私本義経 三草山の戦い
三草山と、一ノ谷
後の世では、
一ノ谷の戦い
と呼称されるようだが、この戦い、主戦場は福原であり、
一ノ谷にても戦われた
というのが正しいようだ。
しかも一ノ谷には前哨戦があった。
播磨の三草山である。
寿永三年二月四日。
生田川側から福原を攻める範頼兄上に五万六千騎預け、私と安田殿は一万騎連れつつ丹波篠抜け、意外なほど早く播磨に入った。
あまり、急がれると、老骨には、つらい。
切れ切れの声を上げられる安田殿~既に齢五十(いそ)を超えられようとしておられる~に、主は本当にすまなそうに詫びた。
仮にも挟撃を意図しております故、先を急いでしまいました。
申し訳ございません。
なんの。
だがせめて、私の馬が唐針なれば、こうした山道も臆せぬのにと口惜しい。
だが義経殿の御馬は唐針ではござりませんな。
これは太夫黒といいます。
平泉以来の友で、唐針は、その…
思わず主が口ごもる。
言えまい。
兄に取られたとは。
さりとて
兄に差し上げた
も通らぬ。
安田殿は武田信義殿の弟御である。
あれほどの名馬、欲しくなかったはずはない…
気まずい沈黙が垂れ込めかけたその時、
義経殿!
と、声かけてくれたのは、鎌倉殿ともめっぽうお近い、土肥実平殿だった。
石橋山の戦い後、伊豆を去る船を出したこともあって、土肥氏は鎌倉でも、特別の地位なのである。
土肥殿!
どうしてこちらに!
平氏の動きを察しましたのでな。
全隊が福原、一ノ谷に居るのではあり申さん。
播磨に入ったところ、三草山という山の西に、三千騎ほど待機しております。
どこからそんな情報が。
私です。
声だけでわかった。
我らが郎党、吉内だった。
主が斥候に出していたのである。
夜襲
平資盛、平有盛、平忠房、平師盛ら、錚々たる面々が待ち受けております。
みな重盛殿のご子息だ。
思わず主が敬称付きで呟く。
意味はわかる。
平氏の今の当主は平宗盛。
重盛殿亡き後の嫡男。
つまり、この地には現在の、非主流派の兵が配されているのだ。
だが敬称で呟いたことが、後々主の立場を悪くすることに、この時主はまだ全く気づいていなかった。
時を与えれば、三草山勢はまだまだ増えると想定されます。
できれば今宵のうちに戦ってしまうのがよいかと。
夜襲か。
主は瞬時目を瞑ったが、見開いた瞳にはもはや迷いはなかった。
決行する。
正直安田殿は、
え。
という顔だったし、兵たちの大半は、
夜襲?
という顔だったが、私たちはこうした下知に慣れている。
すぐさま支度した。
丹波との国境に近い三草山は、交通の要所である。
と同時に、険阻な山深い谷に囲まれた、軍事的要衝の地でもある。
平氏にとっては慣れ親しんだ、己が荘園の地であるがゆえ、地の利ありとしてこの地を選んだのだろうが、険阻な山や深い谷は、はっきり言って、主の側に味方していたのである。
源平両軍の距離は三里ほど。
麓側に位置する平氏は、谷から見上げて駆け上がらねばならないが、我らは下るだけでよい。
しかも長い栄華の内にあった平氏は半ば公家化して、夜襲の備えなど全くしていなかった。
彼らの軍は武具を解き、本気で休息していたのである。
かかれえ!
三倍の兵が突如襲い来る。
平氏の兵は慌てふためき、混乱極めて敗走した。
これもまたあっけない勝利だった。
さすがに闇深く全滅とはいかず、土肥殿の手勢が追って行った。
我らは一ノ谷へ?
安田殿の問いに、主はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
安田殿。
指揮をお任せしてもよろしいでしょうか。
この義経、いささか思いついたことがございまして。
それだけ言いおいて、主は、百騎にも満たぬ手勢を率いて山中を去って行く。
安田殿は狐に摘ままれたようなご表情であった。
それでも地球は回っている