JOKERで描かれる悲劇と喜劇
悲劇と喜劇は表裏一体ですよね。
「自分の人生はクローズアップで撮れば悲劇だけど、俯瞰で撮れば喜劇なんだと気づいた」アーサー・フレックは、作中でそのようなことを言っています。
この言葉の意味について、私なりに考えてみました。
山田洋二監督は「幸せの黄色いハンカチ」の撮影時、武田鉄矢に言ったそうです。
「面白い演技なんかするな!お前はいま、女の前でカッコつけたいのに、蟹食って腹壊して野糞する羽目になって、本当に情けなくて泣きたい気持ちなんだ!お前はいま不幸なんだ!そのお前を観て、客は笑うんだ!!!」
これがまさに、人生はクローズアップで撮ると悲劇だけど俯瞰でみると悲劇だということなのだと思います。
(※ここから先は、ネタバレを含む内容になります)
例えば、私個人の話ですが、学生時代異性にモテなくて悩んだり、エロに取り憑かれてこそこそエロコンテンツを購入して読み漁ったりした思い出。それは、そのときの自分にとっては最強に惨めで嫌な気分のするものでした。
でも、大人になって、似たような青春を過ごした人が案外いっぱいいると知ったし、当時過剰に心配してたように一生喪女で終わるもいうこともなかったので、今となってはバカだったな〜と、笑える思い出です。
アーサーもきっと、ジョーカーになったあとは、「もっと自由な想いでいればよかったのに、世間の目なんか気にして怯えて過ごして、実際は母親でもないイカレ女を母親と信じて甲斐甲斐しく世話してて、マジで馬鹿馬鹿しいよな!」って思ったんじゃないでしょうか。
つらく惨めな日々を超えると、人は笑えるようになるんです。超えかたは色々とあるにせよ.....。
笑いって興味深いジャンルだなとつくづく思います。不謹慎な下ネタ、気の利いたジョーク、毒があったり、大っぴらに言うと気まずいようなこともジョークの衣纏えば共感して思わず笑ってしまったり。
ゲットアウトの監督さんも、JOKERのドットフィリップス監督も、コメディ分野で活躍した人ですよね。
笑えるラインと、ゾッとする!笑えない!というラインをよく理解している人たちだからこそ、おそろしい作品を生み出すことができるのでしょうね。
笑えるラインと笑えないラインが、この世には確かにあります。このライン、線引きを象徴する存在として描かれていた存在が、まさにマレー・フランクリンとアーサー・フレックだったのではないでしょうか。
マレーは誰もが認める面白いコメディアンで、下ネタに頼らなくても上品で気の利いたジョークや切り返しで笑いを取れる(クレバーで、毒があって、ちょっと意地悪な芸風だと思います)
アーサーは、ピエロとして楽しい踊りや滑稽な仕草なんかは身につけているけれど、根本的に笑いのセンスはないと思います。お人好しで、世間とズレてて、痛々しくて、搾取するよりはされる側!笑わせるというよりは、笑われる側の人です。
私もどっちかというと笑われる側の人間なので、なんとなくわかります。これもクローズアップなら悲劇で俯瞰なら喜劇という話なんですけれど、私が自分の要領の悪さや周りに合わせてうまく行動できないことに対して悩んでいると、案外人からは「他の人と違うから独特でおもしろい」だとか、「マイペースで突然変なことするから見てて飽きない」と褒められることがあります。当然、私としては悩んでいるわけですから納得いきませんでしたし複雑な気持ちでしたが、「私は不器用な自分のことがすきじゃなかったけど、人におもしろいと思ってもらえることで救われている。同じ悩みなら、つまらないよりおもしろい方がいいよね!」と、徐々にポジティブに捉えられるようになってきました。
実際、アーサーってチャーミングなので、マレーにおいしくイジられることによって観客を笑わせていました。しかし、マレーに理想の父親像を夢見ていたアーサーは、『笑い者にされた』とショックだったみたいです。
アーサーはマレーにしてみれば得体の知れない素人ですから、すべる前においしくいじって番組を盛り上げるのがマレーの仕事です。マレーは、アーサーが自分の犯罪を告白した時も動じずに対話していたし、立派な男だったのではないかと私は思います。
「君が不幸だとしても、それは人を殺す理由にならない」みたいな正論も、ハッキリ口にしているし。
アーサーのことを理解したり、気持ちに寄り添ってはくれなかったけれど、ハナから聴く耳持たなかったトーマス・ウェインより、よっぽどいい人だと私は思いましたよ!
殺されちゃったけど......。
作中、アーサーは傲慢な人間しか手にかけなかったし、結構躊躇いなく素早く景気良く殺すものだから、私は恐怖しながらも内心スカッとしていたけれど、マレー・フランクリンを殺しちゃったシーンと母親を殺すシーンだけは見ていて苦しかったですよ。
しかしながら、この出来事......生放送で人気者を殺すことによって、アーサーは悪のカリスマとして大衆に認知されるわけです。この流れは、なかなか見事でしたね!
蘇り、悠然と血で紅をひいて微笑むジョーカーを観て大衆が歓声を浴びせるシーンは、カタルシスを感じました。