日記:(通学)

今朝、いざ大学へ、と外界への一歩を踏み出した瞬間に、ふと爽やかな風が背後へ吹き抜けるのを感じた。自分が本来夏に求めていたのは、こういうものなのかもしれない。爽やかな風、登下校を見守ってくれるおじいちゃんのように優しい太陽、音のない穏やかな朝。なにかの主張が激しすぎることもない、上は重ね着をしながらも下は短パン一つの服装をした小学生男子を見かけるような、妙な調和を果たした陽気。これを良しとせずして、他に何を求めようか。

こんな日にもなると、五時半に起きたのに1限休講の連絡を自分が寝た後の2時にしてくるような教授や、わざわざ自分が並んでるところの目の前で警笛を鳴らす電車なんかの、うざったい全てを許そうと思えるし、なんとなく頑張ろうと思える。去年も6月から本気だそうと思っていたことを思い出す、結局その時には自分は何も頑張ることなどできなかったのだが。今は、そういうものにちょうどいい時期なのかもしれない。

そんなことを思いながら最寄り駅まで自転車を漕ぎ、電車に乗った。5分ほど遅れた電車を見て、はいはい、と思いながらカバンの中の空きペットボトルを捨てて、5分前に発車した各駅停車に乗り、その後やはり6分前に発車した急行に乗り換えた。ものすごい人混みで、最後に乗った自分はドアに身を押し付けられていた。若干の不自然な体勢のせいで、左脚がどことなく痛い。

あと3分ほどで駅につくという頃、自分を含めて大勢の生ものを載せた電車は、逆向きに走る、少数の人間を乗せた電車とすれ違った。みんなゆったりと席に座っていて、まばらな空席も見えた。いいな、と思った次に目に入ったのが、窓ガラスに映った自分の姿だった。近い距離に背景としての対向電車が来たことで、自分の目にはっきりと見えるようになったのだと思う。

荒れた顔は見えないが、自分で買ってきた、安くてダサい服を着た自分がそこに立っている。辛うじて社会性を保った状態で今の生活をしているけれど、お前はそれでいいのか、などと即座に自分を否定しにかかったわけでもないが、なんとなくもやっとした気分にはなる。その程度には、自分と、自分の成している虚無に何らかの負い目を感じている。適当なことを色々考えてみたりするけども、実現に至るビジョンを具体的に描いて何かをしているわけでもない、単なる幻想と野暮が自分の頭をふらっと訪れて、現実との間に存在しない亀裂を生じさせて、消える。正確には消えずに、頭の何処かに潜む。

…このあたりで電車が目的地についてしまったので、いったん打ち止め。

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