足をなくして知った大地を蹴って走る楽しさ 井谷俊介【前編】パラ陸上 短距離|挑戦のそばに
激動の4年を経て、広がった新たな世界。止むことのない夢への挑戦
スポーツに関わる人たちの舞台裏にスポットを当てる『挑戦のそばに』。今回はパラアスリート陸上競技 短距離の井谷俊介選手。4年前に事故で片足をなくし、2018年から陸上を始めると、わずか2年でアジア王者に。東京でのメダルを目指しながら、子どもの頃から抱く、レーサーになる夢も追い続けています。「自分の人生、挑戦しかしてこなかった」と語る彼の想い、陸上との出会い、欠かすことができないサポートしてくれている方々への感謝の気持ちに迫ります。
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大切な人たちの笑顔を奪いたくない、何よりもう一度一緒に笑いたい
4年の月日が、長いかどうか。その感覚は人によって違うでしょう。ただ、井谷俊介選手ほど激動の時間を過ごした人は、あまりいないはずです。2016年2月、20歳で事故により右下腿部を切断。初めて義足で走ったのは、その3か月後。2018年1月から本格的に陸上を始めて、2019年11月には100mアジアチャンピオンに。そして、今は2020東京でのメダルを目指して戦っています。井谷選手本人も、この4年間を「本当に濃密な時間でしたし、たくさんの出会いが私を支えてくれました」と振り返ります。
三重県生まれの井谷選手は、子どものころから鈴鹿サーキットに通う、カーレーサーを目指す少年でした。他にも剣道やソフトボール、野球などスポーツ好きだった彼に、転機が訪れたのは大学2年生の冬。バイク運転中に事故に遭い、右足膝下を切断することになったのです。
「事故にあった後、集中治療室に入って、気がついてからはすごく落ち込みました。何に希望を見出せばいいのか分からない、ただベッドに寝転び、窓の外だけを見て過ごす毎日でした。最初はあった足も、いざ切るとなった時、怖くて怖くて…その直後が一番落ち込みましたね」。
深い悲しみの底に落とされた井谷選手。その心境から立ち直ったのは、大切な人たちの笑顔を自分が奪っていると気づいたからだと言います。
「部屋にずっと母がいてくれたのですが、一日中会話もしない状況でした。お見舞いに来てくれた友人たちも、バイクでこけたぐらいの怪我だと思って“テンション高め”で病室に来るのですが、私は落ち込んでいる。そんな周りの人たちの姿を見て、自分が“皆の笑顔を奪っている”と気づいたんです。自分のせいで様々な人を悲しませて、励ましてくれているはずなのに、逆に皆の笑顔を奪っている。このままではいけないと思いました。何より皆の笑顔がまた見たいし、自分も一緒に笑いたい。そう感じたのがきっかけで、毎日明るく過ごそうと思うことができました」
自分自身と正面から向き合えるようになった、そんな時、井谷選手は陸上と出会ったのです。
「義足になったのは2016年の4月。その時に母親と義足のコミュニティに行きました。そこで子どもから年配の方まで走っている姿を見て、私も走りたいと思ったんです。義足になって走るなんて想像もできなかった自分が、初めて走った瞬間、自身の力で地面を蹴って走る楽しさをすごく感じたんです。そこから陸上をやりたいと強く思うようになりました」。
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陸上経験もない。大舞台で走れるのを“楽しまなきゃ損”
トップアスリートの多くは、その競技を何年も続けて、自分のスタイルを確立していきます。しかし、井谷選手が陸上を始めたのは、大人になってから。世界で戦える選手に成長する過程では、様々な心境の変化がありました。
「初めてジョギング用の板バネをつけて走ったのが2016年5月。何よりも義足が高くて買えなかったので、そこからはずっとカーレースをやっていました。その後、やっと自分の義足を手に入れたのが2017年の年末。本格的なトレーニングを始めたのは、2018年1月です」。井谷選手は、一流の選手になっても「まだ陸上競技に関しては何もわかっていない“ずぶの素人”です」と笑います。
最初は、ただ走るだけで楽しい。しかし、競技を続けるうちに、奥深さや難しさを感じことも増えました。「陸上デビューしたシーズンは、自分の中でもっとうまくできると思っていました。でも、初めて出た大会で肉離れを起こし、以降の国内大会は足が痛くて満足に走れず、悔しい思いが続きました。それに毎回、『サポートしてもらっているのだから、結果を出さなければ恩返しできない』と張りつめていたんです」。
しかし、その壁を乗り越えた時、ついてきたのは大きな結果でした。2018年11月、出場したインドネシア2018アジアパラ競技大会100m予選で、アジア記録を樹立して優勝。陸上を始めてわずか11か月の新星が、アジアの頂点に立ったのです。「シーズン最後にアジア大会で優勝できて、自分の走りができました。怪我の怖さも学んだ歯がゆい1年でしたが、記録が出せて安堵しました」。
そのレースから得たヒントは大きなものでした。井谷選手が掴んだのは、自分が陸上と今後どう向き合っていくかの指針でした。「国内レースで緊張していた頃は強いプレッシャーを感じていたのですが、アジア大会は単純に色々な人が支えてくれていると感じながら、楽しんで走れた大会になった」のです。
「スタートはいつも緊張して不安になりますが、アジア大会では応援してくれる様々な人の顔が頭に浮かび、『一人じゃないんだ』『皆のために走ろう』と思えた。それをきっかけに、以降の大会は緊張するより集中して、その瞬間を走るようにしています。だから結果より、競技への取り組み方に関して自信になった大会でした。陸上をやったことのなかった私が、照明付きの大きなスタジアムで、多くのお客さんがいる大舞台で走れる。これを“楽しまなきゃ損”だと思うと、自然に楽しく、速く走れるようになったんです」。
大地の鼓動を感じながら、大切な人々の想い共に、自分で走る喜び。その輝きは、井谷選手の中でいつまでも色褪せることはありません。
➡後編に続く
<取材:2020年4月>
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