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帰国生入試までの道のり【序章】

この10か月、私は時折息子のことをXで呟くも、詳しいことや何をしているかは明言しなかったが、それは息子が帰国生入試に臨む為日本で予備校生をしていたからだ。そして私はどのSNSにも、息子が合格するまでは絶対に何も言わないことを心に決めていた。帰国生入試の為に日本で予備校生やってまーす、今日は何々しました、と逐一経過を全世界に公開したくはなかった。息子の努力が実るまでは一切何も言わないと決めた。知っているのは私の日本の家族と、アメリカの親しい友人数人だけだった。


序章は無料で公開します。詳しいことは書かなくてもきっと共感できる私のような親が少なからずいると思うので。


始まりは、2020年コロナが始まった年。

あっと言う間に対面の学校は閉鎖され、完全リモートになった。その時息子は10年生だった。小学校では成績優秀で勉強の意欲もあった真面目な生徒だったが、7年生頃から反抗期が始まり、酷くなるのに比例して成績も下がって行った。9年生ではなんと主要教科でDまで取ってしまった。

しかし学校が完全リモートになり、これでしばらくリセットしてリモートなら普通にまたいい成績を取れるだろうと思っていたが、学校や教師の手探りの慣れないリモート環境に息子は余計にやる気をなくして行き成績もやる気のなさが反映された成績になってしまった。

(ロサンゼルスの公立高校では)高校の10~11年生の2年間は大学出願において、4年間の内でも大事な勝負の2年間だ。12年生の半ばから出願シーズンが始まるので、成績は主に11年生(か12年生前半)までを提出することになる。課外活動も同じく、顕著なアピールできる課外活動は11年生までに済ませておいた方がいい。

息子の年代は大事な2年間をコロナで家に引き篭もっていて失ってしまい、課外活動もスポーツもできなかった(それでもやってる生徒はやってたらしいが)。やっと12年生で学校も再開して、落ちたGPAを回復すべく息子も頑張ったが結局GPAは良くもなく悪くもなく程度になってしまった。その時はSATもオプショナル(UCは見もしない)になってしまい、SATのスコアが良く、GPAがいまいちな息子は受験に不利になったしまった。

結局志望のUC何校かに出願したものの全落ちし、GPAが高くなくても合格ラインの滑り止めの州立大学に3つ合格した。

そこで合格した州立大学に行ってもよかったのだが、UCに行きたかった息子はコミカレ→UC編入コースにすることにし、最寄りのコミカレに行くことにした。

コミカレで頑張っていい成績を維持すれば、高校での成績は提出せずにコミカレの成績だけを提出しUC編入ができるシステムは私は素晴らしいと思う。息子もコミカレで心機一転し頑張ってくれると思っていた。が、最初の2セメスターは成績はAとB半々くらいだった。おいおい、全部A取ってくれよ…と私はまた嫌な予感がしていた。

息子は頭はいいが、コツコツと地道な努力を維持することが苦手だ。テスト等では高得点が取れるし好きな興味のある科目では優秀な成績を取るが、興味のない分野で必須科目のような教科はやる気なく悪い成績を取ると言うタイプ。

しかし今のアメリカの大学進学事情と言えば、コツコツと努力を継続し全ての科目で優秀な成績を取る(=高GPA)ことは当たり前で、その上での課外活動やスポーツだ。


息子のような一発勝負のテストが得意で成績にムラがあるタイプははっきり言って昨今のアメリカ大学進学事情では不利でしかない。

このままコミカレで完璧な成績と高GPAを維持できるのかと不安になって来た時に、たまたま目に留まった日本の大手予備校の帰国生入試のオンライン説明会や、ロサンゼルスで開催された留学生の受け入れをしている日本の大学の合同説明会に参加してみることにした。


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