ループ関ヶ原
敗走する。
生き延びて、再起を図る。
だが私にはもう刑部も左近もいない。
何が違った。
どこで齟齬が生じた。
小早川?
小早川が敵方についたからか?
小早川めえええ。
あっ。
気づくと私は小早川の陣に立っていて。
突然現れたので、ご当人も度肝を抜かれたようだ。
いま、いま攻撃を、
始めようとしたところなわけか!
ぎらぎらした目で睨んだら、小早川、くるりと踵(きびす)を返し、
出陣!
出陣じゃあ!!
わあっとときの声が上がった。
それでも戦況は盛り返さない。
毛利秀元殿は戦おうとしてくれておるのに現場の指揮の者である吉川広家が、やれ兵に弁当だ何だといっかな動こうとせぬからだ。
吉川ああああっ!
あっ。
気づくと目の前に吉川広家が。
腹心の福原広俊ほか何名かの手を取って、
くれぐれも、黒田長政殿によしなに。
などと言っておる。
黒官の息子長政は、既に家康に仕えておるではないか。
それはすなわち…
人質を、送られるということだな?
問うたことで初めて私が同席しておることに気づいたのだろう、広家青くなり、
くろ、苦労、だというものはー、名がー、勝るーよりー、実の働きをせよとだな。
福原よ、粟屋よ、よくわかったな?
意味不明のことを諭し、しきりに目配せしている。
両重臣も大慌てで、
そ、某らはこれにて。
そそくさと去ろうとするところを、一刀ふた払いで斬り伏せ、
人質が届かぬとなれば、長政もよい顔はせぬであろうな。
と私が笑むと広家ひきつって、
なっ、なっ、何のことやら。
など、つかえつつもとぼけてみせる。
もうひと太刀見舞わんと大剣ふりかぶったものの、この裏切りの源は、実は私の取次時代にあるのではないかとふと思い至ってしまったが、途端、また、私は新たな場面へ飛んだ。
そこは大坂城内だった。
ちょうどあの年の十月。
毛利輝元殿から季節外れの桃が秀吉様に献上された折だった。
そこに自分がいて、毛利家の重臣にこう言っていた。
時節外れの桃とはいえ、なかなか見事でござる。
しかし時節外れゆえ、秀吉様が召し上がって何かあれば一大事でござるし、その際には毛利家の聞こえも悪くなりましょう。
ゆえに時節の物を献上なされよ。
ああ。
私は確かにそう言って突き返したのだった。
ほんとうに、主上を案じていた。
本心だ。
けれどほんとうにそれだけだったか?
あの時刑部は言っていた。
大半の者がこうとると。
秀吉の権勢をかさに着て横柄だ。
ああ。
ああああ。
私の態度が殺したのだ。
左近も刑部も。
ならば!
私は私の前に出た。
人を敬い、いたわれ。
おもんぱかれ。
お主は物言いが尊大にすぎる!
何を言う!
取次の私は激怒した。
曲者だ!
出会え出会え!!
追い散らされた…
命からがらその場を逃げ延びた。
だがあのままの三成(私)では、ひとに嫌われ決起が鈍る。
刑部の言う通り、もっと他ともうまくやらねば…
私は私を闇討ちした。
その日から私は別の“私”となり、自らを偽り、極力他者と協調した。
取次も極力親切に。
朝鮮出兵の物資輸送も融通性きかせまくった。
そうした日々には反吐が出たが、いつかくる関ヶ原のために、融通のきく男を演じ続けたのだ。
そして来た、再びの関ヶ原。
私の側についてくれた武将は倍増…しなかった。
微増はあった。
だがあまりに物わかりのよい石田三成は、かえって敬遠されてしまったのだ。
あれは豊臣のあとを狙っているのに違いない。
太閤の存命中から噂されてしまった。
親切にしても徳川に寄っていった武将も多く、黒官の息子長政もその一人だった。
そして何より衝撃だったのは、今回の関ヶ原、こちら側に、刑部も左近もいなかったのだ。
刑部は友人の、徳川家康を選んだ。
左近に至っては、私の家臣にすらなってくれなかった。
私の俸禄を全部差し出すと言ったら、
半分でいい。
家臣が主より高給ではいかんですから。
と言ってくれた、私の左近ではなかったのだ。
あんたの、誰にでも迎合する姿勢が好きになれねえ。
とのことで。
盟友二人がいないのだ。
この戦いにはたぶん勝てぬ。
ああ。
私は私のままでよかったのだ。
そして少しだけ柔軟に。
左近が進言してくれた、夜襲を採用すればよかったのだ。
彼を請うて家臣にしたのに、その戦略ははねつけるなど、私はどこまでおごっていたのだろう。
ああ。
私は私のままで愛されていたのだ。
この不器用な私のままで愛してくれていたひとたちがいたのに、私はそれに気づけていなかった。
関ヶ原の戦が始まる。
私にとっては二度目の。
三度目があったら今度こそはうまくやれるかもしれぬが、今生は今生で、決着せねばならぬだろう。
いま双方からときの声が上がる。
戦の始まりである。