私本義経 妾、妹(いも)、正室。そして殿。
蕨姫
廓(ろう)は和琴がお上手だ。
しなやかな指先で、美しい曲を紡ぎ出す。
顔容(かんばせ)もとてもお美しい。
私など、足許にも及ばない。
わかっている。
齢を重ねてしまったからでもあるけれど、そういう意味では廓もそうは若くない。
なのにこの差…
私は自分が恥ずかしい。
この家(や)の室がまた美女と聞く。
ますます私は自分が恥ずかしい。
私は知っている。
殿が私を娶ったのは、廓を傍に置くためだと。
源家と平家の禁断の子。
いえ、両家の血縁というなら他にもいくらもいる。
廓の悲劇は源平の、力の差がついてしまってからの、勝者の側の男によって、敗者の側の女に生(な)された子であることなのだった。
実際には、清盛様は、敗者の女を辱めたわけではない。
むしろ常盤様の毅然とした在り方に、清盛様が魅せられたのだと聞いている。
ただ今の世は、力関係が逆転してしまった。
源氏が栄華の今の世の中で、平氏に押しひしがれて生まれた娘が妹では、鎌倉様にはご不快極まりなかろう。
父君はそれを交渉材料としたのだ。
殿に私を娶らせること。
自分の処罰を軽減させること。
その材料として廓を使ったのだ。
どうせ兼雅にも乗り捨てられた女だ。
少しばかり役立ってもろうて何が悪い。
父の穢らしい言いように、乗ってしまったのは己の欲だ。
二つも年下の男、しかも敵将。
正室でさえない立場。
それでも輿入れしたかったのは、行かず後家にはなりたくなかったからだ。
けれど現実に、目の前に廓を見、よそながら正室殿を目にすると、己の容色が憚られる。
お褥をともにすることも多分なかろう。
私は殿方を知ることなく、このまま老いてゆくのだ…
奥方様。
襖外から侍女が私に声をかけた。
お客様です。
どなたです?
それが…
侍女の言い淀みようで、先様が知れた。
郷御前様だ。
正室
しずしずとお入りになる。
入れ替わり、廓が退出する。
楽士ですか。
まあそのようなものです。
侍女が茶を供する。
郷御前様は迷いも見せず、器を口許に持っていく。
腹が太い。
私なら毒とか疑ってしまう。
一気に干してから、ちょっとはにかむ。
はしたのうございましたが、喉が乾いておりました。
いえいえご遠慮なく。
郷御前様でいらっしゃいますね。
あなた様は蕨姫様。
平時忠様のお嬢様。
先妻の娘でございます。
今日まで打ち捨てられておりまして、すっかり姥桜でございます。
そんなことよりこの度は、このような形でのお目文字、心より恥入ってございます。
平伏する私に、正妻は温かい視線をくださった。
あまり固く考えないでください。
武家の妻のならいで、私も突然ここに嫁がされました。
どのような方かも全然わかりませんでした。
今、あなた様もさぞかし戸惑っておいでのことと存じます。
おいたわしく思います。
小娘!的な怒りは湧かなかった。
私よりずっと年若いのに、世間を知っている。
そんな彼女が自ら私のところに足を運ぶ。
つまり…
もしや奥様…?
はい。
たぶん間違いないと思います。
夫は…
妹御を守りたくてあなたと添うた。
そしてその妹御は、さっき出て行った女人……
違いますか?
私が何も言う必要はなかった。
奥様は、すべて見抜いていらしたのだ。
宵
殿の杯に一献注ぐ。
干され、私に杯を寄越す。
そなたも飲め。
いただきます。
特に遠慮もなく、くいと空ける。
早いな。
もう一献いくか。
いただきます。
それも干して、妻(さい)はいきなり切り出した。
あちらとお話しさせていただきました。
妹御、どうされるのです。
殿の杯の手が止まる。
何も言わない。
私はもう一押しだけしてみる。
世間の噂は気にしませぬ。
ただ、あのかたの件、それなりに処さねば、鎌倉様との今後に障…
わかっておる。
言って杯を干す横顔の翳りを、私はいつまでもみていた。