真理呼 倉・終章③〔R18有料作〕


          三

 路上で客を取っているらしい鈴の生活を変えさせるには、ちゃんとした職業につけるのが一番の早道だろう。
 とはいってもOLや、派遣ギャルが勤まるとは思えない。
 優秀な資質はあると思うし、かなり賢い子だとも思う。
 だが十代の多感な時期の大半を、『犬』として過ごしてしまった鈴には、今の年頃なら当然織り込み済みのはずの、一般社会常識が欠落していると思われるし、万一それらを短期間で身につけられたとしても、週一回のホルモン注射でかろうじて外見を保っている今の鈴には、昼間の仕事は苦痛なだけかもしれない。
 そこで思いついた名が、『りある』の日沼聖暢。
 彼なら多方面に顔がききそうだし、何より人柄が信用できた。
 鈴と再会した翌日、俺は日沼に連絡を取り、鈴を預けられそうな、『信頼できるニューハーフ』を紹介して貰えないかと頼んだ。
「『信頼できるニューハーフ』…ですか?」
 突拍子もない依頼にもかかわらず、彼はいたって冷静かつ的確だった。
「二丁目の『まりか』ってバーのママなら…あるいは」
「バイト雇ってくれるかな」
「美人なら。ママ、美人さん好きなんで」
「その点は激保証できる」
 日沼はその場でまりかママに電話してくれ、鈴の面接はすぐその晩に行われることに即決した。

 二丁目にその人ありと知られているらしいまりかママは、美人に限ると言った割には、ご当人は、噴飯物のご面相だったが、不細工な顔(かんばせ)に、うんと離れて穿たれた瞳には、限りない優しさが溢れていた。
「きれいな子ね。お名前は?」
「鈴」
「駄目駄目、音が冷たいわ。だからって、あったかいだけの名前の似合うチンクシャちゃんでもないから、そうねえ…」
と、ママは少し考えて、
「まりかの店のまりこちゃんでどお? 源氏名源氏名してる方が、懸想されにくいでしょうし」
「真理の子?」
「真理を呼びましょう。真理呼。幸せ薄そうだから、いいこといっぱい呼びましょ」
 不細工な笑顔を浮かべるまりかママの、人を見る目の確かさに、俺は安堵する思いだった。

 鈴、改め真理呼は、客たちにとても可愛がられた。
 まりかママの目が光っているから危ないことは殆どないし、ママはママで、真理呼の無垢な感性を、面白がってくれていた。
 それは無垢というより無知だろうと俺は思うのだが、ママさんが無垢と取ってくれている以上、訂正するいわれはないのだ。
 週一程度『まりか』に通い、女の鈴を見ていると、昔のことが幻のようだった。
 最初から、女に生まれたと思って生きてみたら?
 俺は鈴にそう言ったが、そんな簡単なことじゃないのはわかり切っている。
 鈴はたいてい快活にしていたが、女性ホルモンを注射に行く時や、店が休みの時など、漠然とした瞳(め)をしていることがよくあった。
 かれ(? 彼女?)の悩みは、自分がどちらの性別を、恋愛対象にすればいいのかということに尽きるようだった。
 たいていのニューハーフは、明確な自覚を持って女性という立場を選択している。
 自分の恋愛対象が、女でないと確信した時とか、金のために生きると決めた時とか。
 だが鈴は、同性に寄せる心など一切なかったにもかかわらず、犬として、たくさんの男たちを受け入れさせられた挙げ句、女の躰にまでされてしまった。
 奈落を経験していても、鈴はまだ、二十才そこそこの、ごくありふれた青年で、本当なら、恋の一つもしてもいいのに、その対象が、選べない。
 普通に恋すれば女の子に、となるが、かれ自身が女だ。
 では男を愛せるかといえば、かれ自身は全くのノンケ、同性愛志向ゼロなのだ。
 いみじくも日沼が言っていた。
「真理呼ちゃん、変わってますよね。普通ニューハーフはたいてい、自信たっぷりに『女性』なんですけど、かれは頑として、男性でいようとしてる」
「…」
「僕は女になんかなりたくなかったって、全身全霊で叫んでる気がする。でも…まさかね。そんな気持ちの人間が、性転換手術なんて受けるわけない…僕の考えすぎでしょうねきっと」
 日沼は何も知らない。
 だがその感性は正確に、正鵠を射抜いていた。
 俺なんかよりかれの方が、よっぽどか作家に向いている。

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