てるとさんのお返事待ちの一作

吾輩(わがはい)も猫である

      ~馬琴猫ぼやくの巻~


     

吾輩も猫である。
名前はやっぱり無い。
明治という未来世界の猫の真似をするつもりは毛頭ないが、せっかく物書きのうちに住みついたのだ。
あやつの真似事をしてもバチは当たるまい。

どこで生れたかは、俺もとんと見当がつかぬ。
何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いてた事だけは記憶している。
吾輩はここではじめて人間というものを見た。
しかもあとで聞くと、それは内弟子という、人間の中でかなり獰悪(どうあく)な種族であるらしい。
この内弟子というのは時々我々を捕まえて、川に投げすてるという話である。
しかしその当時は何という考えもなかったから、別段恐ろしいとも思わなかった。
ただ彼のてのひらに載せられて、スーと持ち上げられた時、何だかフワフワした感じがあったばかりである。
てのひらの上で少し落ちついて、内弟子の顔を見たのがいわゆる人間というものの見はじめであろう。
この時妙なものだと思った感じが…

馬琴猫先生。
これでは明治の本家本元と、ほとんど同じじゃないですか。

同じじゃねえよ。
でえいち俺は江戸弁だ!

文章江戸弁になってないじゃないですか。
やだなあ。
滝沢馬琴先生の猫だっていうからもうちょいましなものが上がると思ったのに…

なんてえ言いぐさだ。
わかった金輪際、おめえんとこには書かねえ!

ほおお、そうですか。
人間様んとこじゃA社B社と出版社もいろいろあるでしょうが、猫の世界じゃうちだけだ。
そのたった一軒の出版社に背(せな)を向けるってんだからいい度胸だ。
おとといきやがれってんだ!

…ってなわけで、俺ァ一気に職失っちまった。
常磐津のお師匠さんとこの三毛ちゃんに慰めて貰おうと思ったら、三毛のやろう、棒手ふりの権三のとこの黒とイチャついてやがる。
俺に気づいて、
「あらセンセー、おしごとポシャッたってほんとですの?」
と来たもんだ。
しかも続けてこう言いやがる。
「いえね、黒さんたらね、権三さんからのお下がりだってんで、秋刀魚三匹もってきてくれたんですよ。粋よねえ」
うっ。
その言い方は、

あんたは何もくれないじゃない

を含んでんな?
けっ。
いい毛並みだと思ったが、こいつぁとんでもねえアバズレだあ。


なんかすごすごとうちへ帰る。
帰ったらちょうど、内弟子が馬琴先生にど叱られておった。


何で口述ひとつまともに出来ぬ!!
こっそり猫を殺すことくらいしか出来ぬ半端者めっ!


へっ!
その半端者がおらんと、八犬伝の口述筆記は誰がやってくれんです?


おっ、おぬしなどおらんでも何とかなる!
それ!
そこの猫でも出来る!!

先生様よ。
あっしは今日、シゴト一つなくしたんでさ…


この日限りで内弟子が出てって、馬琴先生は不自由におなりだ。
息子の嫁のお路っちゃんが筆記をしてくれるようになるのはまだ先だ。
馬琴先生と俺の日々は、ここからますます苛酷になっていくんでさ。


ぼやくの項
これにて読み切り


滝沢馬琴。
ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の物書き。
別名、曲亭馬琴。
江戸時代後期の読本作家。
本名は滝沢興邦。
後に解(とく)と改む。
代表作はなんといっても「南総里見八犬伝」。
仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌。
八つの玉。
八つのアザ。
俺もあんなの書きてえな。
俺は猫。
名前はまだねえ。
たぶんこれからもきっとねえ。


それでも地球は回っている