7月19日 ミャンマー殉教者の日

※ 7月1日からしばらくの間、上半分が小説になっています。


 父よ兄よ


 私の人生は何なのだろう。
 私は将軍の娘に生まれたにすぎない。
 たまたま学問を修めえたにすぎない。
 兄は私に政治に関わるなといい続けるだけだ。
 関わるまいとしても、政治が私を追ってくる。
 イギリスの支配を振り払うために、日本と結んだ父。
 日本を振り払うために、イギリスと結びなおした父。
 イギリスはビルマ(現ミャンマー)の独立の確約を反故にし、真に独立を勝ち取るまでに、父はいくつもの政争を経なければならなかった。
 その上その死は暗殺だった。

 私はその娘である。
 ただそれだけのことが、私を14年も軟禁し続ける意味として成立させた。
 私は夫の死に目にも会えなかった。

 髪に飾る花は亡き夫への追慕。
 国際社会は私を、
 ノーベル平和賞者と、
 少数民族弾圧者の、
 二つの名で呼ぶ。

 7月19日は父アウンサンの暗殺された日です。
 私の毀誉褒貶はまだまだ続くのでしょう。
 私の全く預かり知らぬところで…


※ スーチーからみる、この戦いは…いったいどんなものなんでしょうね


7月19日 ミャンマー殉教者の日


 1947年のこの日、ビルマの独立運動家アウンサンら6人が暗殺されました。

 ちなみに翌7月20日は女性大臣の日。
 1960年のこの日、日本初の女性大臣~中山マサ衆議院議員(池田勇人内閣厚生大臣)~が誕生したからですって。

 戦後民主主義到来の日でもあるんですって。
 1949年のこの日に、青春映画「青い山脈」が封切られたからですって。

 でも私は北壁の日を推します。
 1967年、東京女子医大山岳部の今井通子と若山美子がマッターホルン北壁登頂に成功。
 女性パーティーでの北壁登攀は世界初だったそう。
 たぶんこの件がモデルでしょう。
 新田次郎の「銀嶺の人」。

 女は泣いて強くなる人と
 怒って強くなる人がいる…

それでも地球は回っている