私本藤原範頼 西行の章3

なんと盛綱は土地の者を、浅瀬を教えてくれた気のいい若者を、その手で殺めていたのであった。
平氏に通報されそうになったとかでもなんでもない。
同じ源氏の御旗の者に、一切武勲を譲らぬためだったというのだ。
呆れた。
呆れてものが言えなかった。
唾棄したいほどの苦い感情。
それでも!
それでもこの勝利は我らにとり、本当にありがたい一勝ではあったのだ。
残った平氏は逃げ散って、讃岐は屋島の方向へ、落ちて逃れていったという。
屋島こそは瀬戸内平氏の本陣であり最終拠点。
仮の御所さえ在るのだという。
そう、つまり。
確実に、一歩ずつ、私たちは平氏を追い込んでいっているのだ。

されど…

土地の者は、二十を少し過ぎたばかりの若い漁師だった。
老母にとってはかけがえのない、格別の命だったと思うのだ。
私は佐々木一族に代わり、衷心からの褒美と詫びを送ったが、老女は丁寧に返してきた。
それきり陣には現れなかったが、後日地元の者から話を聞かされた。

その後老母は何やら毎日山へ入り、来る日も来る日も草を摘んでいるという。

何を摘んでいる。

笹だそうです。

聞き返すことすら出来なかった。
笹を棄(き)る。
笹棄。
母親の、佐々木家への、深い恨みが胸を衝いた。
老女の深い怨嗟の想いを背(せな)に浴びつつ我々は、児島を後にした。
行く手にあるものは決して明るくはない。
何か激しく、そんな気がした。

怨嗟

風が合わぬ。
船出ができぬ。
糧食も尽きかけて、兵たちは著しく苛立っておる。
土地の者ともうまく行かぬ。
買い付けに行ってもろくなものが揃わぬ。
すべてはそう、佐々木の抜け駆けに端を発している。
盛綱の行いは、地元民との軋轢を生んだ。
我々は、西の地の人々の厚情を、望み難い存在となってしまったのだ。
地元に仇なすなと、兄上から繰り返し言われていたのに。
船も食糧も漕ぎ手も、どうしても得難く、帰郷を望む兵は日増しに増えてきている。
私の報告はいきおい、食糧の枯渇や船のない不安、陣内の不和らばかりを、事細かに訴え続けるものとなってしまっており、情けないことこの上なかった。

漁をする者を殺めたゆえ、風が合わぬのでございましょうか。

そんな嘆きまで書き送ってしまった。
それでも、頼朝兄上からの返書は、どんなに度重なろうとも、叱責のしの字もなかった。
私のまめな状況報告と、めいっぱいの辛抱を、繰り返し繰り返し褒めてくださっており、励ましと慈愛に満ちていた。

案ずるな。
苦しむな。
船も兵も、食糧も送るゆえ。

悪戦苦闘の毎日を、兄の筆(て)だけが支えてくれていた。
その故に私は、なんとしても海峡を越えねばならなかった。
足止めがふた月にも及ぶ中、一つの動きが私の耳に入ってきた。

義経が、こちらの加勢にくるというのだ。


それでも地球は回っている