関係者から聞いたどうでもいい話18〔有料&購入者様も他言無用で願います〕
信頼できる人から聞いてますが、証拠・証明はできませんし、ほんとだろうが嘘だろうが、たぶん誰も傷つかないだろう内容です。
田村正和→眠狂四郎→市川雷蔵→Jさん②
アメンボアカイナから始まり、
オアヤヤハハオヤニオアヤマリナサイ、
東京特許許可局の許可不許可、
ういろう売り。
いろいろやったあと、エチュードや即興も。
浩はめっちゃ素朴かつ、めっちゃ大根な男の子だった。
その後、シャイダーになっちゃうものの、まだまだ大いなる大根だった。
それでも母校は堀越だった。
いかにもである。
まあ、そんなこんなでJさんとけっこう仲良くなった。
五十代男性と友達になる二十代制作会社事務員。
いろいろ話しているうちに、Jさんの半生がわかってきた。
ざっくり言うと前半生は演者で、大映大部屋時代は、まさに市川雷蔵さんにかわいがられたのだという。
体型が似ていたので、スタンドイン(代役)もこなしたそうで、例えば忍びの者シリーズなら、忍び込み、女性に迫るシーンとか、梁からしゅたっと下りて、廊下をたたたと抜けて、姫とかの衣に手を伸ばす場合、手をのばすところからが雷蔵さん。
立ち回りも、意外につん立ちの雷蔵さんのために、腰だめで刀振るうのはJさん。
そしてキメるのは雷蔵さん。
雷蔵さんが37で逝ったとき、Jさんは奥様から、形見に、雷蔵さんの衣類を何点ももらい受けたという。
スーツとかも、ドンピシャ、ジャストサイズだったという。
え。
37?
円谷浩も享年37だった。
何だか因縁…感じてしまう…
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それでも地球は回っている