映像記録にはそのときの生々しい時間と空間が充分に刻み込まれていると思います。三鷹scoolという場所でしか実現できなかった「あの日」の演奏を、是非とも試聴してみていただきたく思います。
当日使用テキストメモ:『ブルーシート』(飴屋法水)、『是でいいのだ』(小田尚稔)、『三つの月と耳たち(仮)』(吉田アミ)、『出来事と写真』(畠山直哉+大竹昭子)、『アンネの日記』
『口火 Vol.3』記録写真 : Hideto Maezawa
https://www.flickr.com/photos/amiyoshio/albums/72157688950382655