私本義経 語らう

柔い、白い肌。
官能の吐息。
何を考えているのかわからない、蠱惑の瞳。
美貌で、学があり、かつ、手練れ。
謎めいた…

私がこの手で…


目が覚める。
ここは範頼兄上の居所。
木曽の領を垣間見せていただいただけでなく、明日は武田殿にお目通りさせていただくことになっている。
範頼兄上はお優しい。
同母兄(いろえ)でもないのにいろいろ心配ってくださる。
いや、同母兄である全成兄上でさえこうまで優しくはない。

私も早くに他家へ出されておるしな。
同じくらい父を知らぬから。

そういう意味では父君を知っているのは頼朝兄上だけかもしれぬ。
頼朝兄上は父上とも、長兄殿とも、ともに戦を行っている。
経験も知見もあられるわけだ。
とはいえ頼朝兄上は、私の前では戦をなされてはおらぬ。
富士川の合戦には間に合うてくださらなんだし、石橋山はお敗けになったと聞いている。
そうなのだ。
今の私には、頼朝兄上より全成兄上より、範頼兄上のほうがずっと身近なのだった。


目通り


翌朝私は範頼兄上と、甲斐源氏四代当主、武田信義様にお目文字した。
配下は一人連れて良いということだったので、弁慶を連れていった。
一段高い座の前で畏まっていると、範頼兄上を従えて、信義様がお出ましになった。
この位置取りは万が一、私が某殺されかねない際には弁慶が私を守り、また万が一、私が不心得者だった際には範頼兄上が信義様を守るものであるという、一触即発を含んでいたのだが、当の信義様は終始にこにこされていた。

そこもとが義経か。
水鳥の計で維盛に一泡噴かせた。

お初にお目にかかります。
義朝が九男にございます。

儂は源信義。
甲斐源氏四代当主、ということにはなってはおるが、まあ、このままこの地で武田家として新興していくのだろうな。

武田家初代様にならせられるのですか。

そういうことじゃ。
儂はそこもとの父君とは、かなり離れた源氏での、大江山の鬼退治の、源頼光だの渡辺綱だのの系譜じゃ。
かなりの遠縁じゃな。
年もこんなに食っておる。

確かに…
いまだ青年の面影の頼朝兄とは比べものにならないほど、年輪を重ねていらっしゃる。
年の頃は五十(いそ)ほどだろうか。
されど私はこのかたに、平泉の秀衡様に通ずるものを感じた。
ああ。
そういう意味では範頼兄上は、国衡様感がある。
そしてまた、そういう意味で頼朝兄上は、泰衡様にちょっと近い…

主上。

弁慶が、ぼそっと私を促した。
頭の中の考えに、気持ちが行ってしまっていたようだ。
慌てて話題に戻る。
幸い信義様は気にされておらず、自分は双子だとお話しされていた。

獣腹と蔑まれるは、しかも弟(おとと)だは、まあ双子だなんぞいいことはない。

そうでしょうか。

違うか?

不肖の私が思いまするには、あとにお生まれということは、母上のお腹の奥のほうにおられたということかと。
奥、もしくは、上方(じょうほう)に。
それはとりもなおさず、実際は、信義様のほうが兄上様なのではありますまいか?

信義様は、ほう、という表情になった。

面白いことを言う。
範頼。
儂はこの若者、大いに気に入ったぞ。

がはははは、とお笑いになった、豪放磊落な感じに何か懐かしさを感じた。
私はこの御仁、武田信義様をとても好もしいと思った。


兄と戻る


お主はかなりな人たらしだな、義経。

ともに宿舎に戻りつつ、範頼兄上が笑った。

あれでなかなかお館様は気難かしいのだぞ。
それをああまで破顔させるとは、そなたはどんな秘策を持っておるのだ。

私は特に何も…

口ごもっていると、兄上はさらに笑って、

おまえの人たらしは、時局をも動かしたぞ。
武田は木曽と鎌倉の間にあって、どちらと足並み揃えるか、信義様はお考えだった。
だが今日、今、信義様はおまえに軍配を上げた。
おまえに軍配を上げたということは、頼朝殿にお味方すると、正式に決意したということだ。
おまえは今朝(こんちょう)、一つ同盟を
成し遂げたのだ。

私は言葉を呑んだ。
先ほどの会話が、そのような仕儀につながるとは思ってもみなかった。
(ならもうちょっと、真剣に聞いていればよかった)
人と人が顔を合わせるということは、そのこと以上の意味があるのだと、私はこれまでちゃんとはわかってはいなかったのである。

私はおまえらとともに発つ。
以後は鎌倉常駐となり、武田と鎌倉の円滑な提携に務める。
今後ともよろしくな。

宿所の前に私と弁慶を置き、御自らの宿舎に戻って行かれる。

出立は昼だ。
遅れるな。

私はその背(せな)に、深々と頭を下げる。
弁慶も倣う。
私が頭を挙げたとき、弁慶はいまだ深々こうべを垂れていた。

それでも地球は回っている