私本義経 旅ゆく

帰途


引き続き京都と木曽の様子見をするという吉次、吉内と別れ、私と弁慶は、鎌倉へ下る範頼兄上とともに歩み出した。
下る?
下るで良いのか?
京都を中心に考えれば下るだが、北陸宮を中心に考えれば下るだが。
兄、頼朝を考えの中心に置く場合、この道は上るになるのだ…(なるのか?)
私たちは、昨日と同じ駿馬に乗っている。
唐針、矢筒、弓弦。
紅は弁慶が引いている。
吉次、吉内の兄弟は紅を固辞した。

商人と物見です。
こないな名馬乗っとったら、逆に怪しまれますわ。

吉次は本当に…

褒めかける私に弁慶が、苦虫を噛みつぶしたような声で言った。

その分路銀をねだって行きました。
それもかなり。

それはそうだが。

探索がどのくらい続くかわからんし…

主は吉次に甘すぎます!

叱られてしまった。
しょげる私に範頼兄上が笑みかける。

おまえたちは、どちらが主がわからんな。

そんなことはあり申さん!!

あまりに強く弁慶が言ったので、兄上はいよいよ笑って、危うく弓弦から落馬しそうになった。


縁(えにし)


良い馬と好天に恵まれて、私たちは既に駿河を過ぎようとしていた。
行き交う民が馬上の兄上に一礼する。
囁き交わしも聞こえる。

蒲様じゃ。

大きゅうなられた。

ご立派になられた。

兄上を見る民等の目が優しい。

もしかして、この地は。

気づいたか。
さすが敏いな。
そう、この地は私の出自の地だ。
通り来た遠江(とおとうみ)を今統べる安田義定殿は、信義殿のご兄弟であり、私の旧主でもある。
信義殿の甲斐、義定殿の遠江、私の駿河。
伊豆も相模も今ではすっかり鎌倉殿の差配下である。
ということは?

我らの同盟は、北陸宮擁する木曽の軍より多勢、とか?

その通り。
しかも頼朝兄上は、木曽が北陸宮様を入手するより先に、以仁王ご生存の噂をお撒き続けておられたのだ。
『ご生存で、鎌倉に居らっしゃる』。
真に受けたお歴々もかなりおいででな。
これは情報戦としては、かなりな効果であるとは思わぬか?

意外だった。
私たちの知らぬうちに、そんな噂を流していたなんて。
あ。
それってもしかして……

省みると弁慶も、目線で私に頷き返していた。

行家殿を松田に受け入れたのは、その信憑性のためだったのでござろうな。

兄上は。
すごい。
認めざるを得なかった。
そしてその血の遙か末に、私も連なっているのだと思うと、これまでの孤独がすうっと引いてゆく思いだった。

が。
戻った鎌倉の地は相変わらずだった。
兄は今回の木曽行きの報告も、範頼兄上からのみ聞いた。
私は存在してないかのようだ。
しかもこの、わずかの留守の間に、全成兄上の様子が変わっていた。
頼朝兄上べったりの、腰巾着のようになってしまっていたのだ。
これ見よがしに兄上に賛同し、私には眼差しすらくださらぬ。
範頼兄上にも迎合する。
されど私には…
これには範頼兄上もちいとご不快だったようで、

同母弟(いろど)に冷たくするとは、兄の風上にも置けぬ!

と怒ってくださったが、こんなことで家中に波風立てたくもない。
範頼兄上には、ごくごく冷静に振る舞っていただくようお願いした。

おいたわしや。

佐藤兄弟に泣かれたが、私から言わせれば、佐藤兄弟こそ哀れだった。
私たちの留守中、まるで雑兵のように扱われていたのだ。
抗議しようにも兄上らがそうしたのだ。
そして私自身が蚊帳の外なのだ。
こらえるよりなかった。

それでも私の目の前で、私の郎党を下に置くのは憚られるのだろう。
私の目のあるところでは、両者をいたぶる者はおらぬのだ。
そして弁慶には手を出さぬ。
怖いのだろう。
そのこと自体が、私たちがいかに侮られているかを示していた。

吉内も、吉次も今は居らぬ。
鎌倉の地に、たった三人のわが郎党。
どうすれば彼らを守れるのか、私には全くわからなかった。

それでも地球は回っている