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近況

コロナウイルスで自粛生活をしていたら、出かけ方を忘れてしまった。別に少しくらい出掛けてもいいと思うのだけれど、公式に出かけなくていい理由を与えられてしまい、自分という人間は元来出不精だったのだろうと痛感している。

転職活動は細々と続け、勤め先への怨嗟は依然としてあるものの、停滞した日常。妊活だの就活だの将来不安だのの悩みは抱えつつも、旦那とも義実家とも父母とも仲良く過ごし、現時点では幸福といった形。

0歳児を抱える幼なじみがこの前誕生日で、久しぶりに連絡を取った。「そっちの業界も大変そうだね」と心配されて、何故だかモヤモヤした。ああ、そんな風に見えてるんだなと...。

経営者でもなければ総合職でもなければ経理ではない、ただ現場の人間は場当たり的に対応するだけ。給料と休みの心配しかしてない。実を言えば、業界のことなんか、ぶっちゃけどうでもいいのだ。

でも、システム面に金を割かないで社員の意識だの技術だのをアテにして、失敗したら私みたいな専門職の監査で気付けなかったせい、にするうちの会社はクソだと思うので、ほんとに会社は辞めたい。ずっとここにいるんだと思うと、ほんとに気が滅入るので。家族経営で身内贔屓で、保守的で、将来性のない会社で、転職のための足場にもならないような、時代遅れの紙媒体の記録システムを採用し続けているようなクソ会社なので。

最近は、小説もずっと書いてない。
二次創作はおろか、オタクらしいこともしてない。でも、別にそれでいいような気もしてる。
オタクだと自分を定義すると、色々な活動をしなくてはいけないのでお金もかかるし時間も使うし疲れるし、自意識が肥大してしんどい。いや、楽しいんだけどね。

学生時代は、散々フィクションの世界に希望を見出して救われておきながら、今の私は現実の人生が結局いちばん大事で、物語や創作を無力で流動的なものにすぎないと思うことすらある。

でも、それでいいと思う。
私は、夢も収入も、世間体も、家族の幸せも、心身の健康も、すべてほしい。
ぜんぶ、ぜんぶ、ほしい。

人生に意味などないのだとしたら、できるだけ楽にチヤホヤされながら不自由なく過ごして、寿命まで安寧に過ごすのが人間の幸せだろう。

でも、実際はそうじゃないことが多く、人生はあまりにも理不尽で不平等だから、人間は人生に意味を求めるのだろう。

最近は、マビノギというゲームをよくやっています。なかなかおもしろいです。
アバターが可愛くて幸せな気持ちになれるのでよい。

未来はわからないけれど、いまこの瞬間、これまでの人生も概ね、私は恵まれていて幸福です。そのことを、これから先もずっと、忘れたくないと、そう思いました。




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