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英語山の中腹でもの思う

英語は丁寧に話す

英語を本格的に学び直すと決意したのは4年前。
具体的な目的も目標もなく、ただ将来何かの役に立つはずだという思いだけで始めた習い事だったが、地道に取り組むという山羊座の気質がうまく働いたようで今でも飽きることなく続けられている。
先日スクールでレベルチェックを受け、中級の中レベルに合格した。
習いたての頃は中学英語でさえ怪しかったことを思えば、ようやくここまで登って来たかと山の中腹から麓を見下ろしているような心境になる。

今でも鮮明に思い出せる、習いたての頃の自分。
yes no、僅かに知っている英単語、どうにか話せる短い文。
たったこれだけの武器を手に、40分間のレッスンをまさに耐え凌ぐ感じだった。
リスニングはできる方だったので先生の言っていることはわかるが、コメントも返答も時間をかけてたった一言発するのがやっと。
語彙がないせいで言いたいことは殆どが言葉にならず、歯がゆい思いをし続けた。
ロビーで先生達と楽しそうに談笑している上のレベルの生徒さんを見ながら、どうすればそうなれるのかと羨望の眼差しを向けていたものである。

そんな中で私に衝撃を与えた一言がある。
私が当初通っていたスクールに、コワモテでちょっと厳しいアメリカ人の先生がいた。
主に上級や中級レベルの生徒たちを担当していた先生だったが、時々初級レベルの私のレッスンを見てくれたことがあり、その中での一言だった。

その日のレッスンの内容は自分の持ち物について、
「私の家に冷蔵庫があります」「私の部屋に本棚があります」などの表現を学ぶというもの。
家の中にある家具や電化製品の語彙にウエイトがあるような内容であり、フレーズも大して難しくなかったので、その日は問題なく終えられるだろうと少し安心していた。
ところが、実際に自分の家にある物で文を作っていた時、先生は言った。

そんなんじゃ面白くないよ。

色とか大きさとか、詳細がないとつまらない。
boringは覚えて間もない単語だった。
その口調が少し強めだったこともあり、その言葉は衝撃的に響いた。
こちらはテキストの例文どおりに文を作っていた手前、いきなり面白いとか面白くないとか何でそんな事を言うのかと困惑したのを覚えている。
その日はぼんやりとショックを受けて帰宅したが、その後も頭から離れなかった。

単純に形容詞を加えて話せば良いのだと解釈することもできたが、深く考えているうちに気づいたことがあった。

英語は日本語とは考え方が違うのかもしれない。

例えば「私の部屋にベッドがあります」と言う場合、日本語の会話では色や材質などの細かい部分には触れないことが多いと思う。
「俺の部屋にベッドあるんだ」と言われれば自然な感じがするが、「俺の部屋に黒い木製のシングルベッドがあるんだ」と言われると何だかしつこく不自然に聞こえる。
「黒」や「木製」や「シングル」が珍しいとか重要な情報でない限り、詳細は省略されてしまうのだ。
それゆえに私はテキストのシンプルな例文に違和感を覚えなかったが、これが外国人である先生からするとまるで違ったのだろう。
ベッドという一言だけでは一体どんなベッドなのかイメージが全く浮かばない。
浮かばないから会話文としては不十分で、結果面白くないという評価に繋がったのだ。

そこに気づいてからは、チャットで話す時など出来るだけ詳しく説明するように意識するようになった。
内容を濃くするため次第に言葉数が増え、会話がうまく成立するので話すことが楽しいと思えるようになった。
レッスンはいつの間にか耐え凌ぐものではなくなった。

その先生はその後すぐに辞めてしまったけれど、本当にあの一言が私の英語を変えたのは間違いない。
今となっては、レッスン前に異常に緊張する事もなければ、初対面の人達と英語でちょっとした会話をするようなイベントへの参加も物怖じせずできる。

あともう少しだけ学習を続けるつもりだが、やはりこの時の事を胸に留めて進みたい。