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三鷹吉祥寺情景歩く
杏林大学病院に10年以上前の診断書の間違いを改める為に、下北沢から井の頭線に乗って吉祥寺に来た。駅の改修でずいぶんとわかりにくくなった中央線や総武線には行きたくない。駅ビルがごんごんごんとブロックみたいに攻めてくる。スクエアに配置された駅は行き先を見失う。息苦しい駅になっちまったものだな。公園へ向かう出口が光の先みたいに招いていた時代とは違うもの。無意味な階段を降りて路に出る。もうバスはこの狭い道路を迂回しているらしい。歩けば20分が渋滞して40分。20年くらいこのへんに住んでいた。駅前は変わってしまった。かなり変わった。アトレが入って、立川駅みたいになった。でも、立川にはケーブルカーがあるし。ヴィヴィアン・ウエストウッドがあるし、陳建一の麻婆豆腐が食べられる。中華食材の専門店にはぎゅうぎゅうに詰め込まれた雀の冷凍品やふかひれが売っていた。そんなことより、吉祥寺といえばロンロンなんだよ。緑のロンロンカードが特権みたいだったもん。中央線の独自性はなくなった。すべてがアトレである。商業主義め。芸術の余裕を与えたもれ。わけがわからない部分がなくなっていく。そもそも、ロンロンってなんだよ。でも、ロンロンの余韻は残されている。抵抗の傷跡が吉祥寺にはある。そのことをひさしぶりに訪れたこの場所で、この目で、確認した。駅から30秒のマンガ家定番の打ち合わせスポットであるSTONEという喫茶店もない。地下に下った薄暗い防空壕のような店。埃と湿度。わたしはおそらく、ここで大島弓子らしき人が隣にいたことがある。エッセイマンガに出てきたアシスタントとふたり。コーヒーとたぶん、ケーキ。「アメショーの子がいて」「気になっている」という言葉が聞こえた。本人かどうかなんてわからない。これはかんちがいなのだろうとも思っているけれど、彼女は靴下を履いていた。丸い眼鏡をかけていた。顎はしゅとしたマンガに出てくる美少女で、あの肖像画とは違っていたが彼女が大島弓子であればいいと思った。
三鷹に住んでいた。万助橋。いまはジブリ美術館が近い。たびたび、楳図かずおという動くパワースポットに出くわしがち。ロジャースで売っている赤い縞々。「ぐわし」とやるとちゃんと返してくれる。調布ではすごい勢いで走って、大福を買いに行く水木しげるを見たり、なんだか妖怪じみたかんじ。妖怪にも合った。深大寺そば。深大寺植物園。野方というバス停から吉祥寺まで行くとき、いせやにいつもいる高田渡。のんきのらねこねごとをぬすむ あの…… あのねあの世は道クネクネね なかなかこんな
困難!
なのかな。
吉祥寺のSTONEでわたしは元「マーガレット」「ぶ〜け」の編集者とあった。鈴木志保先生にも会った。中学生のわたしが知ったら卒倒する話である。これは定番な言い回しであります。大人になったらこんなうれしいことがあるんだよ!と、辛いことや苦しいことは無視して、いつもここにはいない過去の自分に「生きとけ〜死ぬな〜絶対生きていたらいいことあるから〜」という呪いみたいな祝詞をあげるのであった。声をかけたことはないけれど、大友克洋だっている。住んでいた場所のめっちゃ近い場所にマッシュルームスタジオがあった。ガンジスも入っていた。わたしはあとで気がつくのだが「プリンセスチュチュ」というアニメが好きでね。事故みたいにザッピングしていたら、岡崎律子の声にやられて、半信半疑で観はじめたらすごい名作だったわけですよ。あーーーーー江口寿史をタワーレコードで見た。小さく震えてガッツポーズ。エスカレーターで降りて、後頭部をみる。タワーレコードでビョークのあたらしいアルバムを買った。イラストが重なって景色を覆う。
吉祥寺という町はマンガ家を筆頭にひとりで閉じこもり自分の世界を構築したい人間にとって、都合よく整備されている。この町ですべてがそろう。大根だってマンションだって買える。移動しなくていい。自分の世界に没入する素質のある町。だからあんな狭い駅前をバスが通るわけで、たびたび人が漫☆画太郎のように人がぶつかる。救急車がくる。タンカーで運ばれる。
岡田斗司夫もよく見かけた。島本和彦先生のマンガで知ったあの家だって、知ってる。いまはもうない中華料理屋で隣にいたのが岡田斗司夫だったときがある。有名人に声かけるなんてしないよ。だから、紹興酒をわたしは呑んだ。オネアミスの翼。と学会。ガイナ。いいとか悪いとかで判断するものではない。サブカルって本来、そういう灰色だよ。決められない途中の逡巡さ。未熟なんだ。黒にも白にもなれる。でも、やっぱ、悪いやつだとは思っているし、正しさで生きるのは息苦しい。それが人ならでは。生きろなんて言葉は嫌だ。
で、そのままバスの停留所へ向かう。ここには三浦屋があった。そう、わたしは階段を降りながら、もし、ロッキングオンで3万字インタビューを受けたならこう答えようなんて、妄想して、ワルシャワでレンタルして、四畳半の部屋に帰るのだろう。最後の一段をぴょんと跳ねるように着地。左側にある本屋は鈴木扇二のイラストが青く、プリントアウトされた紙袋。ここで、何冊も本を買ったのだがもうそれはない。実寸大の水木しげるマンガもここで買った。ハーモニカ。変わらない通り。でも、自転車は一台もなかった。誰も停めていないのか。
バサラブックスと百年の前をとおりすぎる。まずやらなくてはならないことをしなくてはならない。わたしはここに、書類の訂正に来たのだ。バスを待つ。その間に読もうとした本に手を触れることもなく、バスが来る。ずいぶんと、体が不自由な人向けのスペースがあるなあ。誰も座らない。いや、立ってるとそれだけで邪魔だろう。困った人がいれば譲ればいいのだ。生真面目にわけのわからないルール。よく歩いていた道が高速で窓をすりぬける。この道かと思う。あまり変わらない。ときどきバスで一緒になった背の高いあの人はもういない。けれど、同じこの路線、乗ってたんだよ。眼帯をしたあの人だって。声をかけないまままっすぐに駅という目的地に向かう。思えば、日常に見える嫌なものが排除されている町なんだ。30年も変わらない場所があるだけで目印になるし、妙な圧力。ストレスを、いまわたしは感じていない。あれ、なんか、この町。楽なんだ。
嫌いになろうとしたのに。
バスの停車ボタンを押すのはいつぶりだろう。わたしが押しても数人はとも連れ。午前中に連絡していたのであっさり終わる。事務手続き。事故手続き。人生手続き。歩くのもありかと思ったけれど、帰りのバスはあっさり来た。間違えたのは相手なのに、なぜわたしはこの時間とお金を浪費しているのだろう。そこに意味を求めよ。意味か。今、わたしはこの無駄な時間を楽しもうとしているらしい。三鷹の駅前に着いた。SCOOLで公演したな。いくたびに気分が悪くなっていて、それを克服するためにやろうと思っていた。あのとき、この街を嫌いになる理由ばかりを数えていた。打ち上げはわたしがいなくなったあとにできた、チェーン店だったなあ。ほんとうなら、この店がおすすめ!
もう、この町にわたしは住んでいない。おかしのまちおかだってもうないじゃん。あの、クリームダウンのできた牛乳だって売ってない。いつでも買えて当たり前だったクロデッドクリームだって、紅茶だって、ハーブティーだって、輸入雑貨、皮付きの豚バラ肉、歩いてすぐ行ける場所にほしいものがそろっている。だから貯蔵なんかしなくていい。まっすぐな道。わたしが住んでいた場所に行き着く。なんでこんなに変わらないんだろうか。
ラーメンみたかに行く。もう今日はここにいこうって、決めてた。時間も調べた。開店時間より数分早かったので、モスバーガーがあった場所にできていたトレファクで古着を買った。ここのモスバーガーでクリスマスにモスチキン買ったら間違えて二本になっていた。メリークリスマス!モスモスという小冊子をもらうために、月に1回はぜったい、モスバーガーにいかなくてはならない習わし。中学高校生のときの儀式。夜中に親が突然、「モス行く」と、連れていかれ、ポテトとてりやきバーガーすごくおいしい!って、車の中で食べたこと。モスは作っている様子をみることができて、それをマンガにした。高校生の時のノートに描いて。でもここ、フランチャイズで。直営店ではないから。老夫婦がきりもりしていた。最初は。そのうち改装してさあ。わたし、覚えているんだよ。
友達の描いたマンガが雑誌に載った。その日に走って、駅前の本屋を何軒かまわって。買った。その本屋はもうない。雑誌もないけどね。今はサイゼリアになっている。「クイック・ジャパン」を手にとって、「宝島」のまねじゃねえかと悪態ついた。耳か。耳のアップ。懐古主義。ださいなと本を閉じた。楠本まきのマンガが平積みされている。リアルタイムで読んだ本。うさこちゃんの絵本。おばけの本。子どもときに持っていた今は手放してしまったものがここにあるので、いつでも戻ってくればここにいられる。わたしは親が嫌すぎて逃げて家出したまま一人暮らしをはじめた。自分の好きであふれる場所だけ。何も自分を侵食しない、一人だけの場所にいたかった。ふたりでいてもひとりで居られる場所があって、その場所があればよかった。一人の時間がないと相手のことを気にしてしまう。それはやりすぎで、気にしすぎ。創作の中ではとてもいい、演出家としては最適。だからそれを切り分けなくてはいけない。これは仕事ですること。プライベートはもっときらくに生きていいのだ。生き方が下手くそすぎた。家がつく職業につきたかったし、つくつもりでいる。そこには猫が必要。わたしをがんじがらめにする、規則正しくすることを望む、わたしではない存在がわたしには大切。横切る、邪魔する、厄介な。ふわふわの猫。
夢をみた。わたしは苦しい現状から逃げたいと思った。制服を着た少女の頃。バイトで3万円くらい稼いだ。これでどこにでもいけるのに。学費を自分のバイト代で払わなくてはならないという状態が続いて、我慢して、なんかしらんおっさんがお金くれたり、ごはんやお酒を飲ませた。年上の彼氏にもらった指輪がじくじくと痛み、金属アレルギーが発覚。はずして、名古屋港に投げて捨てた。変色した指。結婚届を出す現代アート(笑)、裸で縄跳びをする未成年者(笑)。いまだと一発アウトな感じの提案。全部無視。菓子パンを食べながらギャラリー巡り。オープニングだと誰でも知らずなにか飲めるし。ライブハウスでI.W.ハーパーのかたちしたドリンクチケット。これください。未成年でも酔っ払える。90年代。
そこはそれなりに過ごしやすい場所。そこにいることも奇妙ではあったが判断がつかなかった。あの町にいたわたしは何かを決めることを、億劫だと先伸ばした。臆病な時間があったのだ。同じように足跡が残るのだとしたら、昨日と違う明日の足跡をわたしは歩んでいくほうがいいなと思って見上げる空は茜色。青から赤へ。そして、黒くなる。終わりのはじまりの音。一段、スキップ。いつもの。日常。ルーティーン。逸らした空。わたし。いま、着地。ここに。着地。