サマースプリング (吉田アミ) 書評 (想定媒体 個人Webサイト) 字数(1406文字)
この人はなんて嘘つきなんだろう。
読みはじめた瞬間に思った。
こんな出来すぎた話があるわけがない。これは流行の自伝的小説の仮面をかぶったフィクションだろうと思ってしまった。そう確信したのは舞台となっているのが、1989年の名古屋で中学生という設定だ。何を隠そう、この僕もまた1989年に名古屋で中学をすごしていたから。
しかも、どうも舞台となった中学校は、僕が通っていた中学と同じ(森山→守山?)らしいのだ。と、いうことは僕が受験勉強真っ只中の中学3年生のときに、彼女は同じ学校で1年生だったはず……!? 僕には、こんな不幸があるとは俄かに信じがたい。僕が過ごした日々は、バカみたいに穏やかだった。これは僕の知らないパラレルワールドだ。そう思って、他人事のように(いや、他人事なのだが)読み進めていくと、事細かに記された学校の特徴、事件から、自分でも忘れていた過去の記憶が鮮明に蘇りはじめた。そうだ、僕もまたあのとき、同じように学校の理不尽を体験していた。いじめもどきのようなこともやった覚えがある。もちろん、女の子どうしの陰湿ないじめに比べれば、いくぶんかマシだっただろう。陰口を叩いたり、無視するといった陰惨なものはなかったし、むしろ、先輩から無抵抗に受ける(後輩をぶん殴ることを「しばく」と言っていたw)暴力に何の疑問も感じなかったし、そうやって殴ることは信頼されているからだ、と思い込んでいた。でも、彼女は違っていた。それはどんなに苦しかったのだろうか。13歳の小さな少女が、だ。学校にも家庭にも行き場がない閉鎖した土地で何の救いも求められず孤立していく。
冒頭に「わたしは どこにも属さない 歪んだ螺子」とあるように、みんなと同じ価値観を共有できなった少女は、他人に救いを求めることを最後までしなかった。彼女を助けてくれる先生も同級生も居ない。自分自身の内なる声を聞き、その言葉に従う。何の救いもない暗闇で見つけたのは、ただ「生きたい」という欲望だけだった。それが彼女に声を与えたのだろう。彼女の中学時代を読むことで、追体験しながら、最後に胸を撫で下ろしたのは、かすかにともった希望が力強く、僕を照らしてくれたからだろう。
この小説の文体は、児童文学作品みたいで読みやすく、サクサクと2時間もかからずに読み終えた。この読みやすさはは、かえって、淡々と事象を捉えており、生々しく感じた。でも、つい目を背けてしまい、幾度も本を閉じなければならなかった箇所もあったのも確かだ。よくいるヤンデレキャラだと思えれば、もう少し、耐性が働き我慢ができたるのに、萌える余地はまったくなかった。そして、気がつけば、嘘だと思った小説は本物らしく見えていた。
この小説は、彼女が中学生のときの4月から7月という短い期間で体験したことがベースになっているという。しかも、この内容は、体験時に記した日記をもとに、誰に見せる予定もないまま、体験からたったの2年後に書き記したものと知り驚愕した。まるで呪いが解けるのを待つかのように、彼女は人知れず何年もかけて手を加え続け、やっと2007年に発売されたのだった。
どんな気持ちで、校正し続けていたのだろう。考えると仄怖い。そして、想像してみた。僕が中学生の彼女を知っていたらどうしただろう。彼女を守ってあげることができただろうか?きっと、できない。逃げ出してしまうだろう。ライトノベルの主人公ならこんな壊れた世界にいる少女を何の躊躇もなく救うのだろう。西尾維新の「化物語」や、入間人間の「嘘つきみーくんとまーちゃん」シリーズの主人公のように。現実に僕は、近くにいたかもしれない彼女を救えなった。そう思うと胸が痛み、僕の心を大きく占める特別な一冊になってしまった。
今後、本人に会うことも、あるかも知れない。そのとき僕はどんな顔をしていればいいのだろう。ただ、笑っていればいいのかな。不思議な表情を浮かべてしまいそうで、今はそれが一番、怖いのです。
以上!物書き講座の授業で書いた自分の小説『サマースプリング』の自作レビューでした。同情するならKANEKURE!
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