あの頃のときめき
小さい頃、DSを買ってもらえなかった。
友だちと集まるとみんな持ってて、私だけ借りて遊ぶことしかできなくて、ひとり輪の端っこでニコニコするしかなかった。
(安直だけど、MBTI診断の1文字目が自他ともに認める「I」である要因のひとつだとマジで思ってる。)
ラブ&ベリーのカードゲームもやらせてもらえなかった。
幼稚園の頃通っていた習い事で、私以外みんなカード交換に夢中だったけれど、ずっと参加できずにいた。
そのとき優しい子が1枚だけ、靴下が描かれたカードを譲ってくれたことがある。きっとみんな何枚もダブってる最弱カードだったと思うけど、私はそのカード1枚をめちゃくちゃ大切にした。たぶんどの女の子よりもあの靴下への思い入れが深い。
もちろん買ってもらったおもちゃもいっぱいある。
「お母さんに内緒ね」と、おじいちゃんと行ったトイザらスとか、ずっと大事に持ってたハッピーセットのおもちゃとか、友達が家に来たら絶対やってたテレビゲームとか、今でも電池を入れたら動くたまごっち、ベット下で眠っているぬいぐるみ達、思い返すといくらでも記憶が湧いてくる。嬉しかった時楽しかった時の景色がそのまんま浮かぶ。
たくさんの愛を受けて育ったんだなと痛感する。
あの頃、買ってもらったもの、欲しかったけど買ってもらえなかったもの、それぞれいろんな思い出が一生私のなかにこびりついて離れない。
最近の「平成女児ブーム」がまさにこのあたりの感情をくすぐってくる。私も平成を女の子として駆け抜けたひとりなので、懐かしいガチャガチャなどをみると心乱され購買欲を抑えることに必死になってしまう。ガチャガチャ売場で大声を出してしまう。
けどやっぱり、あの頃ほどの感動は取り戻せない。
大人になって、自分のお金でDSを買った。あの頃叶わなかった望みを自分で叶えた。近所のブックオフで見つけた本体に、当時友だちの家で遊んでたソフトを入れる。
あんなに憧れたポケモンバトルは、私にとって面白いものではなくなっていた。3匹のポケモンから相棒を選ぶところがピークだった。数歩歩くたびに何度もバトルが始まるのが鬱陶しい。
友だちの家で必死に遊んでいたリズム天国は、全然クリアできなくて諦めたままだ。1日2日でドヒャーっと進めて、何度やってもうまくいかないステージにぶつかり、放り投げてしまった。
小学生の頃出会っていたら違ったのかもしれない。けれど、今の私には全くときめかなかった。
断捨離をするときに「ときめくかどうかで決めましょう」という有名なフレーズがある。
あの頃あんなにときめいたけれど、今はそんなにときめかない。今ときめいたものが、数年後ときめかないかもしれない。「ときめき」があるタイミングってとっても限定的で、儚くて、貴重なんだと思う。
子どもの頃のときめきは特に今でもずっと色濃く思い出として残っていて、今の私のときめきの原点になっている。
だからこそ、今のときめきに正直に生きたい。そして、そのときめきをずっと尊い思い出として、長い年月かけて大切にしていきたい。
あの頃の「靴下のカード」へのときめきが、今でも私の中に残り続けてるように。
ときめく思い出と共に、私は生きていきたい。
(だから24歳でもプリキュアのハッピーセット買ってもいいよね!)