6月15日 米百俵デー

五十俵


北越戦争(戊辰戦争の一つ)で敗れた長岡藩は、七万四千石から二万四千石に減知。
実収六割を失って財政が窮乏。
藩士たちはその日の食にも事欠くことに。
見かねた長岡藩の支藩、三根山藩から百俵の米が贈られたのだが…

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

と藩の大参事、小林虎三郎は贈られた米を藩士に分け与えず、売却益で学校設立の費用(? 学校設備の費用とも)とすることを決定。
これで生活が少しでも楽になると喜んでいたので、藩士たちは驚き反発、虎三郎のもとへと押しかけたが、虎三郎はあくまでも、自らの政策を押し切った。
この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」。
洋学局と医学局が設置された。
この学校は士族によって建てられた学校だが、一定の学力に達した庶民の入学も許可されたという。
国漢学校は、現在の長岡市立阪之上小学校、新潟県立長岡高等学校の前身。
ちなみに長岡藩江戸上屋敷にも国漢学校はあり、長崎に医術の修行のため内地留学を出していたという。

先見の明か。
今の食か。
今の食も大事だとも思うのだが…

五十俵じゃ駄目だったんだろうか。


6月15日 米百俵デー


1996年。
新潟県長岡市が制定。
「国漢学校」が開校されたのが1870年(明治3年)のこの日だそうで。
この「国漢学校」の礎となった『米百俵』の逸話は、幕末から明治初期にかけて活躍した長岡藩の藩士(大参事)小林虎三郎による教育にまつわる故事によ 依り、後に山本有三の戯曲で有名になった。

現在の辛抱が将来利益となること

を象徴する物語として、この逸話はよく引用されるようで、 内閣総理大臣だった小泉純一郎が2001年 (平成13年)、所信表明演説で引用したことで改めて有名になった。
2001年の流行語大賞にも選ばれている。
同年歌舞伎化。
歌舞伎座九月公演『米百俵』(主演中村吉右衛門)は、当時の小泉首相も観劇したという。



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