障がいのある子はアニメの主人公になれない。
ディスレクシアの少年が主人公のマンガ「ファンタジウム」、アニメ化企画頓挫について、色々憶測があったのですが、関係者の方に伺ったお話がとても納得がいくというか、いかないというか、でしたのでざっと書きますが、まず主人公に障碍があると、非常にスポンサーがつきにくい、とても企画が通りにくい、ということです。それは、ドラマよりアニメの方がもっと難しいとされているそうです。また、アニメはアニメ好きな人しか見ないけれどドラマはふつうの人も見るので、ドラマとアニメの企画が一緒にあった場合、アニメはしりぞけてドラマを重視するのが本来の道だそうです。確かにアニメで主人公(主人公が見守る相手が障碍者、というのはギリギリあっても)当人に障碍がある物はなかった気がします。かなりな企画書が来ても総て流れたので、そういうものかと思っていたのですが、一番最後に来た大手芸能プロの企画書が流れた時にはさすがに「?」と思ったものです。しかしサヴァンの医師が主人公のドラマ『グッドドクター』は韓国ドラマで、アメドラになり、日本でもリメイクされましたけれど、なぜ日本発でこうしたドラマが無いのか、とても不思議に思っています。後手後手にまわって、海外で通ったから、三番手としてリメイクして、それ以上の素晴らしい企画を出すことはしない。それはやっぱり日本の事なかれ主義、言っちゃいけない主義、みんな主人公は健康で元気で学校に通っている。それが普通の子で、前提の社会であることに問題があると思います。世間では私が考える以上の厳しい主人公の条件があって「そうだったのか」と納得もしましたが、私はますますこの今までになかったアウトな主人公、長見良が好きだなぁと思いました。初代の担当さんが「良は、生まれながらに何かがわかっている奴だと思うんだ」と言ってくれた事は当時「?」だったけれど、今はわかる。自分が完全に疎外されたものと骨身に沁みてわかっていて、それでも好きなものを愛して生きていきたいと願うのは、どんな主人公よりも筋が通っていて、たくましいから。でもいつか良が誰かを励まして、なにかの役に立ってくれること、作者の私は今でも祈っています。