書くことについて
腕の一本くれてやる!
は劇場版エヴァンゲリオンの登場人物が叫ぶセリフだが、大切な知人が腕をなくしかけたことがあるらしく、お話を伺って衝撃を受けた
腕一本失う覚悟もなくて何が文学だ!
と叫んでくれて、私は昨日来の懸念から解き放たれたのだが、こんどは別の大切な知人が、
書くことは、そんな血腥い世界なのですか
と。
答えに窮してはいる。
私にとり、書くことは戦いで、仕事は本来奪い取るものという概念はある
と同時に、穏やかに笑いあって、作品のいいところを評しあう世界だって悪いとは
いわないけど
血腥いほうに眉をしかめるのは
いささか失礼でもあるのではないだろうか
互いに価値観、方法論が違うのだから。
拙作で恐縮だが、
ほんとうさぎの話
は、ある女性が描いた四枚のイラストから発想した。
ばら と
少年(ぬいぐるみ) と
お腹がすいている と
ドーナツを乗せた引き車を引くうさぎ だ。
このイラストの描き手さんは、ご自分でもお話を書く人で、人の書いた作品を読むのも好き。
ただこのかたは、禁忌がいっぱいあって、
人が死んではいけない
怪我してもいけない
悲しい出来事が起きてはいけない
等々々々。
彼女の望む、一切の苦のない世界を描くのは大変難しいことだった。
最初は何もかも取り除けて書いて差し上げていたのだが、
痛みや悲しみの中にも
優しさや思いやりや思い出もあるのですよ
と伝え、徐々にわかっていただいた。
それでほんとうさぎの話が出来上がったのだ。
生理的に受け付けないものの中にも、真実や本質がある場合もある。
私は彼女との出会いによって、
露悪に耐えられない人がいる
ことを知り、彼女は私との交流の中で、
悲しみも、必ずしも悪い側面だけのものではない
ことを知った。
こういう出会いもあるのだ。
冒頭の、
腕の一本くれてやる
のほかにもエヴァンゲリオンには、様々な残酷がある。
残酷だから書けない、では仕事にならないが、
そういうのは書きたくありません
と拒む自由もあるわけだ。
自分の立ち位置次第ってこと…かもしれない。