814といえば
広島市中区の平和記念公園にある、
原爆供養塔に納められた約七万人の遺骨
のうち、
名前が分かっていながら引き取り手のない原爆死没者
が814人だそうだ。
その814人分の名前が書かれたポスターを、7月5日広島市は全国の、
1976の自治体や被爆者団体
に発送したという。
7月17日から10月末までの掲示を呼び掛け、情報提供を求めるためだそうだ。
市によると、ポスターには
名前だけが書かれた死没者
がほとんどだが、
住所や被爆時の年齢が載っている人々
もいるらしい。
同じ内容が市のホームページにも掲載されてあるとのこと。
これらによって、一人でも多くの遺族が判明したらめっけものなのだが…
最後に遺骨が引き渡せたのは2017年だそうだ。
2018年度は、市に8件の問い合わせがあったものの、有力な情報はなかったらしい。
1945年、終戦の年から74年が過ぎている。
終戦年に生まれた人でももう73、4なのだ。
814人。
この数はもうあとせいぜい、一人二人しか減らないのではないだろうか?
※ この日も9月とごっちゃになった
老いては駄馬にも劣るとはよく言ったもの
ミスもちゃんと残しておこうw
914といえば
ポルシェにはしたくないんだけど…
結局ポルシェ・914(笑)。
これはかつて、ポルシェとフォルクスワーゲンが共同で製造・販売していたスポーツカーらしい。←そんなンあったのね
ニックネームは「ワーゲン・ポルシェ」だったそうだ。
1967年フランクフルトショーで発表され、1969年から生産、1970年から販売されたそうで、フォルクスワーゲンの既存のパーツをまんま流用、コストダウンが実現された。
特に高価なポルシェ・911に手が出なかった若者たちへの訴求力は著しく、
ポルシェという文化
は深く彼らに刻み込まれた。
高いもんねー、ポルシェ…
ボディの生産はポルシェが、エンジン供給はフォルクスワーゲンが主に担当。
1970年16231台
1971年21440台
1972年27660台
と多数製造販売され、1976年、より高価で高性能なポルシェ・924に移行する形で製造が終了したという。