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「どちらが先に口火を切ったのか、もうわからない。」vol.1

ゲスト:榎本櫻湖
2017/1/18 @荻窪velvetsun

「口火シリーズ・大谷による各回の記録とレヴュー vol.1」

 2017年度の一年間にわたってほぼ隔月で続けてきました、ユニット「吉田アミ、か、大谷能生」による「どちらが先に口火を切ったのか、もうわからない」。ここらで各回を振り返ってイベントの詳細を記録しておこうと思います。
 まずはユニット名というか、そもそも二人で「テキスト・リーディングも含めた即興演奏」の試みをはじめたのは、2010年ぐらいまで遡ります。「即興演奏のあたらしい構造実験」のひとつとしての「朗読」の導入ということで、当初はおもに即興演奏のライブの延長としておこなっていたのですが、既存作家のテキスト(笙野頼子、夢野久作ほか)への取り組みを経て、このユニット用にオリジナルを書こうということになり、グーグルドライブのドキュメント上での「小説」の共作を開始(先日、vol.5公演の前に公開でおこなったあの感じです)、結果として1万2000字を超える長編になったその「小説」を元にして、2015年に舞台作品『デジタル・ディスレクシア』を制作しました。この舞台作品についてはまた稿をあらためて解説しますが、それで、この時に共作小説の書き手の名称/ユニットの名称(それまでは漠然と「朗読DUO」と呼んでいました)として「吉田アミ、か、大谷能生」が選択された、ということです。
 これだけでも大分ややこしいですね…。肩書きも「実験朗読ユニット」とか「前衛文学/音楽ユニット」とか、どうしてもゴチャゴチャしたものになってしまいがちで、この文章ではできるだけ平易に自分たちが目指しているものを伝えられるように頑張ります。
 箇条書きで、「吉田アミ、か、大谷能生」の抱え込んでいる文学的/音楽的特徴をまず挙げてしまうと、

・女性/男性の、書き言葉における複数レベルの混在(書く主体の混在、語り手の混在、人称と指示代名詞の混在)。
・ふたりで同じ文章を同時に発声することで生まれるズレ、距離、時間、感情。
・ふたりで違う文章を同時に発声することで生まれるズレ、距離、時間、感情。
・そうした声を支える「文章」というもの自体の基盤の露出。
・「文字」と「声」、「朗読」と「即興演奏」の対立点。
・声の肌理、質感と、文法が生み出す構造をどのように止揚するか。
・演奏の時間と「黙読」の時間とを近似させること。
・二〇世紀現代小説/現代詩が作り上げてきた時間と空間の構造を、そのまま即興演奏の現場の時間に転換して実現させる。

などなどなど。また難しい感じになってしましましたが……面白そうじゃないですか?
 『デジタル・ディスレクシア』は舞台ということで、映像、美術、照明、振付なども含めたトータルメディア作品を目指し、上記のようなコアな問題意識はそれほど前面には出ていなかったと思います。ということで、もう少しシンプルなかたちで、文学/音楽の21世紀ヴァージョンへの模索として、実験的なライブをもう少し展開してみよう。そう思っていたときに出会ったのが、詩人の榎本櫻湖さんでした。
 知り合うまでの経緯も面白かったのですが、それは略して、まず読むことが出来たその詩作品が素晴らしかった。

 樹海の椅子
 しずかな檻を羽織って
 滴る嘘をならべる
 有翼のオレンジ
 坐るもののいない朽ちかけた部屋の
 湿った壁に凭れかかっている
 七つのピアノ
 やがて爛れてゆくであろう
 脚を齧るなにかを
 それは眺めているのか
 いつまでも蔓にぶらさがっている
 ことばの臀を
 窪みへと導いて
                           (「瀞」)

 一例にすぎませんが、どの作品も言葉とイメージの圧縮度がきわめて高く、「櫻湖」という名前からして木と水とオンナと古い月がマッシュされている訳で、しかし本人のキャラクターはマツコ・デラックスとタメをはれるほどユニーク。とにかく面白い!
 はじめて聴いた朗読は、ほとんどシュプレッヒゲザングで、この詩が歌になっているのはとても興味深かった。パフォーマーとしての能力の高さを感じたので、(ライブハウス『四軒茶屋』で、自身の朗読イベントも長く続けていることですし)、即興を織り交ぜてのライブも充分に対応出来ると思い、ライブのオファーをお願いしたという次第です。
 ライブは櫻湖朗読ソロから、漸次大谷&吉田がサックス、CDJ、ピアノ、PC,物音(レンガを割ったりとか)、声で加わり、鷹揚せまらざる余裕さを持った、きわめて「音楽的」なライブになったと思います。その詩作品自体が、歌い上げることによる「感情移入」などを拒む、作者/読者と作品とのあいだに物質的亀裂を生み出す傾向を持ったものであり、それがゴロっとステージに乗っている状態をなるべくキープできたのは、これ以後のライブにつながる収穫でした。しかし、それでもまだまだつい「うた」ってしまう、既存の音楽や朗読のフォームに寄ってしまう瞬間も多々あり(このライブに関してはそれでよかったと思いますが)、ここから、さらにもっとはっきり、「現代文学」のエクリチュールによる時間=空間のライブ化を目指す実験が続けられることになります。こういった話に興味を持ってくれた、小説家の滝口悠生氏が、第二回目のゲストとして参加してくれることが決まりました。(続く)

記録写真 https://flic.kr/s/aHsmakWQmQ

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