私本義経 二年(ふたとせ)②


憑依の末


お子を宿していたそうですね。

うむ。
男なら殺す、女なら去らせると約束されたそうだ。

で、男と。
由比ヶ浜に沈められたのですよね。

哀れなことだ。

だが静は、私と別れた時、腹にややはいなかった。
ゆえに三郎はここに戻りこなかったのだろう。

かまわなかったのにな。

兄弟が増えただけのこと。

たずさにねだられて、堪えられる男はきっとおらぬ。
哀れなのは静である。
気づいたら腹にややがいる、そんな具合だったろう。
三郎は三郎で、主君の女人を抱いてしまったと己を深く恥じたであろう。
山賊上がりでも、あの男は恥を知っていた。
だから私の許に来ず、伊勢の国司などを襲ったのだ。

鈴鹿山で一人逝くとは、寂しかったであろうなあ。

ほんに…

平泉の冬は早い。
雪はしんしんと降りつもっている。


すでに行家叔父も亡い。
あの暴風雨にあって西国渡航に失敗したのは同じ。
追われ続けたのも同じ。
私たちより少し不運が祟り、最後の頃には和泉日根の在庁官人・日向権守清実の屋敷(後の畠中城)に潜伏していたという。
この五月、地元民の密告によって露顕、鎌倉幕府から命を受けた、北条時定の手兵によって捕らえられ、山城国赤井河原にて長男・光家、次男・行頼とともに斬首されたそうだ。

私たちも、何度も危なかったが、都度都度たれかの支えを受けられて、今なおここにおる。
あの時も…


安宅の関


文治三年(1187年)二月。
吉次、吉内のおかげで、平泉に行けるとわかり、勇んで北陸路を取った我らに立ち塞がったのは安宅の関だった。
この地の関守富樫殿は、峻険かつ誠実なお人柄と聞いている。
もし私や弁慶だと気づかれたら、絶対に通報されてしまう。
それでも平泉に行きたい。
すでに郷もこどもも平泉に在る。
吉次が手配してくれ、吉内が連れて行ってくれた。
私だけでなく私の家族まで守ってくれる従者たちだ。
郷よ。
私は河越の父上を守れなかった。
父上は私と同様領地をいきなり奪われた。
あの年の十一月十二日、身柄も押さえられ、後日処刑。
流刑ですらなかった…

もの思いしていた私に吉内が声かける。

仏誓様がおいでです。

私は居住まいを正して迎え入れた。

仏誓殿。
今はご出家なされているが、元々は加賀の守護である。
今年の春、名の通ったお尋ね者を関で逃し、鎌倉の怒りを受けられて、守護の座を失われた。

野々市に、転宅なさるそうで?

吉次がちょっと水を向けると、少しはにかんだように笑った。

いつまでも、こちらでお世話になっているのは心苦しいので。
ふらりと訪ねてきたのすら、申し訳なくなりました。

いえいえいえいえ。
ふらりと来ていただいてありがたかったです。
こちらから捜しにはゆけぬし。
のう弁慶。

弁慶は答えない。

弁慶?

はっとしたように私を見る。

義経様!
その節は、郎党としてあるまじき仕儀を!!!

平伏する弁慶を立たせるまでたっぷり半刻かかった。


仏誓殿の背中を、小さくなるまで見送る。
出家前の御名は富樫泰家。
関所で私を見咎めた。
私は弁慶の、荷物持ちの従者を演じていたが、たかがの荷の重みによろめいたのだ。

従者がこの程度の荷によろめくなどありえぬ!

富樫殿の傍らに控えていた、副官が唾飛ばしてまくし立てた。

顔も年格好も似ておる。
こやつ、もしや、義…

不埒者め!!

弁慶はその場でいきなり、手にした金剛杖で私を打ち始めたのだ。

ただでさえ脆弱に見ゆる躰つきなるに、乗っかっておる顔容が、悪逆無道の義経のものに似たると言うのか!!
おまえのせいで幾つの関で足止め食ろうたか!
えい忌々し!忌々し!!

手加減なしの打擲で、私は顔と言わず肩と言わず、滅茶苦茶に殴られた、おかげで私たちはその関を越えられたのだったが、副官はそのことをさらに上の役職に報告、富樫殿は罷免。
それでも私たちを恨まず、こうして訪ねてくれたのだ。

このまま歴史から消えられたがいい。
鎌倉や、京でなくとも、人は生きてゆかれまする。

仏誓殿の去り際の言葉だ。
私ももうそれでいいと思っている。
郷と、娘と、郷の腹の中の子…

主様ーーーっ!

海尊が駆けてきた。
常陸坊海尊。
弁慶と同じ比叡山上がりだ。
血相変えている。
はっと理解した。

郷か!!


それでも地球は回っている